冷戦後の「自由のインフレ」が、デフレに転じつつある

昨秋に亡くなった際にも書いたけど、ポスト冷戦期に出た西尾幹二さんの『全体主義の呪い』(1993年)という本が好きである。西尾先生本人を好きかというと、色々あって微妙なんだけど、まぁそれはどうでもいい。

ベルリンの壁が崩れ、「自由」を手にしたばかりの東欧諸国の旅行記だが、当の西尾さんがニーチェの研究者として、そもそも自由をいいものだと思ってないのがポイントである。で、そういう「空気読めてない話」を現地の知識人にぶつけて、通じない様子が誠実に綴られる。

たとえばチェコのプラハで、西尾さんが行った講演(1992年4月)から、ちょっと引いてみよう。

「自由民主主義的な全体主義」の予見者・西尾幹二氏を偲んで|與那覇潤の論説Bistro
独文学者(ニーチェ研究)で保守の論客としても知られた、西尾幹二氏が亡くなった。1935年生で、享年89歳。ご冥福をお祈りする。 平成が青春だったぼく(79年生)の世代にとって、西尾さんはなんと言っても「新しい歴史教科書をつくる会」(97年結成)の初代会長である。実は、つくる会的なネオ・ナショナリズムには批判的なリベラ...

選択の自由が余りに多いことは人間を不決断にします。かつて旧ソ連では永い間ソルジェニーツィンの小説は禁止されていました。ということは彼の体制批判は当時のソ連社会には爆弾のように危険で、社会的批評としてはこのうえなく有効であったことを意味します。いいかえれば、彼の言葉はその限りでは自由だったのです。

しかし情報化社会では、政府批判の言葉は何ら制約を受けずに、誰でもが口に出来、新聞やテレビや週刊誌は余りに好き勝手なことを言い過ぎて、何の効果も上げ得ません。言葉は無力なのです。意見や思想は数が多過ぎて、凡庸が支配し、深い所で役に立ちません。つまり〈言論の自由〉が余りにも広がり過ぎて、〈言論の不自由〉に陥っています

改題『壁の向うの狂気』354-5頁
(改行と強調を付与)

それを〈言論の自由〉を手に入れたばかりの人に言うか? という話だけど、でも当たってたわけですよ。むしろ東西を問わず、20年ほど後に来るSNS社会を、正確に予言していたともいえる。

SNSでは誰でも〈自由〉に発言でき、まれに無名の発信者もマスメディア並みのインフルエンスを誇る。しかしそれは凡庸さゆえにバズってるだけなので、世の中を変える力はない。むしろ利用者が互いに監視しあい、お前の意見は「凡庸さに沿ってないぞ!」と検閲しあう、キャンセルカルチャーなる〈言論の不自由〉が横行する……

検索用語という「読む合法ドラッグ」が知性を蝕む|與那覇潤の論説Bistro
昨日発売の『Voice』4月号の特集は「デジタル帝国が変えた世界」。そちらに論考「総検索社会がつくる『新しい全体主義』」を寄稿しています。 『平成史』の随所で使って以来、わりと好きな手法なんですけど、今回もこれはもともとなんの文章でしょうクイズで書き始めていますので、こちらでもちょっと訊いてみましょう。 もうわた...

で、この自由があまりに多すぎると、かえって無価値になる現象には、ふさわしい名前がある。「インフレ」だ。世に出回る紙幣が多すぎると、1枚ごとの価値が下がって、買えるものが減る。

自民党の「1人に2万円給付」の公約が不評で、野党は減税でもっとカネを配れと怒っているが、ではケチらずに「1人に2億円給付」したらどうなるか?(財源は国債がある。うおおおおMMT!) WWI後のドイツのような天文学的インフレが起き、「1億円札」を刷ってもいまの1000円札くらいの価値しかなくなることは、ふつうわかる。

「物価高対策」と称する給付金と減税で物価は上がる
きょうは参議院選挙の公示。7月20日の投開票に向けて、選挙戦が始まりました。 与党は給付、野党は消費減税 参院選争点は物価高対策に 8党首討論 — 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) July 2, 2025...

旧共産圏がこぞって自由主義のもとに殺到した「冷戦の終焉」は、なぜそんな「自由のインフレ」に終わってしまったのだろう。最初から自由が嫌いな西尾さんと違って、ぼくはどこかで自由の中身がすり替わったのだと思う。

自由とはなにかについては、「意見の複数性に基づくFreedomは、単一の解放のビジョンへと向かうLibertyとは違う」と主張したアーレントをはじめ、色んな議論がある。最近は、テック企業が謳うリバタリアニズムは本当にリベラルか? みたく問われることが多い。

テクノ・リバタリアニズムのどこが「居心地が悪い」のか|與那覇潤の論説Bistro
昨晩のBSフジ「プライムニュース」では、久しぶりに先崎彰容さんとじっくり話せて楽しかった。早くも公式なダイジェスト動画が、YouTubeに上がっている。スタッフの皆様、改めてありがとうございます(ヘッダー写真はその後編より)。 個人的に意外だったのは、むろん「警戒せよ」という趣旨なのだけど、先崎さんがテクノ・リバ...

