ある "学会乗っ取り" の背景:トランスジェンダリズムは「戦前の右翼」である

今月の頭に、トランスジェンダリズムがダミーサークル化する動きについて報告した。「トランス女性は100%の女性なので、生物学的な性差を考慮せず、女性専用の施設を当然に利用できる」とする主張は、本場だった英米でも公的に否定されてメッキが剥げ、近日はもう人気がない。

そのため「新しいフェミニズムを学びませんか?」のように、自らの正体を隠して研究会を立ち上げ、こっそり自身のイデオロギーを刷り込み浸透させる方針に転換したようだ。大学のキャンパスでは新左翼のセクトや、(彼らと抗争した)旧統一教会が多用したことで、おなじみの手法である。

旧統一教会化するオープンレターズ?:「現代フェミニズム研究会」を読み解く|與那覇潤の論説Bistro
5/10(土)に、専修大学で第1回の「現代フェミニズム研究会」が開催される。参加費や事前の申し込みは不要で、誰でも聞きに行けるそうだ。 第1回とあるとおり、立ち上がったばかりのサークルのようなもので、正式な学会等ではないから、ふつうの人は存在も知らないだろう。しかし、ネット上のトランスジェンダー問題ウォッチャーにとっ...

日本には思想信条の自由も、結社の自由もあるので、(退会を認めない等の人権侵害がなければ)そうしたグループ作り自体を止めることはできない。しかし自らの正体を偽装した勢力が、既存の学会の乗っ取りを目論むようでは、話は別だ。それこそ「学問の自由」に関わってくる。

先日の記事でも紹介したが、標的にされたのは「日本女性学会」。1979年の設立で、女性史をはじめとした、日本のフェミニズム研究の老舗だ。

日本女性学会への声明の背景に対する説明とガバナンスの機能不全について|日本女性学会第23期有志と元代表幹事
私たち、日本女性学会 第23期元代表幹事佐藤文香と、幹事有志一同は以下のような説明の文章を会員向けに出させていただきました。「『日本女性学会2024年大会分科会調査報告書』を受けての反省の表明 および 女性学・ジェンダー研究の発展と多様性の尊重をもとめる声明への賛同の呼びかけ」が出された背景と、現在の幹事会のガバナンス...

上のリンクをぜひ読んでほしいが、”乗っ取り” の試みを告発しているのは、同学会の代表幹事を務めた佐藤文香氏。おそらく女性自衛官を分析した『軍事組織とジェンダー』(2004年)などで知られる、一橋大学教授の佐藤氏かと思われる。

経緯としては、①2024年6月の大会で「表現・出版・学問の自由」を扱った分科会に対して、内容が「差別的だ」とする批判が寄せられた。学会側は録音や聞き取りも含めて調査し、②25年2月に幹事会での承認を経て、ヤジが飛び交うなど進行の不手際は反省すべきだが、企画自体が「差別的なものではなかった」との報告書を公表した。

ところが③25年4月に、幹事会のメンバーだった者を含む一部の研究者が、「有志」を名乗ってネットで報告書を批判する署名への賛同を募り出し、拡散に学会の公式メーリングリストを利用した。結果として、報告書を否定することが学会の総意であるかのような誤解が広がり、学会の会員以外からも多数の署名者が出る事態となった。

想像がつくと思うが、例によって「差別だ!」と一方的に宣言し、署名の形で数の力を振りかざしているのは、TRAと呼ばれるトランスジェンダリストのようだ。実際に、問題の分科会を聴講していた千田有紀氏の記事から、仔細がわかる。

日本女性学会に関するお願い|千田有紀
以下は、私がFacebookに友達限定で公開したものです。やはり多くのひとに読んでもらったほうがいいと思いなおし、誤字脱字等を直して一部補足し、公開させていただきます。 2025年4月21日に「『日本女性学会2024年大会分科会調査報告書』を受けての反省の表明 および女性学・ジェンダー研究の発展と多様性の尊重をもとめ...

学会での発表は「表現の自由」をめぐってのもので、トランスジェンダーをメインの焦点にしたものでもなく、憲法学の中里見博さんの話などはとても勉強になりました。質疑応答の過程で、酷い野次や性的指向に関しての暴言は、トランス擁護派の方たちから(も?)起こりました
(中 略)
ところが部会に参加されていなかった幹事が反対を振り切って「学会として検証する」といい、その結果発表はトランス差別ではなかったとしか認定できなかったら、まさにその検証をおこなった幹事が呼びかけ人となって、自分たちの書いた報告書を否定して、周囲のひとたちに「差別だから署名してくれ」と署名が始まったという次第です

千田有紀氏note(2025.5.14)
リンクと強調は引用者

千田氏は『日本型近代家族』(2011年)などの著書がある家族社会学のベテランだが、2020年以来、コロナ禍のステイホームと相まったSNSでのTRAの流行の下で、トランス女性を「差別した」とのレッテルを貼られバッシングに遭ってきた。この問題については、すでに採り上げている。

オープンレター秘録② 「コロナの副作用」が日本のトランス問題を生んだ|Yonaha Jun
連載の1回目で、私はかつて一世を風靡し、いまや「バカな学者」の代名詞となっているオープンレター(2021年4月)が、事実上はTRAの別動隊であることを、初期から把握していたと述べた。 TRA(Trans Rights Activists)とは、本人がトランスジェンダーか否かを問わず、トランスジェンダーの「権利」を最大...

