日本が“技術立国”として再起動するために:順応から創造へ

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1. はじめに

かつて日本は「技術立国」と呼ばれ、世界からその技術力と生産力に対して賞賛を集めていた。だが21世紀に入り、日本社会の様相は大きく変わってきている。いまや「観光立国」という言葉が国策の一つとして掲げられ、多くの外国人観光客が日本を訪れることが経済活性化の鍵とされている。しかし、これは果たして日本が進むべき成熟国家の姿なのだろうか。

本稿では、日本が制度に過度に順応してきた歴史的背景と文化的土壌を振り返りつつ、真に持続可能な未来を拓くには「制度順応」から「制度創造」への転換が不可欠であることを論じたい。

2. 技術立国から観光立国へ──表層的な経済シフトの危うさ

1980年代、日本は世界に名だたる「技術立国」として評価されていた。自動車、家電、半導体といった分野において、卓越した技術力と品質管理で世界市場を席巻した。しかし2000年代以降、バブル崩壊とグローバル競争の激化、そして少子高齢化の進行により、国内の産業基盤は次第に衰退の兆しを見せるようになった。

その一方で、訪日観光客数の急増や円安効果により、観光業への期待が高まり、「観光立国」が掲げられるようになった。

京都・嵐山や浅草、奈良、北海道などの観光地は、今や海外からの観光客で溢れ返っている。舞妓が写真撮影を求められ、通勤バスが外国人で混雑し、地元住民の生活が圧迫される場面すら見受けられる。

経済的なメリットは否定できないが、それが「日本の本質」を消費される対象へと転換しているのであれば、注意が必要である。技術と産業の力で支えてきた日本が、果たして単なる観光資源の供給国となってよいのだろうか。

3. 規格で制する欧州、特許で勝つ米国、制度に従う日本

国際的な制度設計の中で、日本は常に“従う側”に回ってきた。欧州はISOやCEマークといった規格によって、「制度の輸出」によって市場をコントロールする手法を確立してきた。

一方の米国は、特許制度を武器に技術の優位性と市場の囲い込みを実現してきた。日本はこれら両者の制度に“まじめに”従う形で、世界市場に対応してきた。

筆者が米国企業に勤めていた当時、現地の幹部たちは「ISO14000は知っているし理念には共感するが、我々は自社の環境管理システムを持っている」と述べていた。つまり、制度を理解した上で、自らの哲学と経験に基づく独自の方法論を採用していたのである。対照的に日本では、「欧州で売るにはISO取得が必須だから」との理由で、ISOをそのまま導入する企業が続出した。

こうした制度依存の姿勢は、短期的にはビジネス上の合理性を持つものの、長期的には主体性の喪失につながる。制度が要求する基準を満たすことが目的化し、制度そのものの意義や、制度を自ら設計するという発想は、置き去りにされてしまう。

4. 制度信仰の根源──文化的な背景と戦後の教育構造

このような制度への順応姿勢は、単に経済的合理性からくるものではなく、より深い文化的背景に根ざしている。

戦後日本は、「形式への忠実さ」「規範意識」「評価への適応」を重視する教育と官僚的社会システムを構築してきた。規格に従うことは「誠実さ」の証とされ、枠組みの中での最適化こそが「優秀さ」と評価された。

この構造の中では、「制度に疑問を持つこと」や「制度を改変しようとすること」は、しばしば逸脱や不安定要素とみなされてきた。結果として、多くの組織や個人が制度に“忠実に従う”ことを美徳とし、それを越えて創造的に制度を“変えていく”という発想が根付きにくくなった。

ISO14000や環境マネジメントの分野でも、取得や認証といった“結果”が重視され、そのプロセスや現場での意味づけ、継続的改善の精神が置き去りにされる例が後を絶たない。制度は本来、目的に向かって柔軟に設計されるべきものである。しかし日本では、制度が“目的そのもの”となりつつある。

5. 制度依存がもたらす創造性の空洞化──「制度の外」に立つ想像力

制度に従うことは悪ではない。むしろ制度があるからこそ、公平性や透明性が担保され、社会の安定が実現する。しかし、制度が「絶対化」されたとき、人間の創造力はその枠内に閉じ込められてしまう。

制度に守られ、制度に信頼を置き、制度に従うことが唯一の行動原理となったとき、現場の創意工夫や独自の挑戦は抑圧される。そして、制度そのものを設計し、世界に提案する力もまた失われるのである。

かつて日本が「ものづくり大国」として輝いていたのは、製品や品質だけでなく、製造現場における不断の改善と現場起点の創造性があったからだ。

制度の内側からの最適化を超えて、制度の外側に立って制度そのものを問い直す──そうした想像力が、いまの日本には必要とされている。

6. 炭素共生──制度創造へ向けた日本的発想のひとつとして

現在の脱炭素政策は、制度としての制約が多く、企業や現場にとって柔軟な判断や技術開発を妨げる要因となることも少なくない。こうした背景の中で、筆者は「炭素共生」という発想を、新たな制度構想の一例として提案してみたい。

この考え方は、炭素を単に削減対象とするのではなく、“生命を育み自然を形づくる根源的な資源”と見なし、技術開発・産業設計の方向性を変えていこうとするものだ。過剰な制度依存ではなく、自主的で創造的な環境技術や製品開発を後押しする枠組みとしての制度再設計に資するものと考えている。

このような制度提案が、単に欧州の制度を輸入するのではなく、日本から新たな技術的・制度的ビジョンを世界に発信する契機になるのであれば、日本は「制度順応国」から「創造国」への脱皮を果たすことができるであろう。技術立国の復権を目指す上でも、このような主体的提案こそが求められているのではないだろうか。

7. 結論──制度順応から創造への文明的転換

日本が今後も持続可能な社会として歩んでいくためには、制度にまじめに従うという“美徳”を見直す必要がある。必要なのは、制度を理解し、その上で必要に応じて改変し、あるいは新たな制度を生み出す「制度創造力」である。

観光立国という道は、経済の選択肢の一つであるに過ぎない。むしろ日本が再び「技術と思想で世界に提案する国」になるためには、形式的な制度の順守ではなく、歴史・思想・文化を伴った制度創造の力を取り戻す必要がある。

制度順応から創造へ──それは単なる経済政策の転換ではない。日本が“技術立国”として再起動するための“核心的な課題”であると考える。