アフリカ戦線異常あり

こんにちは。

つい最近のニジェール、そして今度はガボン昔フランスの植民地だったアフリカ諸国で、クーデターによる軍事政権の樹立が続いています。

そこで今日は、これらクーデターの背景にあったフランスによる旧植民地諸国の悪辣な搾取の構造と、それがヨーロッパ文明圏の没落にどうつながるのかといった問題を語りたいと思います。

なお、途中に直視するのがつらい写真が出てきますので、ご注意の上お読みください。

da-kuk/iStock

今も続くフランスによるアフリカ諸国の植民地支配

まず、次の地図をご覧ください。

フランスが直接地元の政治家や軍人を手なづけてやらせたか、リビアのようにアメリカを焚きつけて多国籍軍でやったかはともかく、アフリカ大陸でフランスが元首を暗殺した国々を赤く塗り分けた地図です。

少々極言すれば、旧フランス植民地で元首がフランスによって暗殺されていないのは、モロッコぐらいのものと言えるでしょう。

これは、モロッコがフランス植民地時代から比較的自治に任される分野の多い地域であったため、独立直後に継続的な植民地支配の象徴ともいえるCFAフラン(直訳すれば「アフリカのフランス植民地」フラン)を使わず、ディルハムという独自通貨を使うことができたこととも関連しているでしょう。

CFAフランを使っている国は、通貨発行益はすべてフランス国立銀行に巻き上げられ、外貨準備も半額はフランス国立銀行に預けさせられ、立場の弱い国は輸出収益の半分もフランスに強奪されるという、いったいどこが独立国かという経済的隷属を強いられています。

最初に大統領が暗殺されたトーゴは、第一次世界大戦時まではドイツの植民地だったけれども、この大戦に負けた代償としてフランスに譲渡されたという経緯があります。

そこで、1960年のトーゴ独立とともに初代大統領となったシルヴァヌス・オリンピオは、フランスとドイツの経済成長力などを比較検討して、フラン圏よりドイツマルク圏に入ろうとしたわけです。

これがフランスの逆鱗に触れて、あっさり暗殺されたわけですが、その後のトーゴ大統領職は2~3人の暫定首班を挟んで、エヤデマとフォールというニシャンベ家の親子2代が1世紀以上にわたって事実上独占してきました。

よほどフランスのお怒りに触れることの怖さがわかっていて、しかも忠実な番犬でいるかぎりたっぷり袖の下ももらえるからでしょう。

そのへんの事情は、いちばん最近のクーデターで倒されたこれまた親子2代にわたったガボンの独裁者一族が、どれほど巨額の札束を溜めこんできたかを、あとで写真でお確かめいただきたいと思います。

カダフィは「アラブの狂犬」だったのか?

今までのところ、フランスによる元首暗殺最後の犠牲者だったリビア軍事政権のカダフィ大佐は、ほんとうに欧米諸国のマスコミが言うように「アラブの狂犬」だったのでしょうか?

次の福祉・社会政策の一覧を見ると、とうていそうは思えません。

もちろん、首尾よく原油価格の値上げに成功して、溢れるほどの外貨が原油代金として入ってきていたからこそできたことです。原油資源が枯渇したら、そのまま続けることはできない政策でしょう。

ですが、さらに巨額の原油代金を受け取ってきたサウジアラビアは、その貴重な資金を膨大な人数の王族とその側近たちにお手盛りで配り、コーランに書かれたとおりの残酷な刑法を文字どおりに実行し国民の不満をなだめるためのばら撒きに浪費しています。

それと比べると、はるかに志の高い遣い方だったと思います。

なお、つい先日閉会したBRICS会議が、欧米覇権を追い落とすための積極的な役割を担う核になると期待した方も多かったようですが、私は惨憺たる失敗だったと思います。

BRICS拡大に際して加盟志願国が殺到した中で、現BRICS諸国が選んだ新メンバー6ヵ国のうち半数はサウジアラビア、アラブ首長国連合、そしてイランです。

欧米覇権に対抗する新興国連合ではなくアブラ寄り資源しがみつき連合に落ちぶれること間違いなしのメンバー選びでしょう。

ロシアとの軍事協定が意味すること

さて、旧フランス植民地諸国のもうひとつの特徴は、ロシアと軍事協定を結んでいる国が非常に多いことです。

いつかはCFAフランを通じたフランスによる植民地支配を脱却しようとすれば、欧米諸国による軍事支援はまったく期待できないので、アメリカの顔色をうかがわずに軍事力を行使できる同盟国としては、残念ながらロシア以外に見当たらないということでしょう。

