大谷翔平が10年で1千億円を超える未曾有の巨大契約でドジャースを選んだ結果、候補に挙がっていたトロント市民の夢は泡沫(うたかた)と消えた。が、トロントの住民は同じ頃、著名な香港人が9月から同地に居ると知った。19年の香港デモで「可愛い方の」として有名になった民主活動家アグネス・チョウこと周庭(27歳)が「香港には戻らない」と表明したのだ。
3日にSNSでカナダの匿名大学に通っていることを明かした周庭は、6日のNHKインタビューで「私はただ自由に生きたい、そして安全に生きたい。だから香港には戻りません」と述べつつ、「いつか香港が良い場所、自由が保障される、人権が保障される場所、民主的な場所になったら、やっぱり家に帰りたいと思っています」とその苦衷を吐露した。
筆者には「香港⇒トロント」で思い出すことがある。03年当時、頻繁に出張した台北のビルのエレベーターに乗る際、ボタンの中央部が割れているのを奇妙に思ったのだ。聞けば、「SARS」の感染を恐れて皆が「キー」でボタンを押すからだという。日本では余り流行らなかった「SARS」だが、中国や香港、台湾やベトナムでは、華人を中心にかなりの感染者と死者を出した。
遠く離れたカナダでも03年3月26日、オンタリオ州政府が「SARS」への非常事態宣言を出した。解除されるまでの約2ヵ月間で州都トロントの感染者は375人、死者は44人に上った。発端は2月23日に香港からピアソン空港に戻ったトロント在住のKwan Sui-chuという78歳の女性。その頃、隣接する広東省で原因不明の肺炎として「SARS」が大流行していたのだ。
この出来事は筆者に、カナダが超の付く移民国であることを認識させた。トロントの人口比に限った11年の出身地別のデータは、南アジア15.1%、中国9.6%、黒人7.2%、その他マイノリティー15.1%で、白人は53%と辛うじて過半数を占めるに過ぎないことを示している。
21年のカナダ国勢調査で、移民割合が23%(約830万人)と建国以来最高になった。16年からの5年間に130万人が永住権を得、その62%(71年は12%)はアジア・中東からで、欧州は10%(同62%)だった。出生地別では、18.6%のインドが最多、フィリピンの11.4%、中国の8.9%が続く。中国出が多いことが周庭にとって良いのか否かは、今後を注視する必要がある。
というのも、中国外務省の汪文斌報道官が4日、「香港警察は法の支配に挑戦する無責任な行動を強く非難した。中国、香港は法治社会だ。いかなる人にも法外特権はなく、違法行為は法で罰せられる」と、3ヵ月毎の出頭を反故にした周庭を難じたからだ。「悪法もまた法なり」ということだろう。が、「良法」を守らない国が押し付けた「悪法」を守れという発言は、国際社会の嘲笑を買う効果しか生まない。
更に香港行政長官ジョン・リーは5日の会見で、周庭を「うそつき」で「偽善者」だと非難し、逃亡者は「自首しない限り一生追跡される」と激しく糾弾した。今のところ周庭はカナダへの亡命を明言してはいない。が、「一生追跡される」となれば、米英加のいずれかに政治亡命しない訳にはいかなくなった。
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周庭は14年の民主選挙を求める雨傘運動に18歳で参加した。19年春には「逃亡犯条例」改正に反対する民主団体デモシストをネイサン・ローやジョシュア・ウォンらと設立、6月に100万人規模のデモを展開し、区議会議員選挙の民主派予備選を行った。が、北京が慌てて香港に導入した「国家安全維持法」によって20年11月に逮捕・収監され、21年6月に出所した。
雨傘運動の契機となったのは、14年8月の中国全人代常務委員会による香港行政長官選の改革方針決定だった。これにより北京は長官候補を2〜3人とし、全てに指名委の過半数の支持を義務付けるなどを強行した。6月の「一国二制度白書」でも、行政長官は「愛国者」に限ると強調されていて、事実上民主派が排除された。
21年に周庭と同時に逮捕されたジョシュア・ウォンは、別の罪を追加され未だ拘留中だ。一方、海外に亡命したネイサン・ローの両親と兄は23年7月11日、香港警察による家宅捜索の後に連行され事情聴取を受けた。香港警察は4日にも、海外に逃れた活動家8人の逮捕に繋がる情報提供に100万香港ドル(約1800万円)の懸賞金をかけた。周庭を9人目にする気だろう。
周庭が今回明らかにした北京の所業は次のようだ。釈放後も3ヵ月に一度当局に出頭すること、求職や銀行口座開設が困難だったこと、再逮捕の不安でPTSDになったこと、この8月に深圳とテンセントに連れて行かれ、発展ぶりや歴代指導者の業績などを見せられたこと、懺悔書や警察への感謝を書かされたこと、活動家に戻ったり、他の反体制派と接触したりしないと約束させられたこと、これらにより没収されたパスポートが戻ったのはカナダ出国前日だったこと等々。
それにしても、一月後の1月13日に台湾総統選と立法委員選が迫ったこの時期に、3ヵ月の期限付きとはいえ香港警察が民主活動の「女神」を西側社会に出すことを容認した北京は、20年の総統選で蔡英文に記録的な8百万票をもたらした「香港からの風」を忘れたかのようで、間が抜けている。汪文斌やジョン・リーの周庭非難には、予期しなかった事態への慌てぶりが滲む。
早速、民進党の頼清徳候補は9日の立法委員の応援演説で、カナダにいる周庭が北京から終身指名手配されたことに言及し、「香港で起きたことが台湾で起きてはならない」と指摘、他の2候補が「92年合意」と「一つの中国」を受け入れていることについて、「台湾がなくなる」と難じた。併せて、香港は民主的自由を失い、経済は後退したとし、周廷を含む数十万人が香港を去ったことを強調した。
加えて、この10日の香港区議会選挙で27.5%という空前の低投票率だったことも北京には打撃だ。民主派が予備選を実施した19年の選挙では、71%(前回は47%)の投票率を記録、定数470の7割を占めていた建制派は59議席に激減、逆に民主派が388議席を獲得して圧勝した。得票数は民主派160万票(57%)、建制派が120万票(41%)だった。
この結果に驚愕した北京は、香港政庁をして「国家安全維持法」施行後の21年7月、区議に対して「愛国」宣誓を求めるとの方針を表明させた。これに抗議した民主派区議150人以上が辞職し、また宣誓義務化に反対した区議40名以上が議員資格を剥奪されるという異常事態となった。
更に香港政庁は、12月に区議会選挙のある今年に入り、これまた泥縄で選挙規則を改正、18選挙区の直接選挙による議員数を88議席にまで減らし、残り議席も14年に改悪済みの選挙で選ばれた行政長官によって任命されることとした。また各候補者には、自らが「愛国者」であることの証明と政庁が任命した委員会による指名を課した。
この様な八百長選挙に投票する者が27%(推定150万人)もいることにむしろ驚く。が、政庁は投票率を上げるために、前夜にコンサートを開催したり、種々の媒体を通じて投票の重要性を宣伝したり、公務員に投票を呼びかけたり、高齢者ケアホーム入居者に投票補助金を提供したり、大陸に居住する香港住民が投票し易いように本土近くに投票所を設置したりしたという(以上、10日の「VOA」)。
果たして、ここへ来て改めて表面化した周庭問題と区議会選の超低投票率を招いた悪法の押しつけ、これらの台湾総統選への影響や如何に。民主主義下の自由を謳歌し続けるためにも、台湾人には、中国に搦め取られてしまった香港人の嘆きを追い風に、年明け13日の投票日に4年前を再現してもらいたい。