日本でも多様性が重要視されてしばらくになりますが、社会が多様化すると、これまで日本ではあまり考えていなかった問題を考慮しなければなりません。
日本だと法学部の憲法の授業でぐらいしか議論することがないトピックが「信教の自由」です。
日本は宗教の自由があり、憲法で保障されています。宗教に対しては比較的柔軟な考え方をする人々が多いので、様々な宗教が同居しています。しかし、宗教自体をあまり意識しない人の方が多いでしょう。
ところが海外から様々な人々が入ってくると、そうもいかなくなります。

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例えば、外国から日本に人が入ってきて、ある特定の宗教を持った人が別の宗教の人を攻撃するとか、特定の宗教を否定する人との間で大騒動になるという問題が起きます。
例えば、最近イギリスで問題になったのが、イスラム教に抗議した男性と、その人に対して殺害を口にした男性の事件です。
2025年2月13日、ロンドンのナイツブリッジにあるトルコ領事館の外、ラトランド・ガーデンズで、クルド人とアルメニア人のハーフである51歳のハミット・コスクン氏が「イスラム教はテロリズムの宗教」と叫びながらコーランに火をつけました。
それを見た59歳のムサ・カドリ氏は刃物で切りつけました。
この事件ではどちらも有罪になっています。
まず、コスクン氏は「イスラム教に対する嫌悪とイギリスの公共秩序を乱した」という理由で有罪、カドリ氏は20週間の懲役刑(執行猶予18カ月)、150時間の無給労働と10日間のリハビリを言い渡されています。
コスクン氏は動機として「トルコのエルドアン政権に対する反論である」と述べ、イスラム教徒に対する憎悪が原因ではないとしています。裁判所はそのような意見であっても「部分的にはイスラム教徒に対する憎悪があった」と述べています。
しかし、イギリスでは大変な議論が起きました。この判決が「冒涜法」(blasphemy laws)の復活と同等なのではないかと見られているからです。
「冒涜法」とは現在でも様々な国に存在する法律で、神や宗教に対する冒涜を禁止する法律です。今回のようにコーランを燃やすなどの宗教的象徴を破壊する、宗教の教えを否定するといった行為が含まれており、宗教を信じる人々や宗教自体を保護する目的があります。
冒涜法は2008年にイギリスの労働党政権下で廃止されました。当時の労働党はトニー・ブレア率いる「ニューレイバー」であり、革新的なことに取り組んでいたのです。しかし、この決定に対して当時大きな反対はありませんでしたし、長い間冒涜法に問われる事件もありませんでした。なにせ中世の法律なので、現代にはそぐわないという考えです。
イギリスは、日本人のイメージとは違い、今ではかつてに比べると宗教心の薄い国です。キリスト教徒の場合は国教会も他の宗派の人も教会に全く行かないという人が多く、クリスマスにさえ礼拝に行きません。感覚としては日本の葬式仏教に近い人が多いです。その一方で、カトリック教徒やユダヤ教徒もいます。そして近年増加しているのがイスラム教徒で、2021年の国勢調査では6.5%でした。
イギリスは宗教改革を行った国であり、特に1980年代以後は宗教に対して非常にリベラルな立場を取るべきだという考えの人が多いため、宗教について自由に意見を表明すべきだという考え方があります。
1979年には日本でも有名なモンティ・パイソンが映画「ライフ・オブ・ブライアン」を発表し、聖書をテーマに人々の宗教に対する権威や態度をコントで取り上げました。あまりに過激な内容だったため、全世界で上映禁止や非難の嵐が起こりましたが、このような風刺やユーモアも許されることこそが表現の自由だと考えられていたので、冒涜法には問われませんでした。
しかし、今回の事件では冒涜法の復活ではないかと議論になっています。何をもって表現の自由とするのか、どこからが宗教的侮辱であり、公共的秩序を乱すとは何を指すのか。これでは今までのように宗教をネタにしたお笑いすらできないではないかという声も出ているのです。
この事件は、これから多様化が進む日本にとっても示唆的です。

JGalione/iStock
例えば、ある特定宗教の人々が日本のアニメや漫画、お笑い番組の宗教ネタに対して侮辱だと抗議したり、表現をした人を襲撃した場合、裁判所や政府はどのような対応を取るのでしょうか。
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