さて以下が、当該の「自分たちが作った報告書を、”有志” と称して、勝手に学会外から数の力を集めて否定する」署名運動のページだが、類似の試みが大失敗に終わったオープンレター事件(2021年)の「反省」を、悪い意味で踏まえていることが見てとれる。すなわち、

・報告書の結論を実質的に否定する「反省の表明」と、一般論として差別反対の旨だけを述べる「声明および賛同の呼びかけ」の二部構成に分け、後者に関して「日本女性学会員に限らず、賛同いただける方はどなたでも賛意をお寄せください」と呼びかけている。

・したがって、前半の事実関係を知らない人にも「差別に反対だから」として署名させ、後に問題になっても「サインしたのは後半部だけです」と言い逃れ可能な余地を残している。

・批判を受けた後に、学会の総意と誤解して署名した場合は「撤回を受けつける」との声明をいちおう出している。

・さすがにメアドの記入は必須とし、「署名偽造」に備えて本人確認をしている。

・とはいえ、カナのみで正しい表記を判定不能な姓名を記し「肩書なし」など、通常は一筆とは認められない署名が多数含まれている。末尾には「匿名204名」といった記載すらあり、第三者には真偽がまったくわからない。

……という次第なのだ。

有志による声明

千田氏も言うように、①問題の分科会を見ておらず、なにが起きたか知らない状態の、②学会の会員ですらなく、当該の学問分野の水準に通じていない部外者を巻き込んで、特定の発表を「差別だ」と断定し、排除を煽る行為はきわめて危険だ。

たとえば「昭和天皇の戦争指導」や「大東亜共栄圏の実態」を扱う歴史学の発表は、時に学会の外の人を怒らせる。実際に「日本人差別だ!」とネットで騒いだり、怒鳴り込んだりする人もいる。このとき学会内で発表内容に異論を持つ者が、そうした外部からの圧力を使って論敵の排除に乗り出せば、学問の自由は失われる。

絵空事の「if」ではない。学問の自由の弾圧というと、なぜか「政府が行うもの」だと勝手に決めている人が多いが、戦前の日本では民間主導で幾多の事件が起きたことは、たとえば以下のWikipediaだけでもわかる。

蓑田胸喜 - Wikipedia

こうした現象のハシリは、明治期の「神道は祭天の古俗」事件(1892年)だが、論文が歴史学の学会誌に載った時点では、なんの問題も起きなかった。一般誌に転載された後に、「当事者」である神道家や学問的なアマチュアが、侮辱だとして撤回を要求し、著者の久米邦武は大学を追われた。

しかしいまや、学会発表をめぐり大学の研究者(の一部)が、学会に属さないメンバーを自ら呼び込んで「差別」や「侮辱」の認定を行い、異なる学説を潰そうとする。つまり戦前回帰どころか、それ以下である。

《神道は祭天の古俗》(しんとうはさいてんのこぞく)とは? 意味や使い方 - コトバンク
改訂新版 世界大百科事典 - 《神道は祭天の古俗》の用語解説 - 〈久米邦武事件〉といわれる当時の一事件に問題点が典型的に示されている。帝国大学教授久米邦武の論文〈神道は祭天の古俗〉が91年に学術誌である《史学雑誌》に掲載されたときには,なんら社会的に問題とならなかった。ところが,伊勢神宮の...

最後に例によって、2021年のオープンレターの呼びかけ人(2名が離脱し、最後まで残った16名)の動向を掲げておこう。5/21時点で見るかぎり、ちょうど半数の以下の8名が、今回も「日本女性学会への介入」に署名していることが確認された。

清水晶子(東京大学教員)
松尾亜紀子(エトセトラブックス)
小宮友根(東北学院大学地域総合学部准教授)
北村紗衣(武蔵大学教授)
山口智美(立命館大学教員)
隠岐さや香(東京大学教育学研究科・教授)
小林えみ(よはく舎)
河野真太郎(専修大学)

今回の署名順と肩書に基づく

5年前は世相を騒がせた「日本学術会議問題」も、もはやすっかり笛吹けど誰も踊らずである。戦後80年の今年、民間の運動体が「学問の自由」を侵害し、自由な言論を萎縮させて戦争に向かった歴史の教訓を思い出すために、とりわけリベラルな各紙誌はぜひ、この問題を採り上げられたい。

学問の自由を叫ぶ動画より。
お名前と背景はこちらを参照

参考記事:

オープンレター秘録⑤ 日本のトランスジェンダリズムはこうして崩壊した|Yonaha Jun
2020年代の日本でTRA(Trans Rights Activists)、すなわち「トランスジェンダー女性は100%の女性であり、女性スペースの利用や女子スポーツへの参加は当然で、違和を唱える行為は差別だ」とする主張が猛威を振るったことは、後世、理解不能な珍事と見なされるだろう。なぜなら海外ではすでに、「ブーム」は退...
資料室: 日本文藝家協会でのトランスジェンダー論争|與那覇潤の論説Bistro
昨年11月に連載「オープンレター秘録」を始める際、枕として日本文藝家協会の会報『文藝家協会ニュース』に触れた。笙野頼子氏の寄稿を発端にして、2021年以来、同誌上でトランスジェンダリズムの当否をめぐる議論が続いていたからだ。 同会報の2025年4月号(第848号)が届いたのだが、3/6に行われた評議委員会の議事録と...
キラキラ・ダイバーシティの終焉:オープンレター「炎上」異聞
昨年末の12月29日に連載を完結させて以来、私からは言及してこなかったオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」(2021年4月4日付)が、今年に入って大炎上を起こしている。レターの内容と運用のどこに問題があるのかは、すでに同...

(ヘッダーは「天皇機関説」のWikipedia より。今なら「片言隻句を捉えて差別者とは何事」でしょう。事件の主導者は民間右翼と野党でした)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年5月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。