ぼくに言わせると、いま流通している「自由」の中身はFreedomでも、Libertyでもなく、ただのConvenienceだ。近所にコンビニさえあれば、他の人と一切話さず、あたかも自分ひとりだけが人間で周りはみんな自販機かAIだと思い込んでも、「不自由なく」暮らせますよね、な自由。

冷戦下に西側で「共産主義と戦う」と言うとき、掲げられたのは(Freedom of Speechに基づく)政治的な自由だった。だけど実は、彼らはその立派なビジョンの力で、東側に勝ったのではない。

むしろ効いたのは、消費社会でお買いものする自由だった。それについては『夢の世界とカタストロフィ』という面白い冷戦史の本を基に、むかし書いたことがある。

「冷戦を知らない子供たち」のために
私たちが夢をみなくなったのは、いつからだろう。1979年生まれの私は、1989年にちょうど10歳。小学校高学年で社会の動きが目に入り出す頃だから、「冷戦の終焉」を覚えている最後の世代だ。前年から天皇崩御が予想…

社会主義は共同作業的な「労働」自体を快楽にせよと命じたが、資本主義は家庭という場のプライバシーを確保し、「消費」を通じて大量生産の効率性と個々人の夢とを結びつけた分、より巧妙だったのだ。

フルシチョフの頃からすでに、共産主義の理想は「生活水準の向上」としてプロパガンダされていたため、人々が冷戦末期に西側の豊かな消費社会を目にしたとき、そちらへの脱走を転向と感じる理由はなかったのである。

初出は『週刊東洋経済』2013.10.5号

昨年末にYouTubeの「ことのは」でご一緒した細谷雄一先生が、E.H.カーが第一次大戦後の欧州を『危機の二十年』と呼ぶのになぞらえて、冷戦後の世界も実は「危機の三十年」ではなかったかと提言し、話題になっている。

「危機の三十年」を超えて――混乱と対立の時代における戦略的思考:細谷雄一 | 無極化する世界と日本の生存戦略 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
民主主義、新自由主義、グローバリズムという、ポスト冷戦時代を形作った三つのユートピアニズム的思考が、いずれも根底から揺さぶられている。この混乱と対立に溢れた世界の姿は、たとえばトランプ氏の衝動的言動などいま眼前にある現象ではなく、国際政治の巨大な構造的変化を俯瞰することで捉えられる。「国家の復権」と国家間の摩擦拡大が要...

カーも細谷さんも、人類が「危機」に気づくのに遅れた理由を、ユートピア思想の流行に求める。一理ある指摘だけど、「理想主義か現実主義か?」を議論する際は、気をつけるべき点がある。

たとえば自由とは、理想の最たるものだけど、

① 美しすぎる理想が現実とかけ離れていたので、ダメになった。
② 最初は美しかった理想が、途中で別のものにすり替わり、みんなが失望して支持をやめた。
③ その理想はそもそも初めから美しくなかった

の3つは、それぞれ別の現象だ。最後にダメになる点だけは同じでも、区別して論じないと、得られる教訓はだいぶ違ってくる。

難しいのは、どれかが正解で他が誤答みたいに単純な話ではなく、①~③のどれもが現実の一断面を捉えていることだ。論じる識者も同じで、雑に言うと細谷さんは①、ぼくは②、西尾さんは③の見方に立つことが多い気がするけど、誰もが異なる視点も持っている。人間は複雑だからだ。

4月もお世話になったBSフジの「プライムニュース」が、7/7に議論する場を設けてくれて、ダイジェストがYouTubeに上がっている。

いま世界で生じる理想の衰退は、自由のインフレが亢進しすぎて限界を超え、こんな「役立たずの自由なら要らねぇ!」としてデフレに転じる兆しだとも言える。口にはユートピアを唱えても、「理想の恩恵は西側の私へ、厳しい現実はそれ以外のあなたへ」とするダブスタへの憤りが、いっそうその流れを加速してもいる。

ダブスタを嫌悪した果てに、「シングル・スタンダード」の戦争が始まる|與那覇潤の論説Bistro
選挙直後から囁かれたとおり、米国は大統領・上院・下院をすべて共和党が押さえるトリプルレッドが決まった。2016年と異なり、トランプがハリスを総得票数で上回るのもほぼ確実で、実質4冠。非の打ちどころのない一方的な全面勝利である。 過疎地に住む人種偏見の強い白人といった、従来イメージされた「トランプ支持者」だけで、こうし...

そうした時代こそ、ConvenienceよりFreedomが必要だ。番組での〈自由〉な議論が、そのメッセージとして届くならとても嬉しい。

参考記事:

ウクライナ戦争、「もっと早くに停戦」はできたのか?|與那覇潤の論説Bistro
12/20(金)に論壇チャンネル「ことのは」で、細谷雄一先生との対談の後半が公開されました。前半は以下(参照用の年表もあり)から飛べるとおり無料公開でしたが、後半は有料会員限定で、リンクはこちら。 2022年の2月にロシアが侵攻して始まり、このまま続けばまもなく4年目に入ってしまうウクライナ戦争。「途中でやめる停戦...
欧米という概念の終わり(BSフジ出演しました)|與那覇潤の論説Bistro
大学院生のとき、フランス出身の留学生へのメールで「欧米」の語を使ったら、”EuropeとAmericaは別だから、自分は欧米もOccident(西洋)も概念として使わない” と返されたことがある。イラク戦争の時代で、欧と米(とくに仏と米)の仲が悪かったのも、あるかもしれない。 さて、ウクライナ問題での対立は序の口で、...
冷戦の終焉という「偽りの勝利」|與那覇潤の論説Bistro
『週刊新潮』2月1日号に掲載された、高坂正堯『歴史としての二十世紀』の書評が、Book Bang に転載されました。左のリンク先を読んでくださった方のために、ちょっとおまけ。 以前にも紹介したように、戦後日本を代表する親米派と目される高坂正堯の、レーガン政権への評価は意外なほど低い。大軍拡で冷戦に「勝利」した功績も、...

(ヘッダーは1990年、開店に沸くモスクワのマクドナルド・ソ連1号店。ウクライナ戦争後の撤退を扱うBBCの記事より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年7月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。