
2021年4月に公表され、批判を受けて1年後に削除されたオープンレターが、今月(26年9月)ふたたび炎上している。初出から5年半も経ってなお、ここまでの大火を起こすさまは、もはや不発弾を超えて休火山のようだ。
きっかけは東大教授の本田由紀氏による差別発言で、以下の拙記事も導火線にはなったろう。しかしSNSの反応で気になるのは、史実と異なる言及が目立つことだ。彼女はレターの署名者に過ぎず、「呼びかけ人」ではない。

正確な事実を押さえずに発信する人たちにも問題はあるが、最大の責任を負うのは(ほんとうの)呼びかけ人たちだ。炎上の中で削除された元サイトの跡地には、いまやなんと、
オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」は2022年4月4日をもって公開を終了しました。多くの方からのご賛同にあらためて感謝申し上げます。今後については詳細が決まり次第このサイト上でお知らせいたします。
2022年4月4日 差出人一同
改行と強調のみ変更
としか、書かれていない。本来の「差出人」(呼びかけ人)とは誰で、今後はどこに問いあわせるべきかも完全に抹消する、100%の “言い逃げ” をキメているのだ。空前絶後の無責任集団である。
もっとも、レターとその署名簿はかつて1年間も公開されていたので、魚拓やデータベースが多数あり逃げきれないのだが、”公式には” 読めないのをいいことに好き放題言う例もある。なので、全文を翻刻する人さえ現われた。

だがこうした事態は、もともと歴史学者で、かつリアルタイムでこの問題に言及してきた第一人者であるぼくからすると、想定外のことではない。むしろ、ある意味では “納得のいく” 帰結だ。
オープンレターとは、検証可能な史実(fact)に基づく「歴史」を終わらせ、むしろすべてが噂話や風聞、語り手ごとに細部も含意も異なる「伝説」でしか過去が伝わらない時代へと、社会を逆行させる試みだったからだ。
翌月にレターが発される原因となった、呉座勇一氏と北村紗衣氏のSNSでの衝突が生じたのは、2021年3月。だが当時数多くつくられた、その経緯を記録する「まとめサイト」は、同月中にほぼすべてが非公開にされていた。

呉座氏の勤務先の事務方に、抗議電話で嫌がらせをするのはやめるよう指摘した木村幹氏が、多数から攻撃された事実のまとめは残っている。だが開けばわかるとおり、彼を叩いた圧倒的多数は、自身の発言を削除している。
皮肉なことに、どんな人が木村氏を攻撃したかは、同調者が当時記したブログでわかる。ツイートが再録されている北村紗衣氏はオープンレターの呼びかけ人で、高井ゆと里氏は署名者である。

こうして前月に「なにが起きたか」が辿りにくくされた後、2021年の4月1日(レター公開の3日前)に、当事者である北村氏のインタビューが出る。そこでも “伝説話法” はいかんなく発揮される。

――北村先生はいつからフェミニストになったのか、きっかけのようなものはありましたか?
北村 うーん、きっかけは特にないですけど、おかしいと思うことにおかしいと言う子どもでした。それの何がいけないのか、よくわからなかったんですね。基本的に空気が読めなかったので。……私、中学校にあんまり行ってなかったんですよ。教員にちょっといじめられて。
――それは……空気を読まずに異論を唱えるとか、勉強ができるからとか、そういう?
北村 たぶんそうだと思います。
文春オンライン、2021.4.1
2か所めの「…」は原文
彼女が語るトラブルがあったのは事実だろうが、小・中学生が当時「おかしい」と感じた疑問が本当に理のあることだったのか、単なる未成熟ゆえの不満だったかを、20年以上も経ってから検証することはふつうできない。
つまりこれは、歴史でなく伝説の語りである。後世に高名なフェミニストとなった北村氏が、過去を振り返り “そうなるまでの道のり” を語る以上は、「いかにもありそう!」と読者に感じられる限りで、それは説得力を持つ。
言い換えるとこの発言は、(高名なフェミニストとしての)「いまの私」を信じる人は、史料やエビデンスがどうこうとは無縁に、「過去の私」をめぐる語りも信じてね、という話法になっている。誰であれ、各種の武勇伝にはよくあることだ。
ではなぜ指摘したかというと、今月、レターの再炎上にともない事実関係が争点になった際も、彼女が同じことを繰り返しているからで、

