前回の記事でも書いたが、トランプ大統領が起用したイーロン・マスク氏の政府効率化省(DOGE)が、USAID(米国際開発庁)を閉鎖に追い込んできたことが大きな話題だ。

SNSなどでは、USAIDがディープ・ステートそのもので、悪の秘密結社であったかのような話も流通している。他方、トランプ政権が、完全な作り話で虚偽の陰謀論を広めている、と一笑に付すことも、現状の正確な把握には適切とは言えない。
石破首相がトランプ氏に褒めてもらったと大絶賛している方々に限って、トランプ政権に極めて低評価であるという奇妙な現象も目に付く。「あの頭のおかしいトランプに褒めてもらったのだから石破首相はすごい、これで日本の安全保障は安泰だ、いずれにせよトランプ政権の政策は全ておかしい」といったねじれ現象になっている。
USAIDをめぐる問題群は三つある。
一つは、汚職の疑いだ。トランプ大統領は、石破首相との会談後の記者会見でも、USAIDの予算をめぐって汚職があったことを堂々と述べた。バイデン政権時代のUSAID長官だったサマンサ・パワー氏が、長官在任中にありえない個人資産の増加を果たした、といった話も出てきている。まだ確定的な証拠は出てきていない点には留意しなければならない。
ただ年間予算は日本円換算で6兆円以上(440億ドル)で、無償の支援を行う機関だ。日本のJICAの無償支援の予算が1500億円程度であることと比較すれば、USAIDがいかに巨大な存在であったかがわかるだろう。お金の動きは、相当な精査をへないと、完全には解明されない。
第二が、トランプ政権の「常識の革命」に反したお金の使い方のキャンセルだ。気候変動や、ジェンダー関連の活動への支援に対する予算執行は、トランプ政権によって無効化される。これは、汚職とは一線を画して考えるべき問題である。アメリカの政権転換によって、USAIDの価値観が否定された。
第三が、トランプ政権の外交政策に合致しないお金の使い方の見直しだ。今後のトランプ政権の外交政策を占うために注目されるのは、この点である。
USAIDは単なる人道援助のような活動だけを行っていたわけではない。「民主化支援」の名目で、世界各地のメディアや言論人・組織に、巨額の援助を行っていたことは、事実である。前回述べたように、親米派と反米派の政争が激しくなるほど、その国にUSAIDをはじめとするアメリカ系組織の「民主化支援」の資金が注ぎ込まれることは、過去数十年にわたる国際社会の常識と言ってよい現実である。
USAIDの前長官であるサマンサ・パワー氏は、オバマ政権時代には国連大使を務めていた大物である。歴代USAID長官としては初めて、NSC(国家安全保障会議)にも出席するメンバーとなっていた。オバマ政権とバイデン政権の時代に、USAIDの予算は顕著に増加した。「民主主義vs権威主義」の世界観に基づいた「自由民主主義の勝利」の立役者となることが、USAIDにも期待されていたことは、端的な事実である。
トランプ政権によるUSAID批判の対象には、こうしたイデオロギー的立ち位置によって全く評価が変わる「民主化支援」政策そのものもが含まれている。USAIDを閉鎖することによって、トランプ政権は、その外交政策の方向性の一端を明らかにしていると言える。たとえばトランプ政権の公約であるロシア・ウクライナ戦争の停戦に向かって、USAIDの閉鎖は、ウクライナに対する巨大な負荷になる。
冷戦終焉後に語られた「自由民主主義の勝利」の物語に基づく歴史観は、トランプ政権によって終止符を打たれようとしている。民主主義の波はとどまることなく世界中を席捲していく、という思想は、トランプ政権では、存在しない。
このように言うことは、トランプ政権が「反」自由主義だ、と言うことと同じではない。ただ、民主主義の輸出への関心はなくなった、ということだ。
代わって19世紀アメリカのモンロー・ドクトリンに象徴される「強さによる平和(peace through strength)」の思想が、真剣に語られている。
日本の石破首相は、万全の準備を施してトランプ大統領に褒めてもらい、日米同盟堅持の政策を確認した。そのとき「クアッド」や「自由で開かれたインド太平洋」のような同盟関係の確認に資する概念は強調されたが、もはや「法の支配」などの理念は語られなくなった。
日本の知識人層は、こぞってトランプ大統領を愚弄し、批判している。他方、石破首相が、理念を脇に置いてトランプ大統領に取り入ると、絶賛する。頭が悪いが腕力の強い大国の大統領に気に入られることが、それ自体として、絶対目標となっている、という状況である。
日本的、あまりに日本的と言えばそれまでだが、果たして日本は、この姿勢で持続可能な外交政策を発展させていくことができるのか。私個人は、あまり楽観的な気持ちではない。
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「篠田英朗国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月2回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。