屏東のパイナップル畑で「ホタテ有事」を考える

中国は日本産水産物を禁輸したが、処理水放出を理由にしながら日本沿岸で漁を続けるなどは、政治的嫌がらせを自白したに等しい。台湾パインも2年前の2月26日、中国から唐突に3月1日から輸入禁止にされた。が、強かな台湾は、国内消費と日本輸出を増やして危機を切り抜けた。良い手本になる。

筆者は拙稿「日本産ホタテはたったの4%:中国ホタテ需要の驚くべき実態」で台湾パインの例に、「先ずは自国民が消費に努め、次に諸外国への販路を拡大」せよとし、中国が米国・韓国・台湾・カナダ・豪州及び日本に輸出しているホタテ2万4千トンを日本で加工すべき、と書いた。

それにはHACCPやFDAなどの認証や、中国の水産加工会社並みに工場までの全プロセスでの諸承認が必要なので、政府はここへの補助金や税の優遇などでホタテ加工品の価格競争力を強化し、西側諸国への売り込みを岸田総理自らがして回ることを提案した。

果たして24日の「時事通信」は、中国の禁輸からひと月、ホタテの過剰在庫や価格下落が顕在化して漁業者らの苦悩が深まり、政府の支援策にも「対策に即効性がない」「スピード感が見えてこない」などと不満を募らせている、と報じた。

青森県の漁協連合会長は「ホタテの出荷が止まって業者の在庫が満杯。みんなに食べてもらわねばどうにもならない」と述べ、政府が打ち出した米国輸出などのための加工設備導入補助にも、禁輸が撤廃されれば「ただ維持費がかかるだけになってしまう」と指摘した。

筆者は、政府の対応と時事の論調にもだが、会長の「禁輸が撤廃されれば“ただ維持費がかかるだけになってしまう”」との談にも一言ある。将来への懸念は判る、が「人間万事塞翁が馬」、この「有事」を付加価値を上げるチャンスを捉えて欲しい。後述する屏東の若い3代目のパイン生産者も、屈託なく作業に励んでいた。

日経は22日、「イオン、北海道産の生ホタテを350店で販売 産地支援」と報じた。22〜24日の北海道フェアの一環として、生ホタテの貝柱を関東などの総合スーパー350店舗で、通常の約2割引きで販売するという。いい話だ、ぜひ応援する。

が、地域や期間を限定せずに全国で一年中やって欲しいし、他の大型スーパーなども、大店法廃止の恩恵を受けて地域の小売店を潰した過去に贖罪の気持ちがあるなら、イオンに負けじと3割でも4割でも値引きして、支援を競ってもらいたい。

政府も、産地に運転資金を速やかに渡し、併せて業態変更を早めるべく、設備資金の補助や税の優遇を即刻実施せよ。マスメディアも、中国非難や現場の悩みを伝えるだけでなく、政府の施策や販売店と国民の支援行動を強く促す論調で、尻を叩いたらどうか。

関連して「共同」が15日、米大使館が台湾、タイ、ベトナムなどのFDA登録済の加工施設を日本の業者に紹介し、米国向けに輸出する仕組みの構築を目指していると報じた。

仕組みが、現物は日本(冷凍貝)→東南アジア加工場(貝柱)→米国、伝票の流れは日本→東南アジア(加工費)→日本→米国なら一考に値する。が、貝の仕向地が中国から東南アジアに変わるだけなら、事業関係者の付加価値も変わらないので、日本での加工が本筋だ。

そこで屏東のパイン畑に行った話。台湾パインの3〜4割を生産する屏東県は農業と観光が二枚看板。西を台湾海峡に面した高雄市に、東を太平洋に面した台東県に挟まれた、ちょうどサツマイモに似た台湾島の尻尾に位置する、もっともオールド台湾っぽい地域だ。

屏東は蔡英文総統の出身地でもある。蔡氏は父方から客家の、母方から同地の原住民パイワン族の血を受けている。本省人の出身地で最も多いのは福建で次が広東だが、客家の多くが広東から渡台したことから、日治時代は広東出の者を須く客家籍に分類していた。

8月に麻生太郎氏が基調講演した「ケタガラン・フォーラム」の名称も、かつて台湾北部の平地に居住し、漢人と混血が進んだ平埔族のひとつ「ケタガラン族」に因む。屏東地域の平埔族はマカタオ族という。もしかする蔡さんの血はマカタオかも。

