日米韓連携の試練⑥:松川るい議員のプレゼンテーション分析

田村 和広

天皇陛下の御即位が宣明された「即位礼正殿の儀」(2019年10月22日)では、式典を祝うかのように虹が現れ、国民の祝賀ムードに華を添えた。

「虹(光)」とは目に見える電磁波であり放射線の一種だが、同じ放射線でも三重水素(トリチウム)が発する電離放射線(の粒子線である)β線は海洋放出をめぐり日本中を二分して大騒ぎとなる。トリチウムのβ線のエネルギーは極めて小さく(最大18.6keV)、紙一枚で遮蔽が可能なほどに微弱な放射線であるにもかかわらず、である。

【参考】環境省_トリチウムの性質

β線やウイルスなど「目に見えないナニカ」に対し、日本人の一部は過剰に恐怖を抱くことがある。この情緒的な心の反応をコントロールするには、知識といった理性的なツールが必要だが、それが余りにも貧弱な場合、人も社会も容易にコントロール不能に陥る。

原発処理水の取り扱いや築地市場移転時の“狂騒曲”などが典型例だが、社会に向けてマスメディアから煽情的な情報がシャワーのように配信されると、いわゆる“mass”が登場する。

現代日本でも、一定の意図をもった扇動者たちが謬論(エネルギー)を注ぎ込むが、それはmassにとっては“干天の慈雨”である。日頃の不満を晴らす攻撃活動(=他責放言)の“理論武装”(破綻しているにもかかわらず)をしてくれるからである。

tunart/iStock

ここに松川議員の戦いがある。意図的な編集も自在な地上波テレビに出演し番組側の妖しいストーリーラインに水を差したり、“修羅の国”ツイッターに降臨して丁寧に説明したり、その啓蒙活動は誠に有難く、貴重な存在に感じる。なぜなら、支持票を削る負の(僅かな)効果を恐れて他の議員は回避しがちだが、認知戦領域の観点から「国益」に直結する活動だからである。

松川議員のプレゼンテーションについての分析に入るが、改めて発端となった番組「日曜報道 THE PRIME」(2月5日)の象徴的なシーンを振り返る。

(前回:日米韓連携の試練⑤:松川るい議員に“失望”するのは誰なのか

「言っていないこと」を「言ったこと」にされる

番組では8:11頃からいわゆる“徴用工”問題の「個人請求権」に焦点が移り、中国における西松建設(2009年)の対応が説明され、MCが松川議員にコメントを求めた。これに応えて、松川議員が2分12秒ほど詳細な見解を披歴した。その中で下記の発言をした。(※全文逐語では焦点がぼやけるので、要旨を抜粋)

松川議員:
「個人の請求権が残っていること」を以て、「日韓間の請求権の問題が最終的に解決していない」というのは違う。国家間ではそれはもう最終かつ、あの、…終わっている

敏感な事情に配慮して、大変慎重な言い回しをしている。松川議員の発言は続く。

問題は2点目。中国のケースと韓国のケースは全く違い、中国は1972年に共同声明で賠償金を放棄している。一方韓国の場合は、65年協定において日本からは5億ドルの協力金に加え、在外資産を朝鮮半島全体で53億ドル、南朝鮮分で約20億ドル放棄している。要するに当時の韓国の国家予算が3.1億ドルなのでその8倍くらいの財産を日本から韓国に引き渡している。更に竹島では多くの船が拿捕され5人が亡くなっている(が賠償なども放棄している)。
「それら全部がパッケージの韓国」と「“ビタ一文”もらっていない中国」とを同列に並べるのは違うと思う。

「同列に並べるのは違う」という表現も慎重である。なお、上記の話は数字を含めて一切メモなどを見ていない。全て暗唱している記憶力と論理展開力には驚かされる。

一般論として「イエスかノーか」では表現できない状態「イエスでもノーでもない」という状況はよくあるが、大胆な(雑な)要約で物事を捉えたがる人には通じない。

番組を見直せばわかるが、松川議員が中国と韓国の差異について説明している途中から、橋下氏は頷くのをやめ、正面(松川議員と違う方向)を見据えて話に反応しなくなっている。

そして松川議員が(恐らく重要な)話の続きをしようとするのを強引に遮って橋下氏は持論の展開を始めるが、下記の部分は曲解、あるいは過度に要約しすぎて誤導的になっている。

