(前回:安楽死の是非に正解はあるのか?②)
私は安楽死に賛成の立場ですが、無条件で賛成というわけではありません。安楽死反対派の主張の中には賛同できる部分があります。
反対派が問題視するのは主に以下の2点です。
1. 安楽死の定義があいまい
安楽死の定義があいまいであると、その対象者の範囲が徐々に拡大されてしまう危険があります。安楽死に賛成の人でも、対象者をどのように設定するかについては意見が分かれると考えられます。したがって、安楽死の対象者の範囲を条文に明文化した上で国民投票をする必要があります。
日本で国民投票を実施するとすれば、 次の5項目を満たす人を対象者とするという条件で実施すればよいと私は考えます。
- 治療が困難であり余命6カ月以内と診断されていること
- 絶えがたい苦痛があり、その緩和が容易でないこと
- 2人の独立した医師の診察を受けて、1.および2.の診断を受けていること
- 患者に判断能力があり、安楽死を継続的かつ強固に望んでいること
- 患者には十分な情報が提供されていること
これは癌の末期を想定しています。対象者を絞った上で国民投票は実施されることが望ましいと私は考えます。安楽死では癌患者が最も多いことが報告されています。癌の末期においては、緩和ケアやセデーションによる緩やかな死か安楽死かは、本人が選択できるべきです。
対象者の範囲を拡大または修正したい時は条文を修正した上で、その都度国民投票を実施するべきです。医師や有識者の判断で、済し崩し的に範囲が拡大されることは許されるべきではありません。
そして、5年後に法律を見直すということを明記しておくとよいと考えます。5年間実施してみて看過できない問題が生じた場合には、5年後の国民投票で安楽死を中止、あるいは条件を修正できるようにしておけばよいのです。
論考①において、「有識者や国会議員がするべきことは、正確な情報を国民に提示すると共に、日本に適した不備のない安楽死の制度設計をすることです」と私は主張しました。既に述べたように、安楽死の対象者の範囲を条文に明文化することにより、制度の不備を減らすことが可能となるわけです。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)などの難治で進行性の神経内科疾患に関しては、5年後の国民投票おいて検討されるとよいと考えます。これらの疾患では、耐えがたい苦痛があったとしても、余命6か月とは診断できないため、より慎重な議論が必要になります。前述の4項目の1.は、「病気は徐々に進行して回復の見込みはないこと」となります。
安楽死の議論をする場合には、対象者を限定した上で議論するべきと私は考えます。そうしなければ緻密な議論にはなりません。
現在のスイスやオランダでは、日本人の想像を超えた範囲の疾患が安楽死の対象となっています。次の3つのカテゴリーに分けて議論するべきです。
安楽死A:余命6か月以内と診断されている癌などの患者を対象
安楽死B:徐々に進行し回復の見込みのないALSなどの神経内科疾患の患者を対象
安楽死C:うつ病などの精神疾患、認知症の患者を対象
安楽死Aに反対する人は比較的少ないと考えられます。一方、安楽死Aには賛成であっても、安楽死BやCに反対する人は少なくないことが予想されます。特に安楽死Cは欧米でも反対する人が多いようです。それぞれについて議論することが大切です。十把一絡げの議論は建設的ではありません。
安楽死Aでは耐えがたい痛みや苦痛が問題となるのに対して、安楽死Bでは人間の尊厳の喪失が問題となる場合が多いように思われます。尊厳喪失の理由としては、「しもの世話を何年にもわたり他人にしてもらうこと」などが挙げられます。
参考までに安楽死Bに該当する人の発言を書籍(p.188)より引用しておきます。
「たぶん私は、末期癌だったら安楽死は選んでいないと思うよ。だって期限が決まっているし、最近なら緩和ケアで痛みも取り除けると言われているでしょ? でも、この病気は違うの。先が見えないのよ」
安楽死の手続きに関しても、政令・省令で明文化して、恣意的に変更できないようにしておく必要があります。手続きとは、安楽死の申請後の待機期間、意思確認の回数、立会人の人数、実施時のビデオ撮影の有無、実施後の報告の仕方、報告内容を検証の方法などです。
2. 自己決定権の問題
自己決定権の問題は難しい問題です。自分で安楽死を決めたと言っても、環境からの圧力がどの程度影響したかは精査する必要があります。つまり、家族に対する遠慮や、経済的理由、社会からの圧力などが理由で安楽死を選択した可能性があるわけです。
このような場合、本当に自分で決定したと言えるのか問題があります。社会的弱者が本人の意思に反して安楽死に誘導されてしまうことは防ぐ必要があります。どのように制度設計をするかが問われます。有識者や国会議員の腕の見せ所です。
ただし、これは安楽死を選択しなかった場合にも同様のことが言えます。つまり、周囲の人間が誰も安楽死を選択していない環境では、本当に自分の考えで選択しなかったと言えるのか疑問が残ります。
安楽死を選択しなかった理由は、周囲が安楽死を選択していないことであり、自分の信念に基づく選択ではなかった可能性があるわけです。「みんながやらないのなら自分もやらない」 と考える人は、日本では少なくありません。
【最後に】
安楽死の定義があいまいなことや、自己決定権の問題に対しては、対策すればリスクを最小限にして不備の少ない安楽死制度にすることは可能です。しかし、リスクをゼロにすることは不可能です。リスクがゼロでなければ、安楽死を認めることはできないなどとしていれば、安楽死は半永久的に実施できません。
本論考のような提言をしますと、乱暴な意見だと批判してくる人が必ず現れると予想されます。しかしながら、このような提言を乱暴だと切り捨ててしまうことの方がよほど乱暴だと私は考えます。既に安楽死が実施されている国の報告より、どのような問題点があるかは明らかになっています。
今、日本において政治家、有識者、マスコミがするべきことは、用語を明確に定義した上で、安楽死の問題点を整理して国民に提示し、可能な限りの対策を法律や政令・省令で明文化し、不備のない日本に適した安楽死制度を構築することです。
そして、3~5年程度国民的議論を続けた後に、安楽死の是非の国民投票をすることです。安楽死の法制化や制度設計の議論をタブーとして問題を先送りすることは、怠慢以外の何者でもありません。
【補足】
ALS患者は病状によっては安楽死Aに属します。人工呼吸器の装着は本人の意思で拒否できますので、呼吸機能がある程度低下すれば余命6か月以内となりますので安楽死Aに属することになります。