さて、高雄市内を出て高速を南東に向かうと、左手に台湾最高峰の玉山から南に連なる山々、右手には台湾海峡まで平地が広がる。30分程で下道に降りると、椰子の木を細くした体の10mほどの背丈の木が、道の左右に林立している。檳榔(ビンロウ)だ。

石灰と混ぜて噛むと酩酊や興奮の作用があるその実は、肉体労働者やトラック運転手らの間で今も嗜好されていることが、夜の道賂でクジャクの羽のように点滅する派手なネオンサインや道端の汚れー噛むと赤茶色になる唾液を吐いた跡ーで判る。

屏東県のパイナップル畑
台北ナビより

到着したパイン畑は広かった。手前の区画には、春に収穫を終えた株が数知れず植わったままだ。これらは撤去され、適時、新たに苗を植えるとのこと。さらに奥に進むと畝を黒いネットで覆った区画があり、これから収穫するという。

台湾パインの出荷は3月に本格化する。中国の禁輸が政治的だったことはタイミングで判る。ならば、シーズンを終えた8月21日の今般のマンゴー禁輸はどうかといえば、これも「いつであろうが、検疫有害動植物が出れば禁輸する」との政治的ポーズだ。

収穫時期が6〜7月に限られるマンゴーと違い、台湾パインは一年中栽培できて、苗を植えて18〜20ヶ月で収穫出来るのだそうだ。生産者は出荷したい時期から逆算して苗を植え付ける。結果、台湾パインはほぼ一年を通して市場に出回るという次第。

人海戦術で行う収穫の人手は、訪ねた生産合作社ではベトナム人とのこと。同じ区画でも株によって実の熟れ具合が違うので、人の目で判断する必要があり、株や実の形状からも機械化は困難らしい。最盛期は大勢を雇い、夜中の2時3時から始めるという。

今年6月、1日に「産経」が屏東の、11日に「毎日」が嘉義の生産合作社を取材し、パインの現状を報告している。

生産合作社とは、収穫物をクラス分けして包装するパッキング会社と生産農家が一体で経営する一種の組合で、パイン以外も様々扱う。むろんHACCP認証も取得済みだ。この生産合作社の仕組みは、今後のホタテ漁師と加工業者にとって一つの手本になると思う。

2年前の調べでは、台湾パインの生産量は年間約40万トン。国内9割・輸出1割で輸出の大半が中国向けだった。環球時報も20年の台湾パイン輸入量を4.2万トンと報じた。が、19年に中国が生産したパインは172万トンで、台湾パインのシェアは2.4%に過ぎない。

日本の台湾パイン輸入量は、21年は約1.8万トンで前年比8倍以上、22年も1.8万トン前後を維持し、23年は3月末までに約6千トンだ。一方、中国の台湾パイン輸入は22年に424トンに激減した。思うに、これは台湾人が大陸で経営する果汁会社向けだ。

パイン畑の後、その北に位置する国立屏東科技大学に立ち寄った。ここは日治時代の1924年4月に高雄州立屏東農業補習学校として開校し、初代校長には高雄区農業改良場長を21年間務めていた鳥居武男が就任した。

戦後、国民政府により台湾省立屏東農業職業学校と改称され、81年の国立屏東農業専科学校への改称などを経て、97年8月に国立屏東科技大学となった。この経過に見るように農業県屏東のこの100年を象徴する教育機関といえる。

一方で長い海岸線を持つ屏東は、「台湾有事」に人民解放軍とって格好の上陸地。それもあってか21年9月15日の「漢光演習」(陸海空3軍の演習)で、蔡総統は屏東県佳冬郷の「戦備跑道」(通常は公道で戦時に滑走路となる道路)を訪れ、演習を視察した。

こうした厳しい現実の中にあっても、退校時とあってリュックを背負ったバイクが列をなし、食堂では大勢の学生が談笑している。パイン畑の若い経営者もそうだが、学生たちもみな表情が明るく、屈託なく見える。熱帯性気候のせいかも知れぬ。

東北の漁業関係者もあやかって気持ちを明るく持って欲しい。前述のように中国の台湾パインのシェアは2.4%で、政治の道具として買っていたに過ぎなかった。日本のホタテのそれも4%だ。それも政治的だったとは言わぬ、が、なくて困らないのも事実。

この先「禁輸が撤廃され」ても、いつまた止められるか知れない。漁業関係者にはぜひ、この苦境を、国内消費と輸出先を西側諸国に切り替えて、より付加価値の高い業態に転換するチャンスにして欲しい。政府も国民も西側諸国も、必ず「この有事」を支援する。