ノーベル物理学受賞者はヨーロッパ人

スウェーデン王立科学アカデミーは3日、2023年のノーベル物理学賞を、「アト秒パルス」(アトは100京分の1の単位)と呼ばれる持続時間が極めて短い光のパルスを発生させ、物質中の電子の動きなどを捉える実験手法を開発した米オハイオ州立大のピエール・アゴスティーニ名誉教授、独マックスプランク量子光学研究所のフェレンツ・クラウス博士、スウェーデン・ルンド大のアンヌ・ルイリエ教授の3氏に授与すると発表した(時事通信)。

2023年ノーベル物理学賞の3人の受賞者(中央がクラウス博士)スウェ―デン王立科学アカデミーHPより

ストックホルムからの上記の外電を読んで、物理学賞を受賞した3人の科学者は米国人、ドイツ人、そしてスウェーデン人の3国の科学者と思っていたがそうではなく、クラウス博士(1962年生まれ)はオーストリア人というのだ。オーストリア国営放送は早速、「わが国の科学者が昨年に続いて物理学賞を受賞しました」と報じ、科学者の快挙を大々的に報じた。

その段階で「クラウス博士は現在、ドイツのミュンヘンの世界的な研究機関マックスプランク量子光学研究所に努めているが、出身国はオーストリアだ」と受け取った。そうなれば、アルプスの小国オーストリアにとって2年連続、ノーベル物理学賞を受賞したことになるから、当然「歴史的な快挙」と言わざるを得ない。

参考までに、オーストリアのウィーン大学のアントン・ツァイリンガー名誉教授は昨年、「量子もつれ」と呼ばれる現象を実証したフランス・理工科学校のアラン・アスペ教授、米国のジョン・クラウザー博士と共に物理学賞を受賞した。オーストリアにとっては23人目のノーベル賞受賞者だった。同氏は光の粒子の状態をテレポートすることに成功した有名な実験『量子テレポーテーション』で『ミスター・ビーム』と呼ばれている(「量子物理学と形而上学を繋ぐ科学者」2022年10月6日参考)。

クラウス博士の受賞は同日昼以後のニュースを独占したが、それを聞いていると「博士はハンガリー出身だ」ということを知った。スウェーデン王立科学アカデミーはクラウス博士を紹介する際、独マックスプランク研究所に言及するだけで出身国には言及していなかった。一方、オーストリア国営放送は「わが国が2年連続で…」といった風にクラウス博士をオーストリア人と報じていたのだ。

時間が経過するにつれて、オーストリア国営放送はクラウス博士を「オーストリア・ハンガリーのクラウス博士」(Der osterreichisch-ungarische Physiker)と言いだした。あたかも「オーストリア=ハンガリー帝国」がまだ存在しているかのようにだ。

事実は、クラウス博士はハンガリー生まれで、ウィーン大学工科大学で研究し、今回の受賞となる成果を実現。その後、研究を続けるために、ドイツからの誘いに乗ってミュンヘンのマックスプランク研究所に入った、というのが真相だ。

クラウス博士はオーストリア国営放送の夜のニュース番組でインタビューに応じ、「ハンガリー国民も喜んでくれているし、ウィーンでも多くの大学の同僚たちが喜んでくれた、もちろん、ミュンヘンの研究所関係者も同様だ」と指摘し、「3国の国民、関係者が喜んでくれて自分は本当に感謝している。自分はヨーロッパ人だ」と語った。同博士によると、「ハンガリーで基礎学問を学び、ウィーンで今回受賞した数百アト秒の光パルスの生成と観測を行い、ミュンヘンでさらにその研究を続けている」というのだ。

ちなみに、本年度のノーベル生理学・医学賞の受賞者もハンガリー人のカタリン・カリコ博士(68)だった。すなわち、東欧のハンガリーは今年、2人のノーベル受賞者を生み出したわけだ。

カリコ博士は「mRNAワクチン」(メッセンジャーRNA)技術を開発し、遺伝子治療の最新技術を駆使し、筋肉注射を通じて細胞内で免疫のあるタンパク質を効率的に作り出してワクチンを製造した。ウイルスを利用せずにワクチンを作ることができることから、短期間で大量生産が出来るメリットがある。「mRNAワクチン」は最新医薬技術を切り拓いたといわれている(「『オーダーメイドの薬』目指す生化学者」2021年9月26日参考)。

ところで、「ハンガリー国内の科学研究は政府からの圧力や制限はないか」という少々政治的な質問に対し、クラウス博士は、「研究予算などはドイツとは比べものにならないが、科学者は上からの制限を受けずに自由に研究できる」と述べ、欧州では批判の多いオルバン政権の政治には全く踏み込まず、笑顔で答えていた。

なお、独週刊誌ツァイト(オンライン、10月3日)は「0,000000000000000001秒のためのノーベル物理学賞」という見出しで今回の受賞を喜んでいた。ドイツ人らしい冷静な歓迎の仕方だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年10月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。