「オープンレター秘録」はあと3回は続くのだが、新たな回を割くには矮小なネット中傷が行われたので、以下と同じく単発で手短かに。

BlueskyというSNSがある。イーロン・マスクが買収してXに変わって以来、「Twitterの居心地が悪い」と感じる人の引っ越し先のひとつだ(他にはMastodonとThreads)。とはいえ新興なので、ユーザー数はだいぶ少ない。
それ自体はなんの問題もないのだが、私のようにXで行われた中傷にきちんとやり返していると、「じゃあバレないように、あいつの陰口はBlueskyで言おう」とする人も出てくるらしい。

オープンレターの署名者で、Xを使いストーカーのように私につきまとってきた嶋理人という人がいる。熊本学園大学の准教授が本業なのだが、業績がほぼなくXでの「墨東公安委員会」なるハンドルネームの方が有名で、雑誌に書く際もそちらを併記する変わった学者だ。

最近は静かだなと思っていたら、案の定この人物、Blueskyでは私をこう中傷していたらしい。

赤線は引用者
例によって、歴史学者を自称するこの人の中傷は事実無根だ。ひとつ目の下線部だが、何度も示したように、オープンレター(魚拓あり)には、呉座勇一氏らを非難すべき理由を説く文脈で、

このような、マジョリティからマイノリティへの攻撃のハードルを下げるコミュニケーション様式は、……最近ではトランスジェンダーの人びとへの差別的言動などにおいても同様によく見られるものです。
強調は引用者
との文言が、現にある。
さらに、呉座氏が自身を「あらゆる社会的弱者に対する、長年の性差別・ハラスメント行為」と形容した、日本歴史学協会と争った民事訴訟では、協会の側が、同氏は「トランスジェンダー差別も行っていた」として、法廷にも(彼らの主張する)証拠を持ち出した。

「東大教授」とはおそらく、
当時「女性装」と呼ばれていた安冨歩氏。
詳しくはこちらを
名誉毀損の有無を争う司法の場で、「お前は差別をした!」と糾弾されても「批判もされていない」ことになるなら、いったいなにが批判なのか。
ふたつ目の下線部も、まさしく中傷である。そもそも私は「トランスジェンダリズム浸透に手を貸す者は人格劣等者だ」などと主張したことは、いまも昔も一度もない。

史料批判を経て署名した教員は、それらのすべての場面で「私はトランスジェンダーで、女性だ」と主張する人を、一切の例外なく受け入れなければならない。オープンレターが実際には「いかなる史料か」をわかった上で、職名を掲げて本名でサインした以上、そうしないなら「嘘つき」であり、研究能力か人格かに欠陥がある。
強調箇所を変更
上記のとおり私の主張は、ネット署名で(実質的に)トランスジェンダリズムに賛同しながら、「でも自分の職場は別」といったダブル・スタンダードな振るまいを示す教員がいるなら、人として不誠実だというだけの、あたりまえの話である。
この発言も、もちろん事実無根だ。私は世論に乗ってメディアをジャックし、根拠なく自身の主張だけを正しいものとして誇り、SNSでも異論を潰すよう煽るイキった一部の専門家を批判しているだけで、「現代日本の専門家はすべて無能だ」などと唱えたことは一切ない。
ウクライナ戦争なら、書籍で小泉悠氏、動画で細谷雄一氏という、誰もが認める専門家と直接対話している。もし私が「専門家はすべて無能だ」と思っているなら、そんなことをするはずがない。


コロナ禍でも、2020年9月のムックでは唐木英明氏(薬理学。元日本学術会議副会長)、21年2月の週刊誌では宮沢孝幸氏(ウイルス学。宮台真司氏との鼎談)と議論する形で、当時の俗見を批判した。そうした実績がないのは、嶋氏の方である。
つまり、にわかにTVに露出した学者を「すべての専門家」の代表だと勝手に見なし、その主張をなぞる自分を「センモンカと同じ立場の俺ってジッショー的!」と信じ込む自慰的な情報弱者である嶋氏が、優れた学者との討議に基づき異論を唱えた私を「コイツは専門家全員を否定したぞ!」と、カン違いに基づき中傷しているだけなのだ。
同氏は他にも2つほど、同様の中傷発言を発しているが、卑小すぎるからその批判は後日にしよう。
むしろ読者に注意を呼びかけたいのは、嶋氏のような署名者に留まらず、呼びかけ人を務めたオープンレターの中心人物が、差別と中傷を繰り返すこの「歴史学者」(?)をいまも味方として扱い、Blueskyで肯定と拡散を繰り広げていることだ。

隠岐さや香氏と
saebouこと北村紗衣氏は、
共にオープンレター呼びかけ人
おそらくこの人たちは、「……なんでバレたんだろう」といま思っているだろう。先述の通りBlueskyのユーザー数は、Xより遥かに少ない。Xで5万名のフォロワーを有する北村紗衣氏が、Blueskyでは5400人強だから、ざっくり言って1/10だ。
この疑問に対しては、そもそもオープンレターが出される発端となった、呉座勇一氏の鍵アカウントでの陰口に対する、北村氏自身のコメントを再掲しておけば足りるであろう。

5000人以上いて、鍵もなければ
「普通に漏れる」でしょうね
(2021.4.1の文春オンラインより)
ちなみにSNSが乱立した結果、「BlueskyとX」のように、複数のSNSに同時投稿できるツールもあるそうだ。これは有識者のネット上のモラルを評価する際、大事な判定ポイントになる。
ツールの利用歴があるにもかかわらず、「Blueskyでは言うが、Xには流さない」形の発言をした場合、それはバレないように陰口で中傷することを、最初から意図していたことの傍証だからだ。今後はそうした厳しい監視が、差別発言歴のある嶋氏のような「前科者」には科されるだろう。

しかし私自身、かつては彼らと同じ「Twitterを使う大学教員」だった者として、いま思う。
オープンレターで大敗北を喫し、フォロワー数が9割減となるBlueskyに逃走してもなお、学者とは気に入らない相手の中傷をやめられない動物なのだろうか。もしそうなら、学問の意義とはなにか。

同時期の隠岐さや香氏のX。
逃げ出す気持ち自体は
よく理解できます
嶋理人氏の数ある暴言の中で、特筆すべき以下のものについては、従来も紹介してきた。彼自身の表現に倣って、こうした「学者」による下品な中傷行為については、私もまた ”豚の嘶き” と呼ぶことにしている。

最初に指摘したのは
2021年12月のこちらの記事。
本人は撤回も反省もしない模様
忘れてしまった人が多いが、Twitterへの投稿を指す「ツイート」の語源は、”鳥のさえずり”。SNSの開幕期に夢見られた、自由に開かれた爽やかな言論の空間を取り戻したいという想いが、 ”青空” という命名には込められていよう。
しかし世間の目につかぬよう、そこに潜んでこっそり中傷を続ける学者たちを見るかぎり、Xでの敗者が「遠吠え」する場所としてのBlueskyもまた、遠からずOinkfarm(嘶き牧場)になってしまいそうだ。空が青く晴れたところで、泥にまみれて嘶く動物の生態は変わらない。
変えるべきはSNSの仕様ではなく、使う人の質であること。これだけが正しい意味で、いつの世も変わらぬ真理である。
(ヘッダー写真は、カインズのペット飼育サイトより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年3月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。