イラン国家の歴史は首都の変遷から理解するとよい:ペルセポリスからテヘランまで

イランの現在の首都は北部高原地帯のテヘランだが、この国ほど首都があちこち移動してきた国も少ない。新著国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退』(さくら舎)は、地政学の本だから、そのあたりも詳しく解説している。

イランの首都の変遷をみると、その原点であるアケメネス朝ペルシアは行政の中心であるスーサと儀典都市ペルセポリス、避暑地エクバタナ(ハマダーン)との複都制だった。

アレクサンドロス大王の王国が分裂してできたセレウコス朝・パルティア・ササン朝にかけてはセレウキアやそれに隣接したクテシフォン(前4世紀~7世紀)が首都だった。バビロンのユーフラテス川流域の少し上流だ。

サファヴィー朝(16~18世紀)はもとは北西部のタブリーズだが、のちに中部にイスファハーンを建設。カージャール朝・パフラヴィー朝以降はテヘランである。

ペルセポリスはアケメネス朝発祥の地で、ペルシア(Persia)の語源にもなったファールス地方にある。標高1600mの高原で、穀物・豆類・ブドウなどの果樹や香料も豊富。日本で例えれば長野県に相当する。

ペルセポリス Wikipediaより

チグリス川支流のスーサはイラン高原からメソポタミアへの結節点で標高60m。ここからトルコのイズミル東方内陸都市サルディス(“西の都”)まで「王の道」が結ばれた。

クテシフォンはバグダードより少し下流のチグリス川沿い。東ローマ帝国との対峙、商業上の優位を意識した立地だが、防衛には向かなかった。

イスファハーンはペルセポリスと同じほどの標高でザーヤンデ川が流れ、水資源豊富。周囲は険しい山で囲まれ、メソポタミアにもシルクロード方面にも便利な位置である。世界遺産の美しい町だ。

テヘランはやや北寄りだが標高1200mとイスファハーンより低い。6000m級の山を含むアルボルズ山脈南麓に広がり、東西南に道が開け、北からの防衛にも強い。カスピ海方面へのアクセスも難しくない。町にはカナート(地下水路)が張り巡らされ、ザクロやピスタチオが名物。カージャール朝・パフラヴィー朝がともにカスピ海沿岸出身であることもテヘラン選定の背景にある。

テヘラン市街 Wikipediaより

エンゲラーブ通り(革命前はレザー・シャー通り)で南の旧市街と北の新市街に分けられる。西端には1971年建立のアーザーディー・タワー。旧市街にはエマーム・ホメイニー広場、バザール、旧城壁南側のテヘラン中央駅、ガージャール朝の王宮ゴレスターン宮殿があり観光の中心。宝石博物館には世界最大級のダイヤモンドであるダルヤーイェ・ヌール(182カラット)、孔雀の玉座、レザー・シャーの王冠が展示されている。


国家の興亡史からわかる現代地政学――西欧の衰退

【目次】
第1章 文明の源流と民族奥亡が紡いだ古代ユーラシアの大地図
第2章 大航海、新帝国、革命が形づくった近代ユーラシアの再構築
第3章 ユダヤ・イスラーム・ギリシアの世界が形づくった中東の文明圏
第4章 ロシアとウクライナを形づくった千年の興亡史
第5章 インド文明を形づくった大地・民族・宗教の多層史
第6章 王朝・民族・地政学で読み解く東アジア世界の歴史構造

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