
(前回:『骨太方針2026』の危険な賭け:370兆円投資は日本を強くするか)
前回は、『骨太方針2026』が掲げる370兆円の官民投資を手がかりに、政府が民間を引っ張る「国家先導資本主義」の危うさを考えた。では、その国家が10年以上にわたって進めてきた「地方創生」はどうなったのか。看板は「地域未来戦略」へと掛け替えられようとしているが、地方をめぐる問題そのものが消えたわけではない。
地方創生はなぜ生まれ、何を残したのか。教授とワタナベ君が議論する。
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ワタナベ君:せっかくの日米協調介入の効果も薄れてきました。「日米通貨同盟の完成形」として日米双方で持ち上げ、片山大臣としても“してやったり”、という印象でしたが。
教授:為替市場はとてつもなく規模が大きく、かつ複数の要因が絡まって変動する。介入といっても限界がある。市場規模が大きいと言ったけど、現時点だけでなく時間軸の上でも市場が成立する。つまり現物と先物、そして実需取引の数百倍もあるといわれる投機取引、全部ひっくるめると1日の出来高が数兆ドル※1)を超える。
※1)BIS(国際決済銀行)や日本銀行の調査によれば、外国為替市場の2025年4月における取引高は1日当たり9兆6,000億ドル(1,536兆円。1ドル160円で計算)、日本の外国為替市場の平均取引高は4,402億ドル(70.4兆円、同)に達している。
日本政府が一連の介入に使ったお金が11兆円なんて聞くと知らない人は驚くけど、実はたいした額ではない。介入の効果は量的というより質的、つまり市場参加者に与える心理的影響だ。
ワタナベ君:よく口先(くちさき)介入なんていいますね。“狼が来る”ですね。でも、それだけでは効果がないので、たまには本物の狼を市場に登場させる。大群でなく1匹でも質的効果がある。ホントに来た! また来るかもしれないと。
教授:外為会計の持つドルも有限だから、アメリカが無制限にドルを貸してくれるならともかく、そう何度もやれない。“狼がまた来る”と皆が思ってくれるのを期待しているわけだ。
これは世界資本主義が大きくなりすぎたことのひとつの象徴だ。アメリカや中国は単一の大国だが、外国為替市場はまさにグローバルの単一市場。少し前までは各国の時差の関係で開場時間に制限があったけど、現在では事実上24時間開かれている市場だ。為替介入という国家先導資本主義の一手段の効果は極めて限定的だ。
ワタナベ君:政府が先導できるのは一国内に限られている。国内パレードのバンドワゴンですね。先頭に立って方向を示すこと、できたら自信をもって、ですか。
さて、今回のテーマは地方創生です。2014年に国家の先導で、そして国民的合意を得て始まったのですが、『骨太方針 2026』では事実上姿を消しました。どうしてこうなったのでしょう?
教授:消されそうになっているのは事実だろうけど、逆になぜこの政策が10年以上も続いたのか。年々、予算は増えているね。それから考えてみよう。
政策には二種類ある。恒常的なものと臨時的なもの。地方創生は後者として2014年に始まった。きっかけは当時発表された『増田レポート』。多くの町村がこのままなら近い将来、“消滅”します! 驚いたのは首長と地方議会。何とかしよう! ということで、にわか仕立ての政治主導の政策として始まった。
ワタナベ君:政治主導の短期政策なら、目標が達成されたら終了です。実は掲げた目標は容易に達成されるものではなかったのですが、とりあえずスタートした。
教授:『骨太方針 2026』で“地方創生”は消し去られようとしている。しかし、10年以上も続いたのも事実で、それはなぜか? 伝統的というか恒常的な政策が合流したからだと思う。ひとつは国土政策、もうひとつは経済政策(景気対策)だ。
ワタナベ君:前者は国土計画ですね。これについては以前のアゴラで取り上げました。国土計画は体系を持った大きな政策ですが、その中には地方政策があります。当初は発展する日本資本主義の影で地方が衰退する。それをなんとかするという弱者救済型の“静脈政策”でした。教授が参加されていた北海道開発計画などは、当初、静脈の色彩が強かったと思います。
