終盤国会が、政策論争の場ではなく、高市首相の都合に振り回される場になっている。与党は「決める政治」を掲げるが、実態は審議を尽くさず、説明責任を果たさず、都合の悪い追及から逃げ、数の力で押し切る国会運営である。その結果、国会全体が麻痺状態に陥っている。

朝日新聞
2000年以降で最短の審議時間
象徴的なのは、予算審議の短さである。2026年度予算案は3月13日に衆院を通過したが、ロイターは審議時間が2000年以降で最短になったと報じ、毎日新聞も衆院予算委の審議時間について、慣例的に80時間が目安とされる中で与党が審議を短縮したと伝えている。
当初予算審議は59時間にとどまり、過去20年間の平均78.9時間を大きく下回っている。国家予算は国民生活そのものを左右する最重要案件である。にもかかわらず、首相の「早く通したい」という政治日程が優先され、国民に対する説明は後回しにされた。(Reuters Japan)
補正予算も同じである。財務省によると、令和8年度補正予算は6月5日に成立した。毎日新聞は、補正予算案について衆参の予算委員会でそれぞれ7時間ずつ審議する見通しだと報じていた。
補正予算審議は衆参各1日で、熊本地震対応以来10年ぶりの短さとされている。物価高や中東情勢への対応を名目にした予算であれば、なおさら中身を厳しく点検すべきだが、ここでも「成立ありき」の運営が前面に出た。(財務省)
「中傷動画」をめぐって二転三転する答弁
さらに問題なのは、首相自身の説明責任をめぐる姿勢である。「中傷動画」をめぐり、高市首相は「秘書の陳述書を提出し答弁としたい」と発言し、その後「国会での質問に対応しないという趣旨ではない」と釈明したと報じられている。
しかし国会答弁とは、本来、首相本人が国民の代表である議員の質問に向き合う場である。秘書の陳述書で代替できるものではない。都合の悪い問題だけ書面に逃がすなら、首相は国会に出席している意味がない。(TBS NEWS DIG)
終盤国会の混乱は、個別の失言や手続きミスではない。与党が定数削減法案や国旗損壊罪法案を野党欠席の中で強引に進めたことにより、野党の態度は一段と硬化した。毎日新聞は、衆院議員定数を比例代表のみ45削減する法案について、与党が野党欠席のまま審議入りを強行し、野党が全ての国会審議を拒む事態になったと報じている。
「こんなにひどい国会は初めて見た」という自民議員
国旗損壊罪創設法案が野党欠席の中で衆院本会議で採決され、法案提出に加わった一部野党まで採決に参加しない異例の事態になった。自民の閣僚経験者も「こんなにひどい国会は初めて見た」という。
高市首相は、自分に都合のよいテーマでは「国を守る」「決断する」と大きな言葉を使うが、国会運営で見えているのは、国家のための決断ではなく、自分の政治的都合を最優先する姿勢である。予算審議は短縮する。党首討論はほとんど開かない。疑惑には正面から答えない。重要法案は野党欠席でも強行する。これでは、国会が麻痺するのは当然である。
首相に求められるのは、強気な演説ではなく、面倒な説明から逃げない忍耐である。反対意見を封じることではなく、反対意見を受け止めたうえで合意を探ることである。終盤国会の混乱は、野党の抵抗だけで生まれたものではない。高市首相の「自分の思い通りに進まなければならない」というわがままな政治姿勢が、国会を機能不全に追い込んでいるのである。







コメント
記事の指摘は鋭い。
国会を麻痺させた責任は、むしろ野党にある
この記事は、終盤国会の混乱や停滞の原因を、ほぼ全面的に高市首相個人の「わがまま」や資質の問題に帰着させているが、これは極めて一面的で偏った整理だと言わざるを得ない。
まず、記事自身が書いている通り、事の発端は定数削減法案や国旗損壊罪法案が「野党欠席」のまま採決された点にある。これに反発した野党は「すべての国会審議を拒む」という対応に踏み切った。ここで冷静に考えるべきなのは、特定の法案への抗議を超えて、国会という言論の府の機能そのものを全面的に停止させる選択が、本当に国民の利益になるのか、という点である。
◆全面ボイコットは「言論による抵抗」の放棄
国会議員の本来の職務とは何か。それは、国会に出席して質問し、反論し、必要であれば修正案を出し、最終的には採決の場で自らの態度を明確に示すことである。すべての審議を一律に拒否することは、議員に与えられた最大の武器である「言論による抵抗」を、自ら手放すことに他ならない。
行政を監視し、国民に情報を開示させるという「国民の知る権利」を結果的に削っているのは、審議そのものを拒否する野党の側である。仮に現在の国会が麻痺しているのだとすれば、その責任はまず野党に向けられるべきだろう。
◆審議時間を空転させたのは誰か
記事は「審議時間の短さ」を批判するが、その背景にある事実関係も公平に問われなければならない。
いわゆる「中傷動画」を巡る問題について、野党は文春の報道に乗っかって国会で激しい追及を行った。しかし、結果としてその内容は捏造であることが露呈し、現在では当の雑誌メディアですら取り上げなくなっている。事実無根のゴシップに付き合わせ、貴重な国会の審議時間を食いつぶしたのは野党の側だ。自らが不毛な追及で時間を浪費しておきながら、「審議時間が足りない」と政府を批判するのは、明らかに筋違いである。
気になるのは、この記事が野党側の「審議拒否という力」に対しては一貫して甘い点だ。末尾で「混乱は野党の抵抗だけで生まれたものではない」と一応バランスを取ってはいるが、論調全体は首相個人の資質という物語に収斂しており、野党の全面ボイコットという選択の是非には、ほとんど踏み込んで検討されていない。これでは客観的な論評ではなく、特定の政治家への人格批判記事になってしまっている。
◆「決める政治」を安易に否定してよいのか
記事は「決める政治」をどこか否定的なニュアンスで描いているが、政治には最後に決定を下す局面が必ずある。決めないことそのものが「誠実さ」であるかのような論調には、率直に違和感を覚える。
野党が審議拒否という手段を選んだことに厳しい目が向けられるべきである。特に、物価高対応や安全保障など、一刻を争う国民生活に直結する政策が山積する2026年において、国会を完全にストップさせる戦術が、どこまで国民の広範な支持を得られるかは疑問である。国家の危機において対話すら拒否する姿勢は、責任ある態度とは言い難い。
◆最終的な審判を下すのは主権者である国民だ
結局のところ、この国会運営が正しかったのかどうか、その答えは次の選挙で示されることになる。
次の選挙で自民党優位が続けば、国民は高市さんの方法を望んでいるということだ。逆に、次の選挙で野党の議席数が大幅アップすれば、国民は高市さんの方法を望んでいないということになる。
今この記事だけを根拠に、一方的な結論を急ぐ必要はない。日本の未来を託すに足る勢力はどちらなのか、その明確な審判は、私たち主権者である国民が選挙という場で下すべきものである。