
「PDCAを回せ」。
この言葉を社内で使ったことのある経営者は、日本中に何百万人といるだろう。
今日もまさに朝礼で、会議で、社員への指示書で。日本全国でまるで呪文のように繰り返される。
しかし一つ問いたい。
PDCAを提唱したとされるW・エドワーズ・デミング博士が、晩年に何を書いたか、あなたはご存じだろうか。
デミングは1993年、没年に著した『デミング博士の新経営システム論』の中で、PDCAのCを明確に否定した。Checkは「hold back(食い止める)」を意味し、次の行動に結びつかないとして、CをS(Study=学習)に置き換えたPDSAサイクルを提唱したのだ。
さらに決定的な事実がある。
デミングはPDCAそのものについて、「シューハート・サイクルとは関係がない」とも証言している。PDCAは実はデミングが作ったものではなく、1950年に来日したデミングの講演を聴いた日本科学技術連盟の幹部が独自に提唱したものだ。
つまり「PDCAはデミングの理論だ」という日本中に広まった認識自体が、誤りなのだ。
CheckとStudyの違いは、事業計画の本質に直結する
デミングがなぜCheckを嫌ったのか。この問いに答えることが、事業計画の本質を理解することに直結する。
Checkとは「計画通りにできたかどうかを確認する」行為だ。計画と実績を照合し、ずれがあれば問題とみなす。
ここには暗黙の前提がある——「計画は正しい」という前提だ。
しかしこの前提こそが危険だ。
計画が正しいかどうかはまだわからない。計画とは仮説だ。実行して初めて、その仮説が現実に照らして妥当だったかどうかが分かる。
Studyとは「学習する」ことだ。計画通りだったかどうかではなく、実行を通じて何が分かったかを問う。計画のずれを「失敗」としてではなく、「新たな情報」として受け取る姿勢だ。
以前述べた事業計画に要求される「蓋然性」という言葉と照らし合わせると、この違いの意味がより鮮明になる。
銀行が事業計画に求めるのは「計画通りに達成されること(Check的発想)」ではなく、「計画が現実と対話しながら精度を上げていく過程(Study的発想)」だ。
PDCAは品質管理の道具であり、経営の道具ではない
もう一つの根本的な誤解がある。
PDCAはもともと、製造業における品質管理——工場の生産ラインで不良品を減らすための手法——として生まれた概念だ。繰り返し行われる同一作業の精度を上げるために有効な道具である。
しかし経営は、同一作業の繰り返しではない。
市場は変わる。
顧客の需要は移ろう。
競合は予想外の動きをする。
経営における計画とは、不確実な未来に対して仮説を立て、実行し、学習し、仮説を更新し続けるプロセスだ。これはPDCAの想定する「基準への準拠」とは根本的に異なる。
「PDCAを回せ」と言い続ける経営者は、製造ラインの管理手法で事業の未来を語ろうとしている。
デミング自身が最後に辿り着いたStudy——学習——という概念を、Checkという確認行為に矮小化したまま、60年以上使い続けているのだ。
事業計画は「守るもの」ではなく「学ぶためのもの」だ
では、正しい事業計画の使い方とは何か。
計画を立て(Plan)、実行し(Do)、そこから学習し(Study)、次の計画を更新する(Act)。この繰り返しの中で、社長の認識は深まり、判断の精度は上がり、将来への蓋然性は高まっていく。
計画を達成できなかった時、「なぜ達成できなかったか」を責めるのがCheckの発想だ。「計画と現実のずれから何を学べるか」を問うのがStudyの発想だ。
前者の経営者は、計画を「守らなければならない呪縛」として扱う。
後者の経営者は、計画を「現実と対話するための道具」として扱う。
一倉定は「社長のはじめの仕事は事業計画を書くこと」という趣旨を繰り返し説いた。それは、事業計画を書かなければ自社のことを社長が把握できるようにならないからだ。
デミングが1993年に辿り着いたStudyという概念は、まさにこの本質を指している。
「PDCAを回せ」と言い続ける社長は、計画を守ることに意識が向いている。
「PDSAを学べ」と問い直す社長は、計画から学ぶことに意識が向いている。
どちらの社長が、蓋然性の高い事業計画を持てるか——答えは明白だ。
そして、2026年5月から事業価値担保権が始まった。
今の日本は蓋然性の高い事業計画を持つ社長がすべてを手に入れる時代である。







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