台湾総統選の怪:副総統候補決定で支持率に異変

20日に始まった台湾総統選の立候補届出が24日に締め切られ、年明け13日の投開票に向けた正副候補の顔ぶれが出揃った。総統候補の頼清徳(民進党:緑)、侯友宜(国民党:青)、柯文哲(民衆党:白)のことは本欄で何度か触れたので(郭台銘は撤退)、本稿では各党の副総統候補および結局破綻した「青白同盟」の話を書く。

副総統候補に、民進党は駐米台北経済文化代表処(TECRO:大使館に相当)代表を務めていた蕭美琴を、国民党は元立法委員(国会議員)で統一論者のテレビキャスター趙少康を、民衆党は立法委員の呉欣盈をそれぞれ選んだ。蕭美琴の肩書を「務めていた」と過去形にしたのは、立候補に際しTECRO代表を辞したからだ。

台湾の公職選挙法には、公職のまま他の公職選挙への出馬が可能な「帯職参選」という制度があり、侯友宜は今回、新北市長の身分のまま総統選に出馬している。が、国民党には、16年に新北市長の朱立倫が、20年に高雄市長の韓国瑜がそれぞれ総統選に「帯職参選」し、蔡英文の前に一敗地に塗れた苦い過去がある。

蒋経国の孫で現台北市長の蒋萬安は、立法委員を辞職して市長選に出馬し、当選した。呉欣盈も現職の立法委員だが、1月13日には総統選と同時に立法委員選も行われるので、目指すものが副総統選になっただけで、何れにせよ立法委員に戻る可能性はない。何を言いたいかといえば、侯友宜には「退路を断つ」あるいは「背水の陣を敷く」といった決意が欠けてはいまいかということ。

その侯の副総統候補は超有名人だ。趙少康は李登輝総統の二国論(中国と台湾という異なる主体論)に反発し、93年に国民党を出て「新党」を結成した。今もメディアのオーナー兼キャスターとして民進党を叩き続ける強固な統一論者で、国民党時代はこれも中国要人と太いパイプのある馬英九と近かった。この人選は、後に述べる「青白同盟」に土壇場で失敗した馬英九が、無理に押し込んだ様に思える。

そして蕭美琴。02年から立法委員を務め、20年7月にTECRO代表に就任した蕭は、台南の基督教長老派教会の牧師であった父蕭清芬と米国ユニオン神学校音楽教師の米人ペギー・クーリーの間に神戸市で71年に生まれた。両親の職業柄、世界各地でも暮らし、大学教育を米国で受けた関係で北京語・台湾語・英語がネイティブであることから、95年に民進党の駐米代表処に入り、帰台後も民進党政権で、外交や国家安全保障などの政策や党の国際化に貢献した。

彼女のトピックでは、本年度のAPEC(アジア太平洋経済協力)が19日、サンフランシスコでの首脳会議を以って閉幕した。外務省のサイトには、22年12月の非公式高級実務者会合を皮切りに、本年の2月、5月、8月と3回の実務者会合、財務相・中央銀行総裁会合、交通相・貿易相会合、エネルギー・食糧安全保障相などの米国各地での諸会合を経て、11月の首脳会合に至ったことが判る。

蕭美琴にとって今回のAPECは、蔡総統の特使としてサンフランシスコを訪れたTSMCの創業者張忠謀(モリス・チャン)をTECRO代表として接遇し、米国のハリス副大統領、ブリンケン国務長官、ブレイナード国家経済会議議長、日本の岸田首相、シンガポールのリー・シェンロン首相らとチャン氏との会談に同席するなど、頼清徳のランニングメイトへの花道としてこの上ないものになった。

今回の総統選の論点の一つに「疑米論」がある。「いざという時に米国は台湾を助けない」との論で、中国が用いる「三戦」の一つ「情報戦」の一環としてのプロパガンダであることは明らかだ。バイデンが何度も「台湾を守る」と述べているにも関わらず、趙少康は自前のメディアを使って盛んにこの「疑米論」を流すから、これを鵜呑みにする台湾人も少なからずいる。