フランスの傀儡政権を軍部が倒すクーデターが続発していることについては、フランスをはじめとするEU諸国はウクライナ支援で手一杯アメリカはわざわざフランスのために自国軍を出動させることにはベトナム戦争で懲りているといった事情もありそうです。

それとともに、ロシアとの軍事協定がこれら諸国の軍部に、自国の民衆さえ味方につけたら、フランスによる介入はロシアがにらみを利かせて防いでくれるという安心感があったから踏み切れたのではないかと思います。

そして、次の地図で見るように2020年以来のアフリカ諸国の軍事クーデターは、ほとんど全部旧フランス植民地で起きています。

そして、現地取材の写真などを見ると解放感に溢れた即興的なクーデター支持運動で、ひんぱんにロシア国旗が振られています

まあ、そこまで期待するとがっかりさせられるかもしれませんが、とにかくフランスの新植民地支配からの脱却には成功する可能性が高まってきました

植民地時代の傷は古傷ではない

2020年以降に軍事クーデターが起きた国の中で唯一フランス植民地ではなかったスーダンは、アフリカ大陸の植民地経営をめぐってイギリスの縦断政策とフランスの横断政策が正面衝突した場所です。

エジプトから南アフリカまでアフリカ大陸を縦串で貫こうとするイギリスと、モロッコからジブチまで横串で貫こうとするフランスが19世紀末にスーダンのファショダという土地で激突しました。

そのファショダ事件でイギリスが勝った結果、アフリカ大陸全域におけるイギリスの支配権が強まり、フランスは二流の帝国主義国に転落したわけです。

問題は、こうした19世紀後半から第二次世界大戦にいたる欧米列強の植民地争奪戦が、今でも古傷どころか、政情不安のタネとしてしっかり根付いてしまっていることです。

1952年、つまり今から70年以上も前からのクーデター勃発の歴史を見ると、圧倒的に件数が多いのが英仏植民地政策の激突現場だったスーダンなのです。そういう意味で、植民地支配の傷は少しも古傷とはならず今もうずいているのです。

そして8~10件で2番手争いをしているのは、イギリス植民地だったナイジェリアをのぞけばほとんど全部旧フランス植民地です。

今もフランスが通貨発行権を握っていることから生じる通貨発行益(シニョーリッジ)がいかに莫大かは、つい先日軍部に身柄を拘束されたガボン大統領の私邸から、CFAフラン、ユーロ、米ドル札を詰めこんだ大袋が山積みされていたことでも推測できます。

細々と経営を続けている国内企業から搾り取るだけではとうていこれほどの蓄財はできなかったでしょう。フランスから、通貨発行権を握り続けるためのキックバックとしてもらっていたカネだと思います。

旧フランス植民地はイスラム過激派テロも頻発

さらに、イスラム過激派のテロ拠点も、旧フランス植民地に集中する傾向が顕著です。次の2段組グラフはマリとブルキナファソを例にとって、軍事政権樹立前後でイスラム過激派や軍事組織によるテロの発生件数や犠牲者数がどう変わったかを比較しています。

BBCがこのグラフを掲載した意図は「軍事政権はテロ撲滅を大義名分として選挙で選ばれた政権を倒したが、その後イスラム過激派によるテロは減るどころか、増えたじゃないか」という批判にあるようです。

ただ、欧米向けのメッセージはそういうことにしているでしょうが、彼らのほんとうの目的はCFAフランが象徴するフランスによる新植民地支配からの脱却です。本音を言えば旧植民地から未だに不当な利益をむさぼりつづけている欧米諸国を敵に回すので言いませんが。

その証拠が、イスラム過激派の拠点もまた、あまりにも新植民地支配の露骨な旧フランス植民地諸国に限られてきたという事実です。

私は、サヘル地域に最貧国と呼ばれる国々が多いのも、サハラ砂漠を抱えているという地理的・気候的条件以外に、この地域に昔フランスの植民地だった国が集中していて、今もなお苛烈な新植民地支配のもとに置かれているからだろうと思います。

事態は仏伊非難合戦で激変するか?

