
ぼくも結構お世話になった雑誌『ひらく』(現在は完結)の、2019年の創刊号で東浩紀さんが言っていたことが、妙にずっと引っかかっていた。監修者の佐伯啓思さんに、先崎彰容さんを交えた鼎談での発言である。

東 近代になって、どの国の人も洋服を着るようになった、世界中の街並みも似るようになったと言っても、そこにあるのはローカルなチェーンだったり、ローカルな服だったりしたわけです。
しかし、今は本当にみんなが同じデザインのユニクロを着て、本当にみんなが同じデザインのiPhoneやandroidの画面を見るようになっている。つまり、同じようになってきているのではなく、完全に同じになってきている。
(中 略)
僕はそこに、今までとは質的な違いがあるような気がしています。これまでは、スマホで完全に同じ画面を見るような状態は、実現していなかったと思います。
89-90頁
強調を付与し、段落を変更
とはいえ心に残っただけで、当時はあまりピンとは来なかった。佐伯さんも「それぞれがバラバラに見ている限りそんなことはどうでもいい話ではないですか」と受けているが、ぼくの印象もそちらに近かった。
なんでそうだったかというと、まぁ当時は平和だったのである。世界中が完全に同一の動画を見ていると聞いても、連想するのはカワイイ動物とか、スポーツのすげープレイとかで、なら別にいいんじゃね? な感じがあった。
ところが、いまはそうじゃない。
2月からやらかしてることが大きすぎて影が薄れたけど、今年のはじめは世界の目がベネズエラ事変に釘づけだった。で、作戦後の会見でトランプが「ドンロー主義」を語る動画が、あらゆるメディアをジャックした。

この用語、もとは1年前に最右派のタブロイド紙が使っただけだったらしいが、大統領本人が使うや、「いま、知っておくべきキーワード」「これ抜きに世界は語れない」みたいなノリで、”解説” する専門家が大量に出てきた。
いやいや、ちょっと待ってくれよ!
あんさん、去年はおろか昨日まで、そんな言葉使ってなかったじゃないですか? 昨日までのあなたは、その超大事な概念を無視して来たってことですか? それならアンタ、センモンカとして無能なんじゃないっすか?
そもそも権力者がキメのフレーズを口にした途端、異口同音にみんなが同じ言葉を反復するのは、独裁国で起きることだよね。だけどいつの間にか世界が、まるごとそんな風になってしまった。ぼくがあのとき書いたように。

で、2月末からイラン戦争がもっと世界の耳目を奪った瞬間、その「ドンロー主義」とやらはどこかへ消えてしまう。おいおい、どうなってるんだよ。米国を理解する鍵じゃなかったのかよ?
あたりまえだが、イランは西半球に入らない。ところが「西半球を米国の勢力圏と見なし」云々と “解説” していたセンモンカは、新たな戦争でもしれっとホワイトハウスの口真似をし続ける。そして戦況の予想も外す(失笑)。

この現象の直近の起源は、2020年からのコロナ禍だろう。あのときほど、昨日まで知らなかった用語を、知性の証明のようにドヤって振り回す人の大量発生を見たことはない。PCR、ロックダウン、ソーシャルディスタンス…
このとき、本能的に「それはヤバくね?」と気づけたかが、ホンモノとニセモノを分けたと思う。圧倒的多数の識者はニセモノだったが(笑)、ぼくはホンモノなので、最初の緊急事態宣言の直前にこう書いている。
問題は、有名と無名とを問わず、決断のリスクすら背負っていないのに「自分が批判されないこと」を最優先してポジション・トークをする人たちです(狭義の言論人のみでなく、一般のSNSユーザーも含みます)。
みんながパニックに陥って自粛や封鎖を叫んでいる今のタイミングなら、同様に振る舞っておけば「自分だけ」が叩かれることはない。そうした行為の連鎖はパニックを加速させますが、とにかく批判の矛先が自分に向くことはないので、「安全」なのです。
2020年4月3日
「予言者」とはこういう人を指すので
ニセモノに使うのはやめましょう
なぜ世の中がニセモノだらけ(とくに学者と専門家)になったかというと、そうしたヤバさに気づく訓練の場を、社会が失ったんだと思う。むろん「ヤバさゼロ」で一生暮らせるなら結構なことだが、現実はそうはいかない。
自然免疫の形で「異口同音状態はヤバい」と気づくきっかけがないなら、よい意味でのワクチンを接種しておかないと、同じ失敗をぼくらは今後も繰り返す。てか、現にそうなっていることは、これまで何度も書いてきた。

発売中の『表現者クライテリオン』5月号には、久しぶりに連続対談「在野の「知」を歩く」が掲載。昨年の荒木優太さんに続くゲストは、まさに「在野のレジェンド」と呼ぶべき、信田さよ子さん(臨床心理士)だ。
なぜか。国家資格が2018年の公認心理師までなかった日本では、心を扱う仕事、とりわけカウンセラーは「在野でしかありえない」存在だったからだ。そのパイオニアである信田さんの、ライフヒストリーを一から聞いている。
で、ぼく自身びっくりしたのだが——

信田 団塊の世代の男たちはマルクス主義的な階級闘争の世界観から〔学生運動に〕入っているんです。私もそういうサークルに入って読書会もたくさんやりましたが、レーニンを読んでもわけが分かりませんでした。
與那覇 昔のままの呪文をずっと唱える人がいる、みたいな。
(中 略)
昨年刊の『なぜ人は自分を責めてしまうのか』(ちくま新書)まで一貫して、信田さんは心理学の専門用語を「聞きかじる」ことの副作用を批判していますね。本来はカウンセラーの側が評価に用いる「自己肯定感」のようなタームを、メディアで知った当事者が自ら使って「低いのが私の問題ですよね?」みたいに話してしまうと。これではマッチポンプのような相談にしかならないので、信田さんはむしろ「その言葉は使わずに、『あなたの言葉』で悩みを表現できませんか?」と聞き返すそうですが、そこには「呪文」と化したマルクス用語に囚われていった、かつての周囲の学生たちの教訓があるのでしょうか。
信田 言葉が形骸化するということを、1960年代末から70年代にかけて見てきたからですね。
140頁
数値表記を改定
信田さんは1946年生まれで、たとえば加藤典洋の2つ上にあたる。この世代なら全共闘とその末路から、いっせいに同じ言葉をコピペするヤバさへの免疫をつけた。ぼく(79年生)くらいまでは、中高の先生とかから、当時の話を自ずと聞いた。
が、過去の体験は永遠じゃないし、歴史が伝わるのもタダじゃない。誰かがちゃんとメンテナンスしなければ、どれほど大事な経験であっても、伝わらず忘れられ「歴史なき時代」がやってくる。まさにそれがいまである。

今回の信田さんへのインタビュー(オーラルヒストリー?)も含めて、この間ぼくがずっとやってるのは、そうした歴史の「保守・点検」の作業だ。ぜひ、書店で多くの読者を得ると嬉しい。
なお、そもそも「在野の「知」を歩く」に信田さんをお招きするきっかけは、五反田のゲンロンカフェが企画してくれた、昨年9月の対談イベントだった。改めて貴重な機会に、心から感謝したい。

参考記事:


(ヘッダーは、もしSWの世界にプロパガンダポスターがあったら、という面白い紹介記事より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年4月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







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