モリス・チャンのAPEC出席は今回で7回目だが、21年1月のバイデン大統領就任式にTECRO代表として初めて招待される栄誉に浴した蕭美琴との今回のAPECは、チャンにとっても感慨深かったろうし、各国の要人にも印象深いものであったことは想像に難くない。そして何より「疑米論者」の趙少康を副総統候補にしたことで青から赤に染まった国民党にとって、痛烈な一撃になるはずだ。

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筆者は10月3日の拙稿で「青白連合」について、柯文哲事務所が9月29日、公正な第三者による世論調査で柯候補と国民党侯友宜候補の支持率を比較し、負けた方が出馬を断念すべきと発表したことに触れ、民進党系の『美麗島電子報』の吳子嘉会長が9月30日の世論調査を基に、侯候補の支持率は選挙本部が設置される10月からは間違いなく上がるので、この同盟が実現する可能性はますます低くなる、と分析したことを紹介した。

果たして結果はその通りになったが、経過には紆余曲折があった。11月15日に開催された柯候補、侯候補、朱立倫国民党主席、仲介役の馬英九元総統による非公開会議では、世論調査と内部投票を利用して選ぶことに合意し、4人は6項目に同意する文書に署名した。が、曖昧な合意内容が侯氏に有利なものだったとされたため、なぜ不利な条件で譲歩したのかと、柯氏は支持者の批判に晒された(19日の「Taipei Times)。

すると両党は翌16日、世論調査をどのように評価するかについて合意に至らず、「統計的誤差の範囲」が何を意味するかについての理解が異なっているため更なる交渉が必要だと発表。18日の協議でも候補者選定法の解釈について意見がまとまらず、結局、柯氏が翌19日の選挙集会で「民衆党の総統候補として最後まで戦い続ける」と述べて、両党による野党共闘は破綻した(24日の「台湾新聞」)。

そもそも柯氏は、最も嫌いなものは「蚊とゴキブリと国民党」だと言って憚らず、民衆党は「緑と青」の政治的分断を乗り越え、新たな政治文化を生み出すことを目的としていると述べて、「オープンで透明な」民主政府を求めていた。だのに、15日の非公開会議で決まった協定に署名してしまい、党とその支持者を裏切った。

加えて柯氏には、「青白同盟」で自分が総統になれると信じ込んでいた節があった。前掲の「Taipei Times」は、「有権者は『青白同盟』の不条理をしっかりと見つめ、その統治能力を再評価すべきだ」と書いて両党を難じている。が、このドタバタ劇は柯候補にはマイナスだったとしても、意外なことに侯候補にはプラスに働いたようだ。

というのも、「ET today民調雲」が24日に行った20歳以上の有権者1348人を対象とした世論調査では、民進党の「頼・蕭」が34.8%でトップではあるものの、国民党の「侯・趙」が32.5%にまで肉薄している。降りた郭台銘票が乗ったこともあろう。他方、柯氏が同盟問題で政治的脆弱さを露呈した民衆党「柯・呉」は21.2%の3位となり、上位両ペアに10%ポイント以上差をつけられた。

高雄の知人はこの結果について、「趙少康は話が上手いし、(中国のプロパガンダに対して)他人事のように無関心な人が多い」と嘆く。が、緑と青の副総統の人選の結果、従来にも増して総統選の争点が明確に「米中どちらを選ぶか」になった。柯氏を支持する若者の多くは台湾人アイデンティティーを持つはずで、中国との統一を望むとは思えない。この際、「頼・蕭」支持に乗り換えたらどうか。

18日、奇美グループの創業者であり、李登輝や陳水扁の顧問も務めた許文龍氏が95歳で亡くなった。13年11月、日本政府は許氏に旭日中綬章を叙したが、筆者は偶さか台南のご自宅でその伝達式に立ち会い、ヴァイオリン演奏も拝聴する栄に浴した。

許氏が生まれ育った台南は「頼・蕭」にも縁が深い。台南の成功大学に通った頼氏は後にその市長を務め、蕭氏も父親の出身地台南で生を受けた。05年に北京の嫌がらせで「一つの中国支持」を言わされた許氏は、その雪恥を「頼・蕭」に託した気がする。