教授:『骨太方針 2026』が北海道開発計画について一語だけだが、思い出したように書いている。
さて、もうひとつ合流したのが経済政策だ。合流というより地方創生という話題性(つまり選挙で使える)のある傍流を本流が取り込んだというべきかもしれない。整理すると次の図のようになる(図1)。

図1 政策体系の中の地方創生
筆者作成
ワタナベ君:単発のレポートが提起した課題から生まれた臨時政策が10年と少しの間に変貌を遂げて主要な政策になった。では、せっかく育ったそれを消しゴムで消すような扱いをするのでしょう。まるで看板の付け替えを競っているようです。
教授:高市内閣の地域未来戦略はまだ発表されていないけど、石破元首相オリジナルの“地方創生”に蓋をするのは岸田政権の「デジタル田園都市」と同じだ。これは地方にデジタル回線というハードを充実させた。そのためのお金をばらまいたという以外、見るべきものはなかった。日本で新たに田園都市が生まれたわけでもないし、“田園”のイメージが古すぎるね。ベートーヴェンか田園調布しか思い浮かばないね。
石破内閣で地方創生は「地方創生2.0」として再び前面に出るが、政権が短命だったために、もう一度蓋をされることになった。
ワタナベ君:その流れを図2にまとめておきました。どうしてこんなことになるのでしょう。

図2 地方創生をめぐる歴代の名称
筆者作成
教授:政治家の行動は理論ではないからね。派閥争いにも見える。“安倍後継は私です”という自己主張にも見える。なにしろ8月に引き下げが決まった消費税率を“元に戻すまでやる”つもり、なのだから。
ワタナベ君:政策論議に話を戻しましょう。国土政策が合流したのはわかります。ではなぜ経済政策が合流したのでしょう。経済産業省は地方にさほどの興味はないと思います。主要な都市の合同庁舎に経済産業局があるにはありますが、主な役割は霞ヶ関指令の伝達機関です(アハハ……言い過ぎました)。
教授:それを私も考えている。町や村は人の住むところ。それを維持することは国土政策の基本だ。しかし、国の経済政策に“地方”はあるのか。極端に言えば資本主義に地方は必要なのか。金融資本主義になれば地方はいらないのでは。香港やシンガポールを見ればよい。ロンドンもニューヨークも地方から隔絶されて存在している。
資本主義にとって関心があるのは利潤(率)だけ。ヒト、人間はそのための道具です。人々が生活する場所とか環境とかはよほど悪化しない限り気にならない。
東京を世界の金融センターにしようという試みがあった。日本の資本主義にとって大事なのはお金の集まる大都市です。東京という都市が人が住むのに適当でないことは、経済学以外の諸科学には自明なのに“東京一極集中”は止まらない。そこには人間の意志を超えた資本の論理があり、それに支配された状況に私達が置かれているからだろう。話が大きくなりました。戻りましょう。
ワタナベ君:地方が救済すべきものから、維持し守るべきものに資本の“意識”の中で変化した。この変化が相変わらず金融中心のグローバル経済下でなぜ起こったのか? これが問題ですね。極端な言い方をすれば地方なんてなくてもよい。昔は、労働力の供給基地だったし、それなりの消費地であったけど、いまでは外国人労働者がいるし、輸出という迂回路がある。だから香港型でいいじゃないか。東京に生産の基軸となる大企業の本社があって、それらのための主要な装置である金融・証券市場がある。ついでに“税金で自分達を支援してくれる行政・官庁があれば、いいじゃないか”。これが本音ですか。大きな声では言えませんが……。
教授:構造、それが意識に反映した。本音もそのままなのに、なぜ地方創生が誕生し育ってきたのか。これは興味深いね。まだ考えはまとまっていないけど、ひとつの答えは30年間続いた(今後も続く可能性はある)デフレだ。この克服のために政府はありとあらゆる経済政策を展開した。本気でやらなかったのは人口・地方政策、農業政策、そして中小企業政策だ。この中にデフレ脱却のヒントがある。官僚や政治家が思いついたというより、資本主義が“本能的”にそこにたどり着いた。つまり、長期のデフレを繰り返さないように、そのための景気浮揚政策として半ば無意識のうちに地方創生は育ってきた。
