27日の安倍元総理の国葬儀は、簡素ながらも日本らしい荘厳さの備わった立派な式だった。昭恵夫人が遺骨を胸に車を降りた辺りから涙腺が緩み始めた筆者は、菅前総理の、7年以上苦楽を共にした間柄を偲ばせる弔辞で、それが滂沱となった。菅さんの総理をもう一度見たいと改めて思った。
その後ネットで、一般献花に向かう長蛇の列を11分間映し続ける番組を見つけた。BGMもナレーションもなく、聞こえるのは行列を整理する警察官の声だけ。近くで騒ぐ「noisy minority」とは別の世界の体で、花束を手に黙々と待つ2万数千の老若男女はまさに「Silent Majority」。また目頭を熱くした。
その安倍総理(菅さんに倣い総理と呼ぶ)の数多ある名言の中で、最も広く知られるのは「力による一方的な現状変更を許さない」とのフレーズではあるまいか。『デイリー新潮』によると13年10月の自衛隊記念日観閲式での内閣総理大臣訓示で次のように述べたそうだ。
北朝鮮による大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発。我が国の主権に対する挑発。日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。これが「現実」です。そうした「現実」のもとでも、国民の生命と財産、我が国の領土・領海・領空は、断固として守り抜く。そして、世界の平和と安定に寄与する。それが、諸君に与えられた責務であります。
だからこそ、申し上げたい。「平素は訓練さえしていればよい」とか、「防衛力は、その存在だけで抑止力となる」といった従来の発想は、この際、完全に捨て去ってもらわねばなりません。力による現状変更は許さない、との我が国の確固たる国家意思を示す。そのために、警戒監視や情報収集をはじめとしたさまざまな活動を行っていかなければなりません。
こう述べた後に続く「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有する国々と協力し、戦略的な視点をもって、二国間・多国間の演習や、防衛交流・防衛協力、そして平和協力活動を、進めていくことも必要です」は、翌年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定への決意を示唆する。
総理は15年6月6日にも、訪問したウクライナのキエフでのポロシェンコ大統領との会談で、親ロシア派武装組織との停戦合意が守られていないことに触れ、「大変遺憾だ。ロシア、ウクライナによる合意の完全な履行が重要だ」と述べ、今日を予測するかのように「力による現状変更を決して認めない」とロシアを牽制していた。
翌16年7月15日にも総理は、モンゴル・ウランバートルでアジアと欧州の約50ヵ国によるアジア欧州会議(ASEM)が開催された際、午後に予定された李克強首相との個別会談に先立つ午前中の首脳会合で、中国による軍事拠点化を念頭に「南シナ海情勢の平和的解決などが必要だ」とし、「法の支配を重視し、力による一方的な現状変更を認めない」との原則を強調した。
さて、その安倍国葬に来日した各国要人の中で、席次や岸田総理との会談時間の長さから、カマラ・ハリス米副大統領が最も格上と判る。来日は誠に有難かった。が、翌28日に海外最大の米軍横須賀基地で行った演説は、米国での不人気に違わず、彼女の不勉強ぶりを露呈した。その一節を『VOA News』から以下に引いてみる。
We will continue to oppose any unilateral change to the status quo. And we will continue to support Taiwan’s self-defense, consistent with our long-standing policy. Taiwan is a vibrant democracy that contributes to the global good—from technology to health, and beyond, and the United States will continue to deepen our unofficial ties.
(拙訳)我々は、現状に対するいかなる一方的な変更にも反対し続ける。そして、我々の長年の政策に基づき、台湾の自衛を引き続き支援する。台湾は活力ある民主主義国家であり、テクノロジーから健康に至るまで、そしてそれ以外の分野でも世界の利益に貢献している。米国は今後も非公式な関係を深めていく。
この「現状に対するいかなる一方的な変更」には、この一文に絶対不可欠な「by force」、つまり「力による」がない。「いかなる」だけでは何故拙いかといえば、「力によらない一方的な現状変更」であるところの、例えば「台湾人の国民投票による現状変更」までも否定してしまうからだ。
目下のウクライナを見よ。ドンバス、ザポリージャ、ヘルソンの4州では、ウクライナの意向を無視した「住民投票による一方的な現状変更」が行われようとしているが、これは明らかに2月24日からのロシアによる一方的な軍事侵攻を背景とする「力による」ものだ。各州知事は住民が徴兵される懸念すら訴えている。
前出のポロシェンコは9月28日、この住民投票を「機関銃下の偽の国民投票だ」と「グラーグ」に擬え、「これは間違いなく、ロシアのプロパガンダで、非常に有害であり、プーチン自身の責任だけではなく」、「ロシア国民全体の責任だ」と、米国の右派メディア『News Max』に語っている。
筆者は、東京裁判で米人弁護人ブレークニーが、検察側がソ連抑留中の旧日本軍人3人の尋問調書を証拠提出しようとした際、「鉄の扉の後方にあって、背後から銃剣を突きつけられている者から取る訊問調書」「のような証拠に基づいて判決を下すとすれば、正義と公正は期し難い」とし、「これら証人の」長期抑留の異常さを訴えて「反対訊問のための召喚」を求め、受け入れられないなら「記録からの削除を要求する」と述べた逸話を思い出す。ロシアとはそういうことをする国だ。
本題に戻って、念のため、この5月にバイデン大統領が来日し、23日に岸田総理と行った共同声明に関するホワイトハウスのブリーフィングは、中国に関して以下の様に述べている。
For China, we concurred to monitor closely recent activities of Chinese navy and joint military exercise of China and Russia, and strongly oppose the attempt to change the status quo by force.
(拙訳)中国については、最近の中国海軍の活動や中露の合同軍事演習を注視し、力による現状変更の試みに強く反対することで一致しました。
ハリスの述べた「一方的(unilateral)」はないが、「力による(by force)」が力強く謳われている。合理的に考えれば、「力による現状変更」とは先ずは必ず「一方的」に相違ない。よって「力による」が抜けては困るのだ。もしかするとハリスは、間違えたのではなく本質を理解しないのかも知れぬ。
耄碌はしていても「台湾に米兵を出す」と発言するバイデンには、次の大統領選まで「欠けない」ようにしてもらわないと、台湾も日本もさらに困ることになりそうだ。