日本のトイレは、いつからきれいになったのか

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私が子供の頃、公園の公衆トイレは、はっきり言って汚かった。

いや、公園のトイレだけではない。観光地に設置された公衆トイレ、飲食店のトイレ、商業施設のトイレ、公共交通機関のトイレ。現在の日本からは想像しにくいほど、当時の公共トイレは汚れていることが珍しくなかった。

ところが今、日本のトイレは違う。

訪日外国人が日本に来て驚くものとして、治安の良さ、街の清潔さ、そしてトイレのきれいさが挙げられることは珍しくない。いまや「日本のトイレ=清潔」というイメージは、日本人だけでなく海外にも広く共有されていると言っても過言ではないだろう。

しかし、多くの日本人は忘れている。昔の日本のトイレは、決してきれいではなかった。

では、いつから日本のトイレはきれいになったのだろう。

設備が新しくなったからだろうか。清掃技術が向上したからだろうか。日本人がもともと「きれい好き」だったからだろうか。

私は、もう一つ別の可能性があるのではないかと考えている。

日本の「清潔なトイレ」は、自然に生まれた文化ではなく、人為的につくられた文化なのではないか。

何事にも理由がある。日本のトイレがきれいになったのにも、何らかの理由があるはずだ。

そう考えたとき、私の脳裏に、ある一枚の張り紙が蘇った。

「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」

この張り紙である。

あの張り紙には、妙な違和感があった。

私が初めてこの張り紙を見たのは、1990年代の初めだったと記憶している。

場所は、焼き鳥店だった。現在も全国に店舗を展開するチェーン店のトイレだったと思う。

もちろん、30年以上前の記憶なので、店名については断定できない。ただ、そのとき感じた強烈な違和感だけは、今でも覚えている。

「なんだ、この張り紙は?」

当時、トイレに貼られていた注意書きといえば、「トイレはきれいに使用してください」あるいは、「トイレはきれいに使いましょう」といったものが一般的だった。

管理者が利用者に対して、「きれいに使ってください」とお願いする。

当たり前の構図である。

ところが、「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」は違った。

私はまだトイレを使っていない。なのに、すでに「いつもきれいに使っている人」として扱われている。

これは一体、何なのだろう。

従来の張り紙は「管理者→利用者」だった。ところが「ありがとう」は、「管理者→利用者→次の利用者」へと構造を変えてしまった。

「きれいに使え」という命令ではなく、「あなたはきれいに使う人です」という役割を、利用者に先に与えてしまったのだ。

今では、コンビニや飲食店、商業施設など、多くの施設で当たり前に見られるようになったこの張り紙だが、出現した当時から賛否の声があった。「丁寧な言葉の裏に強制力を感じる」「意図が見え見えだ」などだ。

それでも、あの張り紙が広がっていった時期と、日本の公共トイレが「汚れていても仕方のない場所」から「清潔に保つべき場所」へ変わっていった時期が重なっていることは、どうしても気になる。

もしかすると、張り紙が社会を変えたのではなく、社会の変化を誰かが一枚の張り紙に凝縮しただけなのかもしれない。

いずれにせよ、私は見落としていた。私は長い間、この張り紙に対する違和感とは、「丁寧な言葉の裏にある強制力」や「意図が見え透いていること」への反発だと思っていた。

しかし、もしかすると違う。人々が違和感を覚えた本当の理由は、もっと深いところにあったのではないか。この一枚の張り紙は、「トイレは汚れるもの」という、それまで当たり前だった認識を静かに否定していた。

「汚さないでください」ではない。「あなたたちは、ここをきれいに使う人たちです」と、先に決めてしまったのである。

それまで「きれいにする責任」は、主として管理者側にあった。しかし、この張り紙はその責任の一部を利用者に預けた。しかも、お願いするのではなく、「あなたはすでにその役割を果たしている」という形で。

これは、単なる注意書きではない。

訪日外国人は「日本人はきれい好きだからトイレはいつも清潔」と考えるだろう。いや、日本人の多くも、いつの間にかそう信じているのではないだろうか。

あの張り紙が、ある日突然、日本人の美意識を変えたとは思わない。日本にはもともと、共同体の秩序や公共空間を大切にする文化があった。それは間違いない。

しかし、それだけでは説明できない。なぜなら、昔の日本の公共トイレは、実際に汚かったからだ。

私はこの張り紙の起源を調べてみた。しかし、ナッジ理論やピグマリオン効果といった、この張り紙がなぜ人の行動に影響するのかを説明する研究にはたどり着くものの、肝心の張り紙そのものが、いつ、どこで、誰によって始められたのかについては、いまだはっきりしない。

日本人は、いつから「公共トイレはきれいに使うもの」と考えるようになったのか。

そして、その変化はトイレだけに起きたものだったのか。もしトイレで起きたことが、街にも起きていたのだとしたら、それは単純なナッジやピグマリオン効果だけでは説明できないのではないか。

一人ひとりの行動を変えたのではない。「公共空間とは、みんなできれいに保つものだ」という認識そのものを変えたのではないか。

もしそうだとすれば、あの一枚の張り紙は、単なる注意書きではなかった。日本人と公共空間との関係を変えた、小さな社会装置だったのかもしれない。

もし「あの張り紙は、もっと前から知っている」「発祥は〇〇だと聞いた」という記憶や資料をご存じの方がいれば、ぜひ教えていただきたい。

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