屋台から始まった浅草の天ぷら:創業156年の「中清」

浅草は、東京の中でも不思議な街です。雷門や仲見世には外国人観光客があふれ、新しいホテルや店も次々にできています。それでも少し路地に入ると、突然、昔の東京が顔を出します。そんな浅草で、明治3年(1870年)から天ぷらを揚げ続けているのが「天麩羅 中清」です。

公式サイトより

幕末の屋台から始まった

浅草公会堂のすぐ近く。表通りから石畳を進むと、蔵造りの玄関が現れます。その奥には池のある中庭と数寄屋造りの離れがあり、観光客でにぎわう浅草とはまるで別世界です。

中清の歴史はさらに古く、幕末までさかのぼります。初代の中川鉄蔵は駿河の武士でした。故郷を離れて江戸へ出て、広小路通りで天ぷらの屋台を始めます。そして1870年、現在の浅草公会堂前に店を構えました。

その後、関東大震災と東京大空襲で2度全焼。それでも、そのたびに店を再建しました。かつては新橋の「橋善」、銀座の「天金」と並び、東京を代表する天ぷら店の一つに数えられたそうです。

東京では店がなくなるのは珍しくありません。まして156年続くとなれば、その間に震災も戦争も高度成長もバブルもありました。浅草という街を見続けてきた店、と言ってもいいでしょう。

名物は巨大な「雷神揚げ」

中清の天ぷらは、車海老、穴子、鱚など魚介を中心とした昔ながらの江戸前です。ごま油の香りも特徴です。なかでも名物が「雷神揚げ」。

芝海老と青柳の貝柱を使った大ぶりのかき揚げで、その姿が雷門にいる雷神の雷太鼓に似ていることから、仏文学者の辰野隆が名付けました。揚げ方は一子相伝で、門外不出とされています。

現在、雷神揚げ定食と雷神揚げ丼はいずれも4,950円。決して気軽なランチではありませんが、ここでは値段だけでは測れないものを食べている気がします。

文豪たちも通った店

中清には、料理とは別の楽しみもあります。永井荷風の作品には中清を訪れる場面が登場し、池波正太郎も何度も店を訪れました。作家の久保田万太郎は3代目と幼なじみで、子どものころには店の中庭で遊んでいたそうです。

今の浅草を歩いていると、「インバウンド」という言葉をどうしても意識します。抹茶スイーツ、食べ歩きグルメ、着物レンタル。浅草は時代に合わせてどんどん姿を変えています。

でも、そのすぐそばで156年前から天ぷらを揚げている店がある。街は変わっても、変わらないものが残っている。浅草の魅力は、雷門だけではありません。こういう店が何気なく残っていることこそ、この街のすごさなのかもしれません。

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