カマラ・ハリスが民主党大統領候補に指名されてから初めて応じた8月29日のCNNのインタビューで「迷言」を吐いた。「(私の)価値観は変っていない」と述べたのだ。何故それが「迷言」なのかと言えば、一部の政策に関するハリスのこれまでの主張が、いつのまにか変わってしまったからだ。
そうした政策の一つである米部国境地帯からの不法移民流入についてハリスは、自分はカリフォルニア州司法長官としてこの問題に取り組んできたと得意げに語った。が、彼女は自分が副大統領としてバイデンから任された国境対策を怠り、1千万人とも言われる不法移民を流入させた事実を忘れている。
二つ目は環境問題、即ちシェールガス採掘の「水圧破砕法(フラッキング)」対応である。ハリスは20年の予備選でもフラッキング禁止を明言しており、環境原理主義者から喝采を得ていた画像が残っている。それにも拘らず、彼女はこれについても大統領候補に指名されてから容認すると言い出した。
ダナ・バッシュの質問それ自体は鋭い。が、そこはCNNのアンカー、前者で担当副大統領として職責を果たせなかったことや、後者の「我々はこれまでに達成して来たことを行える」「気候変動は喫緊の課題で、時間に関して期限を設けるなどの評価基準を適用すべきだ」との「顧みて他を言う」回答への更なる追及はない。
そもそもこれらの二つの事案は、21年1月の大統領就任早々にバイデンが署名した大統領令、すなわち「国境の壁の建設中止」と「キーストーンXLパイプライン工事差し止め及びシェールオイル・ガス開発業者への新規国有地賃借禁止」に端を発した、今も存続しているバイデン政権の政策であり、ハリスは今もその政権の副大統領なのである。
筆者は別の拙稿でバイデン政権が続く中で行われる大統領選について、「それはまたハリス元来の左傾した主張が、バイデンのVPであり続ける彼女の言動に大きな制約をもたらす期間でもある」と指摘した。
不法移民での政策変更が接戦州の一つアリゾナ州を意識したものであり、フラッキング容認がペンシルベニア州を念頭に置いたものであるのは明らかだ。
ダナ・バッシュはその場当たり的な部分を追求すべきだったし、10日の討論会でトランプが争点にするのもこうした政策変更であるべきだろう。だがここまで書いて筆者の頭をかすめたことがある。その一つは、例えば河野太郎の「反原発封印」だ。それは「原発推進」への「宗旨替え」ではなく総裁選向けの「封印」である。
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そこで有権者は、政治家のこうした「豹変」あるいは「変節」をどう考えるべきなのだろうか。「豹変」とは元来好ましい変化に使う語なので、候補者の主張が自分の思想信条に合うものに変わるなら「豹変」だし、その逆ならあの候補「変節」した、といった言葉の使い分けになる。
そこでハリスの「(私の)価値観は変っていない」に戻れば、上院議員の中で最も左派急進的だったとされる彼女の「価値観は変っていない」のであれば、不法移民のこともフラッキング容認のことも、選挙期間中だけ「封印」したに過ぎない、と考える方が筆者の腑に落ちる。
そうした観点から自民党総裁選に目を転じれば、そもそも各候補の「価値観」がどうなのか、ということにより光が当てられるべきではなかろうか。それを測る最たる物差しは「皇統の永続」についての考え方だと思う。具体的には「選択的別姓制度」と「女性・女系天皇」を容認するか否認するかである。
前者は、男女共に旧姓での社会生活に支障をきたす事柄の多くが解消されている今日、敢えて戸籍に別姓を記す法律を作ること自体が、日本の伝統や日本人の生活様式を破壊する蟻の一穴になりかねないと心得るべきだ。後者も、二千数百年にわたる男系男子による皇統の維持を危うくする可能性のある「皇室典範」改正になってしまう。
外交安保や経済政策ももちろん重要だ。が、それらも日本という国家が日本らしく存在してこその話であり、これと思う政策なら「豹変」でも「変節」でも良いから、ハリスの様に言い出しっぺを差し置いていつの間にか主張すれば良いのであって、立憲や共産党に居ても出来ることである。
こう書くと別の拙稿「次期総理には「勢力均衡」を解する人物を」を否定するようだが、実はそこでも「『勢力均衡』は措くとしても、男子男系の皇室を守る気のない人物や選択的夫婦別姓で家族制度を壊そうとする者は先ず失格」と結論した。本稿はそのことをカマラ・ハリスの言動から再考した。