名古屋が40℃を超え、うだるような暑さが続いていた8月上旬。たまりかねて避暑ドライブをしました。

中央高速で岐阜県の中津川ICまで行き、そこから国道で長野県との県境越え。やってきたのは、南木曽町の妻籠宿です。

妻籠宿はかつて江戸と京を結んだ中山道の宿場町のひとつ。馬籠峠の向こうに馬籠宿があって、両方とも観光地として整備されているので峠を歩いて双方の宿場を訪ねる観光客も多いです。特に欧米の観光客に人気でインバウンドの観光客がひっきりなしに訪れます。
なお、現在馬籠宿は岐阜県中津川市ですが、2005年の町村合併までは長野県山口村でした。長野県の町村よりも中津川市との結びつきが強かったため越県合併を要望しそれが実現しました。越県合併は平成で唯一の事例です。

妻籠宿のメインストリートにやってきました。昔ながらの佇まいの民家が軒を連ねます。道路が舗装されていなければ江戸時代に戻ったかのようです。
坂道の中にある馬籠宿とは異なりこちらは比較的平坦で歩きやすいです。またどちらかというと観光地化されて店の多い馬籠宿に対して妻籠宿はそれほどでもなく、観光客もゆっくりと街並みを眺めながら散策を楽しむことができます。

水車の音がのどかさを感じさせてくれます。

町のか上手に残る高札場。

高札場から少し下っていく妻籠宿の様子。ここから数百メートルにわたって宿場町が続きます。

こちらは脇本陣。かつては質素な造りでしたが明治に入って幕府の禁制が解かれたことから木曽檜などを使った贅沢な造りに建て替えられました。平成13年に国の重要文化財に指定されています。馬籠で誕生した作家、島崎藤村の資料も展示されています。


その近くにあるのが妻籠宿の本陣。島崎藤村の母の生家であり、島崎家が代々職を担っていました。現在の建物は平成に入ってから建てられたものですが、かつての暮らしぶりをしることができる施設です。

こちらの妻籠郵便局は町並みに合わせ造り。妻籠の古い街並みに溶け込んでいます。黒い郵便ポストは現役なので、ここではがきを書いて投函することもできます。

軒先にぶら下げられた鬼灯(ほおずき)に夏を感じます。

妻籠宿の街並みをすすむと、道路が舗装されていない一画があります。

ここは寺下の街並みと呼ばれており、全国に先駆けて町並み保存の取り組みが行われた場所です。宿場町として栄えた妻籠は明治時代に入るとその役目を終え、衰退の一途をたどりました。昭和に入ってもその流れは続き、若者は外部に出てしまい過疎化に歯止めがかかっていませんでした。そこで妻籠宿では観光のために集落を保存してはどうかという意見がではじめ、積極的に保存に取り組むこととなったのです。
昭和43年から事業は始まり、古くなって寂れた建物を復元、修理しました。建物は「売らない、貸さない、壊さない」の心情に基づいて地元住民を中心に保存に努めました。その甲斐あって今も妻籠は江戸時代さながらの街並みを楽しむことができるのです。

まるで時代劇のセットのような風景。

明治元年に建てられた建物がそのまま残ります。

縁側で座って休憩されているおじいさんも見られました。驚くのは、これらの建物が観光用に残されているだけではなく、住民の方が住んで残しているということ。大事に建物を使って後世に妻籠宿の歴史を伝える努力をし続けていることに頭が下がります。


中山道の宿場町として栄えた妻籠宿。当たり前のように目の前にあるこの景色は、町の人たちの不断の努力がなければ見ることができなかったのだと実感しました。
思えば東海道の宿場町も多くは壊され、街並みを楽しめる場所は限られています。町並み保存のために努力されたみなさんに感謝しながらしばらくの江戸時代へのタイムスリップの旅を楽しみたいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。







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