5月8日は第2次世界大戦が終戦した日であり、今年は80年の筋目の年を迎えたこともあって、フランス、ドイツ、オーストリアなど欧州各地で追悼記念集会が開かれた。同じ8日、バチカン市で新しいローマ教皇レオ14世が誕生したこともあって、話題が分散した感じだが、書き記したいことがあるので報告する。

ドワイト・D・アイゼンハワー Wikipediaより
世界史を学んだ人ならば既にご存じのことだが、連合国遠征軍最高司令官ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワーの話だ。アイゼンハワーは後日、第34代米大統領(任期1953年~61年)に選出されている。
アイゼンハワーは1944年6月6日、ヨーロッパ反攻作戦として「オーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)」の計画を決断し、上陸作戦を成功させ、ナチス軍の壊滅をもたらした。
5月8日はドイツ・ナチ軍が無条件降伏した日だが、その数週間前、ドイツ入りしたアイゼンハワー(1890年~1969年)はナチス軍が運営していた強制収容所を視察し、その余りにも悲惨な状況に驚くとともに、「この戦争犯罪を記録しなければならない」と述べ、軍関係者に「写真を撮り、フイルムを作成し、収容所から解放された人々にインタビューしてその証言を記録せよ」と命令したという。
オーストリアの歴史学者マルチナ・ヴィンケルホファー氏は日刊紙クローネ日曜版(5月4日号)に「戦争終焉80年」と題した記事を掲載し、その中でアイゼンハワーの戦争終焉直後の言動を記していた。
当時54歳だったアイゼンハワーは「将来、このような人道的犯罪は起きなかったと言わせない為に、全てを記録せよ」と強調し、解放された人々から直接、どのように虐待されたかなどを詳しく聞くだけではなく、戦争に関与しなかったドイツ国民を強制収容所に招き、ドイツ・ナチス軍の蛮行の話を語る生存者の話を聞かせている。全ては「このような蛮行はなかった」と将来、否定する人が出てこないために、蛮行を文章化し、フイルムに収め、写真を撮らせている。
アイゼンハワーの懸念は決して過剰な反応ではなかったことが後日、明らかになっていく。ドイツでは現在、極右「ドイツのために選択肢」(AfD)の活動禁止の是非が大きなテーマとなっている。ドイツ情報機関の憲法擁護庁(BfV)が2日、1108頁にも及ぶAfDメンバーの言動をまとめた内部報告書をまとめ、「AfDは右翼過激派である」と断定し、危険団体として監視対象としたことが明らかになったばかりだ。
ドイツのユダヤ人中央評議会のヨーゼフ・シュスター会長は「ドイツで益々多くの人々が政治的信念からAfDを選んでおり、極右イデオロギーが顕在化している」と指摘している。
例えば、テューリンゲン州のAfD代表ビョルン・ヘッケ氏は過去、国家社会主義の言葉を彷彿させるレトリックを常用し、国家社会主義に基づく専制政治を公然と主張し、ホロコースト記念碑を「恥の記念碑」と呼び、ドイツの過去に対する悔恨を「過度なもの」として捉えている。極右思想の中核にある「民族的純粋性」や「国家主義」に通じる思想だ。ドイツでは若者の間でAfDの支持者が増えている。アイゼンハワーが恐れていた状況だ。ユダヤ人大虐殺は虚構であり、ガス室は存在しなかったと信じているドイツ人すらいるのだ。
ドイツでシュタインマイヤー大統領は8日、連邦議会でナチス・ドイツが連合国に敗北して80年を迎えたことに関連し、記念演説をし、「過去と向かい合う一方、自由と民主主義を積極的に擁護していこう」と国民に呼びかけた。同大統領はまた、「戦後、世界の安全体制構築で大きな役割を果たした米国で今日、自国最優先を主張する政権が登場してきた」と述べ、トランプ政権を間接的に批判した。ちなみに、バンス米副大統領、ルビオ国務長官、そしてイーロン・マスク氏らトランプ政権を支える最側近たちがAfDを支援する一方、ドイツを民主主義を蹂躙する専制主義国家と批判している。
人間の記憶は選択的だ。自身に好ましい記憶を保持,補足する一方、好ましくない記憶は時間の経過とともに排除、削除していく。個人だけではなく、国家レベルでも程度の差こそあれ同じだ。アイゼンハワーはそのことをよく知っていたのだ。
ロシアで9日、対独戦勝80年記念日を迎え、モスクワの「赤の広場」で軍事パレードが挙行されたが、プーチン大統領は演説の中で、対独戦争の勝利を誇示する一方、ウクライナ侵攻を正当化している。歴史的出来事を客観的に伝達する作業は戦後80年が経過した今日も依然、容易ではないのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年5月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。