現在の状況では資本の政策として必要なのだから、なきものにはできない。井戸を掘った人の名前を見せないように蓋をする。
ワタナベ君:資本主義経済にとって地方経済が必要だという論証はまだなされていないのですが、それを是認する状況が先行している。経済学者やエコノミストは現状に追い越されたのでしょう。でも資本主義社会にとって地方社会は必要だということは社会学では常識であり、視点を経済・お金から人々・生活に移せば当然に見えてくるのです。
教授:私達は“視野狭窄”に陥っているわけだ。経済→社会、さらに→人間に視点を移せば、人が豊かに精神の充実を伴って他の人々とともに生きていける生活空間が必要なことは当然なのだろう。政治家は自分の功績に見せるために看板を掛け替えるのだけど、このテーマの奥にはもっと深遠なものがある。地方創生は人間の科学・哲学の問題、ということかな。
ワタナベ君:香港もニューヨークも、そして東京もその大事なものを欠いた欠落都市なのです。話がかなり抽象的になりました。具体の世界に戻りましょう。10年間続いた地方創生は成果があったのでしょうか。
教授:2014年にスタートしたとき、目標として東京一極集中の是正が第一に掲げられたが、これに関しては明らかに失敗した。2025年5月公表の国勢調査によれば東京の人口は20年間で19万9,000人増えた。しかし、日本全体では309万人減少した。誰がどう見ても失敗だ。
2025年には生まれてくる人の数はついに70万人を割った。合計特殊出生率は下がり続けてついに1.14。そして地方創生のご当地は軒並みこれより低い。東京は0.9だけど社会移動で増えている。つまり他から集まっている。地方は自然減プラス社会減だ。
ワタナベ君:地方創生に関する内閣府の予算だけで約2,400億円。これまでに使ったお金から見れば大失敗です。
教授:地方創生は環境問題と似たところがある。資本主義は環境汚染などおかまいなし。これが本質なのだけど、問題を放置すると資本主義が動かなくなる、というところまで行ってやっと静脈政策を発動する。しかし、静脈に関わる仕事は利益になりにくい。民間は手を出したがらないから、専ら国の仕事になる。でも政策的に展開するのには各方面の合意が必要だから実行までに時間がかかる。つまり手遅れ気味になる。
『沈黙の春』が出版されたのは1962年。日本に環境庁ができたのは1971年。日本の第1号として北海道大学に環境科学の大学院が設置されたのは1977年だ。
地方の状況がよくないのは『増田レポート』が発表される以前からわかっていた。しかし、資本主義にとってそれは大事ではないから放置された。それが、“おらが村がなくなる!”ということで突然火がついて政治問題化した。慌てた末の地方創生なのだけど、政治的なバカ騒ぎでは済まされない課題だった。
敢えて言えば、私達は成長経済ばかり求めているが、それを創り出す人間像はいかなるもので、どんな生活空間でそれが生み出されるかを考える必要がある。資本主義が歴史的にどうやって生み出されてきたかを機械とか技術ではなく人間に即して考えたい。そこで見えてくるもの、人々・社会、農業・農村、暮らしの文化、世代・ファミリー等々。それらを再生しようというのが地方創生なのだろう。
ワタナベ君:それは大仕事なので次の課題としましょう。地方創生政策のこれまでを振り返って現時点でも指摘できる問題点があると思います。
第一は理論不足ですが、これは地域未来戦略が出てからにしましょう。
第二点は、第一の点とも関連するのですが、ミクロの成功事例に頼りすぎたことがあります。“あの町ではこんなふうにやって成功した”、これを真似しろと事例集まで作成した。でも、地域によって社会資源は違うから簡単ではない。真似できたのは補助金を申請するということだけです。東京のシンクタンクには全国の市町村から申請書作成の依頼が殺到した。一村一品のときと同じです。
教授:これは私達の課題でもあるけど、地方創生を資本主義“社会”の再建の策として、環境政策、人口政策、農業・中小企業政策などと一緒に総合的に考える必要がある。どんな看板にするかは政治家にまかせて、私達は奥行きと広がりを意識して進むことにしよう。







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