ウィキリークス創業者によるレイプ疑惑の女性が初めて公に声を出す

内部告発サイト「ウィキリークス」は、2010年秋、米国の軍事機密の大量リーク報道で一気に著名になった。

当時は「メガリーク」と呼ばれ、オーストラリア生まれの創業者ジュリアン・アサンジ氏は広く知られる存在となった。しかし、ウィキリークスの評価が高まっていく一方で、2010年夏に滞在したスウェーデンで二人の女性と性的関係を持ったことから、アサンジ氏は最終的にロンドンの刑務所に数年間収監されてしまう。

アサンジ氏を報道の自由の戦士として捉えその釈放を訴えてきた支持者、同氏の妻ステラさん、オーストラリア政府や議員の尽力などによって、アサンジ氏が刑務所を出たのは今年6月である。

翌7月、2人の女性のうちの一人がBBCにその胸の内を初めて語った。

これまでの経緯

時系列を辿ってみる。

2010年秋のメガリーク報道では欧米の主要紙がウィキリークスと編集協力をしながらアフガニスタン戦争、イラク戦争、米外交公電などの機密情報を次々と暴露。これと並行して、先の女性らはスウェーデン当局に性的暴行を届け出た。

英国に住んでいたアサンジ氏はスウェーデンに来て取り調べを受けるよう要請されたがこれに応じず、12月、英警察に性犯罪容疑で逮捕されてしまう。スウェーデンに向かえば米国に移送される可能性があるとアサンジ氏は主張し、移送を拒んだ。2012年5月英最高裁が移送を命じる判断を下すと、アサンジ氏は在英エクアドル大使館に避難し、7年間を大使館から一歩も出ずに過ごした。

メガリークの情報源だった米軍情報分析官チェルシー・マニング氏(当時はブラッド―リ・マニング氏)は10年5月に情報漏えいの疑いで逮捕され、13年にはスパイ罪で有罪となる道を辿る。

筆者は、マニング氏とアサンジ氏の状況を比較せざるを得なくなった。アサンジ氏はスウェーデンに行って、無実であることを主張するべきではないかと思ったのである。

2019年4月、英警察はアサンジ氏が先の性犯罪容疑で保釈条件を破ったという理由で大使館内にいた同氏を逮捕。ロンドンのベルマーシュ刑務所に収監されることになった。同年秋、スウェーデン当局は「時間が経過し、証拠が弱くなった」として、性犯罪容疑の捜査停止を発表した。

今年6月26日、米自治領サイパンの連邦裁判所に出廷したアサンジ氏は、起訴されていた18件の罪のうち米スパイ活動法違反の罪について有罪を認めた。禁錮刑を言い渡されたが、英国の刑務所での収監期間を差し引かれ、約14年ぶりに自由の身となった。

現在、アサンジ氏はオーストラリアに住み、9月1日時点で会見やインタビューには応じていない。

被害者がアサンジ氏に言いたいことは

性加害を通報した2人の女性のうちの一人がスウェーデン人の人権活動アンナ・アーディン氏だ。
同氏はBBCの取材に対し、アサンジ氏が自由の身になったことを喜んでいると述べた。アーディン氏はウィキリークスの報道活動を高く評価し、アサンジ氏はサイトの活動によって投獄されるべきではなかったという。

「戦争の現実を私たちは知るべきだ」。同氏によると、アサンジ氏は「英雄でもなく、怪物でもない。複雑な面を持つ男性だ」。

アーディン氏の本の表紙(ウェブサイトからキャプチャー)

アーディン氏はアサンジ氏との出会いを本にまとめた(「No heroes, no monsters」)。

これによると、アサンジ氏から性的行為を行うよう圧力をかけられ、避妊具を使ってほしいと頼んだが、受け入れられなかったという。また、アサンジ氏は「意図的に避妊具を破った」。もう一人の女性「SW」は眠っている時にアサンジ氏から性加害を受けたという。

アサンジ氏側は性犯罪の訴えは米国政府が仕組んだものと主張し、アーディン氏はネット上で様々な嫌がらせの対象となった。アーディン氏を「米中央情報局の工作員」と呼んだアサンジ支援者もいた。

ネットの攻撃は「まるで地獄のようだった」(アーディン氏)。殺害予告まで出て、アーディン氏は、一時スウェーデンを去ろうと思ったという。

現在も、性犯罪容疑が米当局による陰謀だったと思う人は少なくない。アサンジ氏の支援者で、元ギリシャの金融相ヤニス・バルファキス氏もそんな一人だ。

しかし、米当局による陰謀だったことを示す証拠は未だ見つかっていない。

アーディン氏:アサンジ氏側が広めた説明には「一定の説得力がある」、それは彼が「米国防省を批判したからだ」(だから報復があるのだろうと)。しかし、陰謀説は「嘘」であり、「中傷行為だ」。

2010年12月、BBCとのインタビューの中で、アサンジ氏は「ハニートラップ(女性が色仕掛けで機密情報を取得する策略)である可能性は低い」と述べたものの、何も間違った行為をしていないと主張した。

ジュリアン・アサンジ氏
Wikipediaより

「裁判にかけられるべきだった」

アーディン氏は今でも、アサンジ氏はスウェーデンに来て、裁判にかけられるべきだったと思っている。「でも、もう実現しないので、この点はあきらめました」。

自分への性犯罪容疑が真剣に受け取られなかった理由の1つは、行為自体が暴力的と思われなかったからではないかという。性加害の行為は暴力的で、犠牲者が大きなトラウマに悩まないと、「性加害の犠牲者」としては見てくれない傾向があるのではないか、と。

アーディン氏はこういう。「例え影響力を持つ人物であっても、犯罪に対する処罰から逃れるべきではない」。そして、「アサンジ氏は私にしたようなことをする権利はなかった。この点をしっかりと認めるべきだ。やったことを反省してほしい」。

(「メディア展望」(新聞通信調査会発行)8月号に掲載された、筆者記事に補足しました)


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2024年9月8日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。