今月の頭に、トランスジェンダリズムがダミーサークル化する動きについて報告した。「トランス女性は100%の女性なので、生物学的な性差を考慮せず、女性専用の施設を当然に利用できる」とする主張は、本場だった英米でも公的に否定されてメッキが剥げ、近日はもう人気がない。
そのため「新しいフェミニズムを学びませんか?」のように、自らの正体を隠して研究会を立ち上げ、こっそり自身のイデオロギーを刷り込み浸透させる方針に転換したようだ。大学のキャンパスでは新左翼のセクトや、(彼らと抗争した)旧統一教会が多用したことで、おなじみの手法である。

日本には思想信条の自由も、結社の自由もあるので、(退会を認めない等の人権侵害がなければ)そうしたグループ作り自体を止めることはできない。しかし自らの正体を偽装した勢力が、既存の学会の乗っ取りを目論むようでは、話は別だ。それこそ「学問の自由」に関わってくる。
先日の記事でも紹介したが、標的にされたのは「日本女性学会」。1979年の設立で、女性史をはじめとした、日本のフェミニズム研究の老舗だ。
上のリンクをぜひ読んでほしいが、”乗っ取り” の試みを告発しているのは、同学会の代表幹事を務めた佐藤文香氏。おそらく女性自衛官を分析した『軍事組織とジェンダー』(2004年)などで知られる、一橋大学教授の佐藤氏かと思われる。
経緯としては、①2024年6月の大会で「表現・出版・学問の自由」を扱った分科会に対して、内容が「差別的だ」とする批判が寄せられた。学会側は録音や聞き取りも含めて調査し、②25年2月に幹事会での承認を経て、ヤジが飛び交うなど進行の不手際は反省すべきだが、企画自体が「差別的なものではなかった」との報告書を公表した。
ところが③25年4月に、幹事会のメンバーだった者を含む一部の研究者が、「有志」を名乗ってネットで報告書を批判する署名への賛同を募り出し、拡散に学会の公式メーリングリストを利用した。結果として、報告書を否定することが学会の総意であるかのような誤解が広がり、学会の会員以外からも多数の署名者が出る事態となった。
想像がつくと思うが、例によって「差別だ!」と一方的に宣言し、署名の形で数の力を振りかざしているのは、TRAと呼ばれるトランスジェンダリストのようだ。実際に、問題の分科会を聴講していた千田有紀氏の記事から、仔細がわかる。

学会での発表は「表現の自由」をめぐってのもので、トランスジェンダーをメインの焦点にしたものでもなく、憲法学の中里見博さんの話などはとても勉強になりました。質疑応答の過程で、酷い野次や性的指向に関しての暴言は、トランス擁護派の方たちから(も?)起こりました
(中 略)
ところが部会に参加されていなかった幹事が反対を振り切って「学会として検証する」といい、その結果発表はトランス差別ではなかったとしか認定できなかったら、まさにその検証をおこなった幹事が呼びかけ人となって、自分たちの書いた報告書を否定して、周囲のひとたちに「差別だから署名してくれ」と署名が始まったという次第です
千田有紀氏note(2025.5.14)
リンクと強調は引用者
千田氏は『日本型近代家族』(2011年)などの著書がある家族社会学のベテランだが、2020年以来、コロナ禍のステイホームと相まったSNSでのTRAの流行の下で、トランス女性を「差別した」とのレッテルを貼られバッシングに遭ってきた。この問題については、すでに採り上げている。

さて以下が、当該の「自分たちが作った報告書を、”有志” と称して、勝手に学会外から数の力を集めて否定する」署名運動のページだが、類似の試みが大失敗に終わったオープンレター事件(2021年)の「反省」を、悪い意味で踏まえていることが見てとれる。すなわち、
・報告書の結論を実質的に否定する「反省の表明」と、一般論として差別反対の旨だけを述べる「声明および賛同の呼びかけ」の二部構成に分け、後者に関して「日本女性学会員に限らず、賛同いただける方はどなたでも賛意をお寄せください」と呼びかけている。
・したがって、前半の事実関係を知らない人にも「差別に反対だから」として署名させ、後に問題になっても「サインしたのは後半部だけです」と言い逃れ可能な余地を残している。
・批判を受けた後に、学会の総意と誤解して署名した場合は「撤回を受けつける」との声明をいちおう出している。
・さすがにメアドの記入は必須とし、「署名偽造」に備えて本人確認をしている。
・とはいえ、カナのみで正しい表記を判定不能な姓名を記し「肩書なし」など、通常は一筆とは認められない署名が多数含まれている。末尾には「匿名204名」といった記載すらあり、第三者には真偽がまったくわからない。
……という次第なのだ。

千田氏も言うように、①問題の分科会を見ておらず、なにが起きたか知らない状態の、②学会の会員ですらなく、当該の学問分野の水準に通じていない部外者を巻き込んで、特定の発表を「差別だ」と断定し、排除を煽る行為はきわめて危険だ。
たとえば「昭和天皇の戦争指導」や「大東亜共栄圏の実態」を扱う歴史学の発表は、時に学会の外の人を怒らせる。実際に「日本人差別だ!」とネットで騒いだり、怒鳴り込んだりする人もいる。このとき学会内で発表内容に異論を持つ者が、そうした外部からの圧力を使って論敵の排除に乗り出せば、学問の自由は失われる。
絵空事の「if」ではない。学問の自由の弾圧というと、なぜか「政府が行うもの」だと勝手に決めている人が多いが、戦前の日本では民間主導で幾多の事件が起きたことは、たとえば以下のWikipediaだけでもわかる。
こうした現象のハシリは、明治期の「神道は祭天の古俗」事件(1892年)だが、論文が歴史学の学会誌に載った時点では、なんの問題も起きなかった。一般誌に転載された後に、「当事者」である神道家や学問的なアマチュアが、侮辱だとして撤回を要求し、著者の久米邦武は大学を追われた。
しかしいまや、学会発表をめぐり大学の研究者(の一部)が、学会に属さないメンバーを自ら呼び込んで「差別」や「侮辱」の認定を行い、異なる学説を潰そうとする。つまり戦前回帰どころか、それ以下である。

最後に例によって、2021年のオープンレターの呼びかけ人(2名が離脱し、最後まで残った16名)の動向を掲げておこう。5/21時点で見るかぎり、ちょうど半数の以下の8名が、今回も「日本女性学会への介入」に署名していることが確認された。
清水晶子(東京大学教員)
松尾亜紀子(エトセトラブックス)
小宮友根(東北学院大学地域総合学部准教授)
北村紗衣(武蔵大学教授)
山口智美(立命館大学教員)
隠岐さや香(東京大学教育学研究科・教授)
小林えみ(よはく舎)
河野真太郎(専修大学)
今回の署名順と肩書に基づく
5年前は世相を騒がせた「日本学術会議問題」も、もはやすっかり笛吹けど誰も踊らずである。戦後80年の今年、民間の運動体が「学問の自由」を侵害し、自由な言論を萎縮させて戦争に向かった歴史の教訓を思い出すために、とりわけリベラルな各紙誌はぜひ、この問題を採り上げられたい。

学問の自由を叫ぶ動画より。
お名前と背景はこちらを参照
参考記事:



(ヘッダーは「天皇機関説」のWikipedia より。今なら「片言隻句を捉えて差別者とは何事」でしょう。事件の主導者は民間右翼と野党でした)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年5月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。