橋下氏:
(略)松川さんのように「政府が決めたんだから全部終わりじゃないか」と言うのは

たまらず話を遮る形で松川議員が強く異議を表明する。

松川議員:
言ってない!そんなこと。…違います。

しかし万事休す。強引な橋下話法に包み込まれて、実相は視聴者からは見えにくくなってしまった。奇妙で気まずい印象だけが残った。

情報発信者としての松川るい議員の分析

プレゼンテーションの定量分析

ここからは、意味内容ではなく定量的な分析をして行く。

松川議員の思考とトークの特徴は、そのスピードにある。情報の速度(量)も深さ(質)も一般国民にはもしかしたら豊富過ぎるのかもしれない。

筆者は政治家の発言を扱う際、地上波ならば録画し、国会ならば両院のアーカイブを視聴する。どちらも繰り返し視聴し、ほぼ必ず自分自身で文字起こしを行ってから分析する。筆者は物忘れが良いので、込み入った話は繰り返し聞かないと憶えきれず、深い真意も掴めなない上、時間が経つと印象に引っ張られて“false memory”を形成しやすいからである。しかし一般国民では、ここまで慎重に話を扱う人は少数派だろう。

政治家の中で、筆者にとって、文字起こしの難易度で最高得点を獲得するのは松川議員である。一方、最低点(易しい)は岸田総理である。総理の話が易しい理由はシンプルに3つある。一つは「ゆっくり話す」からである。2つ目は「(単位時間あたりの)情報量が少ない」からである。3つ目は「予め整えられた(明瞭な構文の)文章が多い」からである。(皮肉は一切ない。)

松川議員の話は三要素とも逆である。(あくまで筆者にとっての話)

それではどれくらい速いのか。

グラフ1に示した。松川議員と岸田総理の話(音声)について、文字起こしの上「1分間あたりの文字数」をカウントして比較したものである(※松川議員は今回扱ったテレビ番組の一部分から、岸田総理は昨年の臨時国会における答弁から、筆者が文字起こしの上計数した。発話の場もテーマも揃っていないので、いわゆる“apple to apple”になっていない。従って参考程度の比較に過ぎない)。

1分間あたり松川議員は369文字の一方、岸田総理は293文字である。つまり松川議員は、岸田総理よりも26%ほど多い。要するに話のスピードが1.25倍速であることに等しい。

次にグラフ2は、松川議員と岸田総理の話(音声)について、文字起こしの上「1分間あたりの情報量(スキーマ数)」をカウントして比較したものである(※出典はグラフ1と同じ。なお、「スキーマ数」とはここでは意味的な塊を1つと数えたので、筆者の主観が入っている。当該情報に精通している度合によって塊の大小と塊の数は変わる)。

このような「情報量」で比較すると、更にスピード格差が広がる。1分間あたり、岸田総理が9個のスキーマ(情報の意味的な塊)を口述するのに対し、松川議員は約13個で45%ほど多い。これは話の情報量的なスピードが約1.5倍速である。

グラフ3のデータは同じだが、その比率を可視化した。岸田総理:松川議員=2:3である。

「松川議員の話は岸田総理に比べ、文字数、情報量ともに豊かである」と言っても過言ではないだろう。一部の層にとっては「マシンガントーク」であると言えるかもしれない。

つぎに、意味内容まで含めた定性分析(の一部)を示す。

プレゼンテーションの定性分析

下記グラフ4は、2月5日放送の番組で2分13秒間の間に松川議員が話した言葉の文字数をその意味内容別に2分類して文字数内訳比率を示したものである。量的には、「もう謝罪も賠償もしない」対「韓国の尹政権が問題解決するのをできる範囲で支援すべきだ」は、約1対2の比率となっている。

これは、背景や理由の説明に言葉を尽くしたからだが、このために、全体としてこの話は「支援すべき」というメッセージの印象が(多くの視聴者に)強く残っただろう。

また、プレゼンテーションには3つの特徴がある。

【特長1】 文章情報優位型

特徴の一つは、大量の文字情報による論理展開である。松川議員のブログでも文章によって論理構成されたメッセージが続く。同じく文章情報優位型の視聴者・読者にはメッセージが届きやすい反面、視覚情報優位型の視聴者・読者の興味の離脱を招く。文書情報優位型情報伝達の土俵に乗るには、文章操作の高度な訓練を受ける必要があるが、一部の国民に限定される。また、SNSの中でも、許容文字数の限度が極端に低いツイッターとは相性が良くないだろう。

