今思うとお互いに強制連行された仲間だよ。ぼくら兵隊と彼女たちは。ぼくは日本軍はある意味で敵だと思っていた。いやおうなしに強制連行されて非人間的に扱われたんだからね。だから、寝る寝ないを別にして、もっとあの人たちと仲よくすればよかったなあと思う。
拙著『平成史』447頁より重引
(強調を付与)
これが1997年、発足したばかりの「新しい歴史教科書をつくる会」の公的な賛同人の発言と聞いたら、驚く人が多いだろう。だけど、前にも引用したとおり、端的に事実だ。
初出は、朝日新聞社の論壇誌だった『Ronza』の同年5月号(ヘッダー写真も)。「悲喜こもごもの賛同人事情」と銘打ち、ウヨク的なつくる会への参加が “意外” に思える識者を中心に、その理由を取材したものだ。
引用にいう「彼女たち」とは、もちろんこのとき大問題になっていた、朝鮮半島出身の従軍慰安婦を指す。ヤスパースが言うところの、異なる立場どうしで「語り合うということ」があり得た、最後のタイミングだった。
回答の主は、このところ紹介してきた作家の古山高麗雄で、1920年8月生まれだから、当時76歳。なお朝鮮人慰安婦の “強制連行” については、戦時中から「噂はたくさん」あり、「ほんとうだとぼくは思っていた」が「でも実際見たという人は一人もいない」と添えている。
実際に、1970年に芥川賞を受けた「プレオー8の夜明け」には、ビルマ戦線の慰安所の描写が出てくる。実際の体験を多少脚色し、ビルマ人女性と交際していたのに、防諜上の理由で会うのを禁止され、慰安所を使わされる展開になっている。
春江は、体が大きいだけでなく、心も大らかな女だった。
「徴用たと言うんだよ。うち、慶尚南道で田んぼにいたんたよ。そしたら徴用たと言て、連れて行くんたよ。汽車に乗て、船に乗たよ。うち、慰安婦になること知らなかたよ」
悠揚迫らぬ、とはあのことだな。春江には、暗い陰がなかった。愉快そうに笑いながら彼女は続けた。
「運たよ。慰安婦になるのも運た。兵隊さん、弾に当たるのも運た。みんな運た」
古山高麗雄『二十三の戦争短編小説』
(単行本版、50頁)
さすがに慰安所がみな、ここまで “ほのぼの” していたとは思いがたく、経年による記憶の緩和や、創作はあろう。だが「みんな運だ」は戦争から古山が得た自らの哲学であり、それを慰安婦から “教わる” 描写に、彼女たちへの敬意が見える。
こうした視点で(たとえば)小説を読みなおすことで、従来の歴史叙述が見落としてきた存在に気づかせる研究を、「ポストコロニアリズム」という。平成のなかばまでは大流行で、近代史家のくせにやってないと “恥ずかしい” くらいだったが、その後すっかり下火だ。
流行らなくなった理由は、単純だ。自分の歴史観を相対化し「語り合う」ための手法だったものが、手前勝手な “正しい歴史の見方” を設定して、他人と「殴り合う」道具に転じたからである。
要は、ガクモンが学問であることをやめて、“政治” の子分になったわけだ。慰安婦研究の学術書をめぐる有名な訴訟で、そんな事態のヤバさが広く知られるのは、2010年代の後半からである。
「帝国の慰安婦」は2013年に韓国で出版された。慰安婦の実態、旧日本軍や業者らの関与などを検証する内容だが、元慰安婦らの名誉を傷つける表現があるとして検察が15年に朴氏を在宅起訴した。
(中 略)
裁判をめぐっては、学問や表現の自由と、学術研究に対する公権力の介入の是非が問われた。
朝日新聞、2024.4.12
朴裕河氏の専攻は日本文学で、古山高麗雄の短編3つを同書で扱い、このnoteと同じ箇所も引いている(102頁)。おそらく『Ronza』の記事は読んでいないが、以下の一節は小説から著者の心情を読み取る、彼女の共感性の豊かさを示している。
しかしそれは、刊行時の韓国ではむしろ、告発の対象にされてしまった。
慰安婦が、国家によって自分の意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、同じく自分の意思とは無関係に、国家によって遠い異国の地に「強制連行」された者である。
(中 略)
慰安婦が「性」を提供する立場であったなら、兵士は「命」を提供する立場だった。どちらも国家によって〈戦力〉にされているのである。……たまたま同じ空間にいあわせた若い二人が、お互いに憐憫を感じたとしても不思議ではない。
朝日文庫版、99-100頁
学説を刑事裁判で有罪にしようとするのは、この問題かつ韓国に特殊だと思うが、いまや日本も笑える立場にない。訴訟よりもずっと恣意的に “勝ち負け” を決められる、ネット上での数の脅しで対立する学説を潰そうとする動きは、現にある。
言葉が過ぎたアンチに訴訟をしかけ、自説への “異論が存在しない” SNSを作ろうみたいな学者も、この数年でどかっと増えた。民事じゃもう目立てないからとばかりに、刑事告訴に手を出す人もいるとなると、ますます韓国に近づきそうである。
新しく、社会にも貢献し、”意識が高い!” とされたはずのガクモンの潮流が、まるでHIVに感染したような免疫不全を誘発して、学問を政治に対して無力にし、自壊させてゆく。
そんな景色をさんざん見て、いまどうするか?
これまでもお世話になってきたホルダンモリ(翼駿馬)さんのシラスチャンネルが、拙著を素材に番組を企画してくれた。11/30(日)の14:00~ で、もちろんぼくも出演する対談形式だ。
多くの人に採り上げてもらえた『江藤淳と加藤典洋』だけど、ポストコロニアルな観点での批評は意外に出なかった。流行らなくなって久しいからしかたないが(苦笑)、著者としては寂しい。
今年を閉じる前に、モンゴルが専門のチャンネルならではの企画で、同書をめぐり “これまでしてない” トークができるのを嬉しく思う。ホルダンモリさんも、拙著につき番組(このリンクから)を配信済みのほか、書評のnoteを書いてくれた。
まもなくの師走で「戦後80年」も終わり、慰安婦問題どころか昭和を丸ごと忘れる時代が再来する。そうなる前に、元日のnoteでも引用させてもらったホルダンモリさんと、”語られてこなかった歴史” につながる時間を提供できれば幸いだ。
そんな趣旨でやります。ぜひ、ご覧ください!
参考記事:
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年11月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。