「安倍国葬反対」仮処分は却下か?

NHKより

市民団体による「安倍国葬反対」仮処分申請

7月8日奈良県での参院選遊説中に銃撃され死去した安倍晋三元首相の「国葬」を行うとの政府方針に対し、市民50人が7月21日、岸田文雄首相を相手取り閣議決定や予算執行の差し止めを求める仮処分を東京地裁に申し立てた。

申し立てでは、「国葬の法的根拠がなく、閣議決定のみによる予算執行は違法である。儀式への強制参加は思想・良心の自由を定めた憲法19条にも違反する。」(7月21日時事ドットコムニュース)などと主張している。

仮処分の三要件

仮処分が認められるためには、法律上、(1)当事者適格(2)被保全権利(3)保全の必要性の三要件が必要である。本件の仮処分申請は「仮の地位を定める仮処分申請」である(民事保全法23条2項)。

(1)当事者適格

当事者適格とは、仮処分申請をするための法律上の地位であり、具体的には当該仮処分申請について、申請人らが、法律上の具体的な「権利関係」(利害関係)を有することが必要である。

本件は当事者適格にも疑問がある。なぜなら、申請人らは、「安倍国葬」の有無・内容・影響等について法律上の具体的な「権利関係」(利害関係)を有するかにつき疑問があるからである。

ちなみに、市民団体による各地の裁判所での「安保法制違憲訴訟」は、法律上の具体的な「権利関係」(利害関係)が乏しい等の理由でいずれも敗訴している。

(2)被保全権利

被保全権利とは、仮処分によって法律上保護されるべき利益や権利のことである。まず、「国葬」に法的根拠がないとの主張は理由が乏しい。なぜなら、戦前の「国葬令」は戦後廃止されたが、内閣府設置法には内閣府の所掌事項として「国の儀式」が含まれているから、閣議決定による「国葬」には法的根拠があるからである。閣議決定による「吉田茂国葬」の前例もある。

次に、閣議決定のみによる予算執行は違法との主張も、上記の通り、内閣府設置法に「国の儀式」が含まれているから、違法とはいえないであろう。

さらに、「国葬」が国民の思想・良心の自由を侵害し憲法19条違反であるとの主張も理由が乏しい。なぜなら、「国葬」は国民に儀式への参加を一律に強制するものではなく不参加の自由もあり、不参加により国民に思想上の不利益を与えるものではないからである。

また、「国葬」が全額国費(国の予算)で行われることについても、上記「国の儀式」は国費を前提とするから、その額が適正妥当である限り、違法とは言えないであろう。

市民団体の主張は、要するに、自分たちの思想良心に反する国の予算執行は思想良心の自由侵害である、ともとれる。しかし、例えば、法律上、自衛隊への予算執行が自衛隊反対を主張する人たちの思想良心の自由侵害ではないのと同様に、「安倍国葬」への予算執行も思想良心の自由侵害にはならないと解すべきであろう。

以上により、「安倍国葬」に伴う予算額が上記「国の儀式」に必要とされる適正妥当なものである限り、当該予算執行は違法ではないから、予算執行が国民に不利益を与えるものとは言えない。また、上記の通り、「安倍国葬」は国民に強制するものではないから、国民の思想良心の自由を特段侵害するものとも言えない。よって、本件仮処分申請には法律上の「被保全権利」が乏しく、却下される可能性が高い。

(3)保全の必要性

保全の必要性とは、仮処分をしなければ著しい損害や急迫の危険が生じる恐れがあることである(民事保全法23条2項)。

裁判所は「保全の必要性」については必ずしも厳格ではないから、本件の場合も「保全の必要性」を理由に却下される可能性は低い。本件は「被保全権利」の有無・程度が最大の争点であり、上記の通り、「被保全権利」は乏しいから、却下される可能性が高い。

安倍元首相の功罪・「国葬」は法的にも政治的にも妥当

完全無欠の政治家はまれであろう。中国の毛沢東も功7、罪3とされている。功は社会主義革命の成功であり、罪は大躍進政策と文化大革命の失敗である。

安倍元首相も、功は自由で開かれたインド太平洋戦略の確立、平和安全法制による日米同盟の抑止力強化、アベノミクスによるデフレ脱却・雇用増加、防衛庁の防衛省への昇格などであろう。罪はモリカケ・桜問題であろう。何よりも外交面での功績は大きい。死去した安倍元首相に対する、国連をはじめ世界各国からの極めて高い評価がこれを証明している。

政治家の功と罪は総合的・弁証法的に評価すべきである。共産党・社民党などの一部野党や本件仮処分申請をした市民団体は、安倍元首相の「功」の部分をすべて否定し、「罪」の部分のみを取り上げて攻撃している。到底公正妥当な評価とは言えない。

安倍元首相の功と罪を総合的・弁証法的に評価すれば、8年8か月の首相在任期間において、日本の国益を増進させた点で、功が罪よりもはるかに大きい。諸外国からの極めて高い評価を日本国民は軽視すべきではない。その評価にこたえる「国葬」は法的にも政治的にも妥当である。