また言語情報には、相性の悪い情報がある。例えば「電話越しにパソコン操作を教える場面」を想像して欲しい。

自分が「マウスを画面の『はい』というボタンにあわせてクリックしてください」と説明した時、相手がパソコンを今までやったことも見たこともない人だった場合、液晶ディスプレイに直接マウスを押し当ててクリックしてしまうかもしれない。(※)

これなどは「百聞は一見に如かず」の例で、これに類する言語情報の限界はいくつもあるだろう。

(※ 『認知心理学 (New Liberal Arts Selection)』P238「TOPICS10-1状況モデルと状況モデル」で示された例を元に、筆者が短縮・改変した。)

【特長2】 言語情報の達人

特長の2つ目は、「言語情報の達人」ぶりである。複雑な日韓間の状況を、メモを見ることもなく「1本の紐状構造である」口述言語情報で描ききっている。長大なセンテンスで複数の局面を説明し、多面体である対象の説明を完結している。

しかし、これは記憶力、文章構成能力の点で視聴者を置き去りにしている可能性に留意する必要があるかもしれない。人のワーキングメモリー(WM:作業記憶あるいは短期記憶)の容量は大変小さく、短時間しか持続しないからである。

例えば、全く知らない8桁前後の電話番号を聞かされて(メモせずに)一時記憶してその番号先にかけることは可能だが、全く知らない電話番号を3つ連続で聞かされると、大抵の人は最初の2つを覚えていられない。記憶容量から溢れて(“overflow”)しまうからである。また、時間が経ってから番号を聞かれても通常は覚えていない。

これらがWMの一般的な特徴で(例外も)あるが、松川議員の話は情報量が豊富過ぎて一般人のWM容量から溢れてしまう。(専門家など当該テーマの知識が豊富な人ならばついて行ける。)

簡単に言うと、「7つの意味の塊しか覚えていられないところに17個の塊を伝えても、最初の10個は記憶していられない」ということである。

そのため、例えば口述開始直後に、大前提として「日本側の追加的な謝罪や賠償金拠出はあり得ないが」といくら明言しても、話の終わり頃にはこの大前提の宣言があったこと自体を覚えていられず、感情的に揺れてしまった視聴者は「議員は譲歩(≒謝罪や賠償)しろと言うのか!」と誤解してしまう可能性がある。

【特長3】 論理・データ主導型(=ストーリー不足型)

話の内容は極めて論理的だが、専門的な知見を背景に格納した言葉が豊富なのも特徴だ。これは同水準の知見を備える相手にはより深い(効率的な)議論が可能なのだが、一般視聴者には伝わりにくい可能性がある。例えば、議員が「募集工」や「応募工」という単語を使わず「“徴用工”は」と発言する場合、背後には相当な経緯と配慮があってそこに落ち着いているはずだが、当然ながら一般視聴者にはそれが見えない。そのため視聴者がSNS上で「そもそも徴用工と言っている時点で…」や「議員はわかっていない」などの反応が生まれる。これには“ダニング・クルーガー効果”も背景にあると思われる。

簡単に言うと、論理・データ主導型の説明は、相手も同水準の知識を備えている場合に効果的な話法である反面、知識の格差がある場合には、情報伝達効率が悪く、場合によっては(極めて逆説的だが)“侮り”さえ受ける結果を招くことがある。

この他にも重要な特徴はあるが、公開する意義は少ないと考えるのでこれ以上は記さない。もし松川議員ご自身にニーズがある場合には、直接伝達したい。

まとめ

地上波テレビなどのマスメディアにおいてなるべく広く一般国民に伝えるためには、今よりも

1. ゆっくり話す
2. 平易な表現を使う
3. 情報数を絞る
4. イメージしやすい図表や「物語」を交える

これらの工夫で伝達効果を高める必要があるかもしれない。

著名な教育者の森信三は次のような言葉を残したという。

教育とは流れる水の上に文字を書くような儚いものだ。だが、それを岩壁に刻み込むような真剣さで取り組まなくてはいけない。

国民との対話においても有効な箴言だと思う。

松川議員に関する分析は今回で終わりとなる。次の稿では今までの話が、なぜ「日米韓連携の試練」なのかについてまとめて締めくくりとしたい。

(次回につづく)

【追記】
ここまで「松川議員に感謝と激励を伝えたい」という応援の気持ちを動機として書いてきました。しかし今振り返れば不快だったかも知れないとも反省しております。その点について、お詫び申し上げます。

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