「審議拒否」という戦術の賞味期限

衆院議院運営委員会が26日、野党が欠席する中で、与党提出の衆院議員定数削減法案と「副首都」創設法案をそれぞれ委員会に付託することを議決しました。

これに反発した中道改革連合など野党5党は、衆院で一切の審議を拒否する方針を確認したと報じられています。

参院でも新たな日程協議に応じない姿勢を崩しておらず、与野党の対立は国会全体に広がりつつあります。

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野党5党の国対委員長が国会内で対応を協議し、中道改革連合の重徳和彦氏は記者団に対し、本会議も委員会も一切応じないと明言したとのことです。

定数法案は政治改革特別委員会、副首都法案は地域特別委でそれぞれ審議に入る段取りが、いずれも与党委員長の職権で決まりました。

この「全面審議拒否」という構えを見て思い起こされるのは、かつて立憲民主党をはじめとする6野党が、加計学園問題などをめぐって1か月近くも国会審議を拒否し続けた、あの局面です。

連休をまたいで審議に出てこない議員たちは「17連休」と揶揄され、「夏休み」のように国会を空けていると批判を浴びました。

当時、注目すべきだったのは、その批判が与党やメディアからだけでなく、野党議員自身の支持者や地元、さらには親からも向けられていたことです。

希望の党の玉木雄一郎代表(当時)が「地元や親からも『そろそろ出たほうがいい』と言われる」と漏らしていたのは象徴的でした。

結局、野党は審議復帰へと動かざるを得なくなり、戦術はいわば「腰折れ」に終わりました。

審議拒否という手段が、まったく効かないとは申しません。確かに当時、秘書官の国会招致につながった側面はありました。

しかし、国会議員の「本業」は、議場に出て、おかしいことをおかしいと言うことのはずです。審議の場を自ら放棄してしまえば、その正当な批判を届ける機会まで手放すことになります。

そして何より、空席が続けば続くほど、有権者の冷ややかな視線は野党自身に向かっていく。これは過去が証明しているのではないでしょうか。

私としては、定数削減も副首都構想も、本来であれば与野党が正面から中身を議論すべき重要なテーマだと考えています。

議員定数の削減は「身を切る改革」の根幹であり、副首都の創設は統治機構のあり方そのものに関わる論点です。だからこそ、審議のテーブルから降りるのではなく、堂々と議場で論戦を挑んでいただきたい。

審議拒否という戦術には、かつても今も賞味期限があります。その期限が切れたとき、しわ寄せがどこに向かうのか。過去の「夏休み」の記憶が、静かにそれを語っているように思います。


編集部より:この記事は、前参議院議員・音喜多駿氏のブログ2026年6月26日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。

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コメント

  1. 早川蒼真 より:

    音喜多氏の論旨には、半分賛同し、半分は物足りなさを感じます。

    確かに、審議拒否という戦術が「賞味期限切れ」になりやすいという指摘自体は当たっています。野党が議場を空ければ、本来届けられたはずの正当な批判の機会まで手放すことになり、結果的に「いない間に決められた」と怒っても、それは自ら議場を空けた面がある。この点は、議会政治の基本に照らして正論だと思います。

    ただ、私が引っかかるのは、なぜ日本では令和の今になってもこの「効かないはずの戦術」が依然として効いてしまうのか、という構造への踏み込みが欠けている点です。ここを掘り下げずに「議場に出て論戦を挑め」と良識や戦術判断に期待するだけでは、結局は精神論の域を出ません。

    G7各国の制度を比較すると、日本の特殊性が浮かび上がります。各国に共通するのは、欠席そのものを刑事罰にする国は一般的ではない一方で、欠席だけで議会を止めにくくする仕組みを用意している、という点です。

    – **アメリカ**:合衆国憲法第1条第5節が各院の過半数を定足数とし、少数の出席者にも欠席議員の出席を強制する権限を認めています。実際に拘束的な出席強制が発動されることはまれですが、制度として「欠席で議事を止め切る」のは難しい設計です。
    – **イギリス**:プログラム動議や時間配分動議により、与党は野党の合意なしに審議期限を区切って進められます。野党が議場を空ければ、追及も修正要求もないまま法案が進みやすい。ボイコットは事実上の「白紙委任」になりかねず、議場に残って徹底抗戦する方が合理的になります。
    – **ドイツ**:無届け欠席や記名投票不参加に対し経費手当の控除があります。これは罰金ではなく「欠席で浮いた経費分の控除」ですが、日本のように歳費を全額もらいながら長期欠席する前提とは大きく異なります。
    – **フランス**:首相が政府の責任をかけ、不信任が成立しなければ法案が採択されたとみなす手続まである。「与党が議事を前に進められる」ルールが明確です。

    逆に言えば、欠席戦術が成立し得るからこそ、各国はそれに対抗する制度を整えてきた、と見るべきです。日本で「全面審議拒否」という人質戦術が使えてしまうのは、与党の議事運営が野党の協力を前提とした全会一致の慣行に過度に依存しており、かつ「単独で進めれば強行採決として悪者扱いされる」という政治的コスト構造があるからです。これは野党のモラルの問題というより、ルールそのものが抱える「構造的な甘え」の問題です。

    日本でも、憲法上は本会議は総議員の三分の一以上、委員会は国会法上で委員の半数以上が出席すれば議事は開けます。野党が欠席しても定足数を満たせば手続きは進められる。「野党が出てこないから国会が永久に止まる」という制度ではないのです。

    だからこそ必要なのは、二つをセットで整えることだと考えます。

    1. 与党が正当な手続きを踏めば、多数決で議事を前に進められる仕組みの明確化(一定時間を超えたら強制的に採決へ進むルールなど)
    2. 少数派に対する質問時間・修正提案権・参考人招致の機会の保障

    「欠席を絶対的な拒否権として扱わない」という発想と、「少数派の発言・修正・採決への関与を守る」という発想は、本来両立します。

    音喜多氏が言う「議場に出て、おかしいことをおかしいと言うのが本業」という言葉自体には全面的に賛同します。しかしそれは、議員の良識への期待としてではなく、「出てこなければ一方的に置いていかれる」「だからこそ議場に残って論戦する方が合理的だ」という制度設計とセットで語られて初めて、現実を動かす力を持つのだと思います。

    ちなみに、当時「親からも『そろそろ出たほうがいい』と言われる」という声が紹介されていましたが、世代を超えてそう感じる人がいるのは、政治の素朴な常識として頷ける部分です。だからこそ、その常識を個々の議員の感覚任せにせず、制度として担保することが、令和の国会改革に求められているのではないでしょうか。