こうした状況を一変させる可能性のある、画期的な事態が去年の11月に勃発しました。

フランスの「人道的難民支援NGO」が組織する難民船、オーシャン・バイキング号に乗った難民たちの上陸をイタリアが認めなかったことで、フランスとイタリアが壮絶な非難合戦を始めたのです。

そもそも人道主義を気取ったフランスの難民対策には、非常に怪しげなところが見受けられました。

イタリアが約3万人、スペインが5000人弱、ギリシャが4000人弱難民を受け入れている中で、フランスの港や海岸に漂着した難民船は1隻もなかったというのです。

次のグラフでおわかりのように、今年の1~3月は例年の約2倍の難民が南ヨーロッパ各国に押し寄せていました。その中で地中海側にもかなり長い海岸線を持つフランスにだけ、ただひとり上陸しなかったというのは、あまりにも不自然です。

シリアの政情不安が激化してヨーロッパへの難民の数が激増した2015年以来、イタリアはヨーロッパ諸国でもっとも多くの難民を受け入れてきました。

難民が地中海を船で渡るのは、命がけの行動です。運が悪ければ次の写真のようにいたいけな幼児が水死体として岸に打ち上げられることもあります。

さらに、密航業者は取れる客からはひとり当たり3000~5000米ドルという高額の船賃を取って、難民を運んでいるのです。アフリカから難民としてヨーロッパに脱出しようとする人にとって、その経済的負担はすさまじく大きいでしょう。

ですからこそ、幸運にもヨーロッパの港や海岸までたどり着いた船に乗っている乗客はできるかぎり救出してやりたいとは、だれしも思うでしょう。ところが、あまりにも多くの難民が集中したイタリアでは、去年の秋頃から収用施設も満杯で断らざるを得なくなっていたのです。

この状況に対して、なぜか難民はひとりも入って来なかったということになっているフランスのマクロン大統領が「イタリアは胸糞が悪くなるほど冷笑的で無責任だ」と批判したのです。

イタリアのメローニ首相の反論は、おそらくあの口ばかり達者なマクロンがグーの音も出ないほど激烈でした。

これは1国の元首が他国の元首を批判することばとしては、交戦中でなければあり得ないような発言です。ひとつでも事実誤認があれば、国交断絶はともかく大使召還ぐらいはして謝罪と前言撤回を要求するところでしょう。

しかし、これまでのところマクロン当人なり、フランス外務省なりが表立ってメローニ首相に反論したというニュースを見かけません。おそらく全部図星なので、ひたすらほとぼりが冷めるのを待っているだけなのでしょう。

もし、どこかでフランス側の反論を見聞きしたとおっしゃる方がいらっしゃいましたら、ぜひお教えください。

それにしても痛快で胸のすくようなタンカです。もしこうした主張をするメローニが極右政治家だというなら、私も極右と呼ばれたいと思います。

そいうわけで、イタリア対フランスでは全面的にイタリアの肩を持ちますが、ただそれだけでは終わらないのが、ヨーロッパへの難民問題のむずかしいところです。

世界中で貧しい国にしわ寄せがくる

じつは、イラク・シリア情勢が今よりずっと緊迫していた2015年にヨーロッパに押し寄せた難民の数は100万人に達していたのです。

2015年にヨーロッパまで到達した難民の数はほぼ正確に100万人で、約4000人が航海中に遭難して水死したと推定されています。

ただ、当時はサヘル諸国より、中東からの難民が多かったため、主要ルートは、地中海を渡る海路ではなく、トルコからギリシャや東欧諸国への陸路でした。西欧諸国でかなりの人数を受け入れていたのはイタリアだけだったと言っても過言ではないでしょう。

ギリシャも東欧諸国も、西欧・北欧諸国よりずっと貧しい国々です。その貧しい国々が仕方なく膨大な人数の難民たちを押し付け合っていたとき、マスメディアは現在のように大きく報道することはありませんでした

さらに、切実に豊かな生活を願って自分が生まれ育った国を離れた難民たちの約60%を受け入れているのは中所得・低所得の国々であって、北米諸国や西欧・北欧諸国に到達する難民は全体の約20%程度だと推定されています。

ユーロ圏で経済規模第3位の国が、第2位の国を罵倒するという混乱状態の中から、ヨーロッパ諸国に今も根強く残る植民地主義的な政策を根絶する新しい動きが出てきて、故郷を遠く離れた土地への難民となる必要がなくなる時代の到来を切望します。

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編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2023年9月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。