北村紗衣氏のXより
メールで苦情を言ったのも事実だろうが、”苦情” の中身が語られなければ、起きた事実は読み手が推量するしかなくなり、その内容は北村氏に抱く印象によって決まる。本人は、①呉座氏の解雇に「抗議した」と読んでほしいのだろうが、仮に、
②「なぜおたくは十全な手続きを踏まずに呉座氏をクビにして、同氏に訴訟を起こされるに至ってるんだ。おかげでこちらまで延焼して大迷惑だ。呉座氏に訴訟を取りやめさせろ、黙らせろ」
といった内容の “苦情” でも、上記のツイートの文面自体は成立してしまう。①②のどちらの解釈が正しいかを決められず、かつ確定するに足る史料の提供を当人が放棄している点で、歴史でなく伝説が語られているのである。
こうしてすべてが伝説になると、なにが事実かを先入見で決める割合も高くなる。非識字層の多い前近代の集落ではどこであれ、「よそ者が犯人にちげぇねぇだ!」で人民裁判するようなものだ。
対して近代社会で識字能力の “頂点” に立つと、いちおうは見なされてきたのが大学教授とかで、「まさか大学の先生がムチャクチャはしないだろう」となんとなく思ってもらえていたのだが、オープンレターでその信用は吹き飛んでしまった。

上のまとめは今月13日のもので、名簿に名前があっても「私は署名していません」と主張した大学教員2名が、さまざまな状況証拠から
「ぶっちゃけホントは署名したのに、レターの評判はガタ落ちだしもう5年も経って事実を突き止めるのはムリそうだから、後出しで “してません” ってことにする言い逃げ屋だろ?」
と疑われ、叩かれる現状が記録されている。まとめ主は冷静な論評のみを拾っているが、はるかに過激で直截な非難も飛び交っているし、率直に言って「第一人者」のぼくでも、2名の主張の真偽を判定するのは困難だ。
くどくて悪いけどぼくは第一人者なので、この問題に関するかぎり、予言したことは後でだいたい当たる。レターが出た年の秋に、

4月4日のオープンレターは、この国の学者・言論人・出版人たちの「いまさえよければ」な短慮と責任放棄の記念碑として、オンライン上で恒久的にその愚行を留めることとなろう。
それが学問や言論の名を掲げながら、SNS時代のなかで実際には「言い逃げ」の専門家へと転じていった人々を待つ、唯一の運命である。
アゴラ、2021.11.27
強調は原文通り
と書いたことは、伝説ではなく史実として「そのとおりになった」としか評しようがないし、この春のレター公開5周年に際して、

オープンレターズの惨めな壊滅と、責任感なき逃亡を通して、博士だ・学者だ・大学教授だといっても「なんだ。入っているのはこの程度の脳なのか」と知った人は多い。その意味ではあのレターは、なによりも彼ら・彼女らの頭蓋骨をオープンして見せてくれたのかもしれない。
(中 略)
ようこそ! 空っぽとわかった知性が開頭され、串に刺して炙られ、もう誰も信じない世界へ!
拙note、2026.4.8
こちらも強調は原文ママ
と記したのも、「署名してない」宣言を信じてもらえない山口慎太郎氏(東京大学教授)と大塚淳氏(ZEN大学教授)の窮状が示すとおり、わずか半年で「はい的中!」しちゃったのである。
こうして過去を振り返るとき、オープンレターが出る契機となった呉座勇一氏の炎上が、そのときまで彼をシンボルに人文書の世界を席巻してきた「実証史学ブーム」を終わらせたことの意味が、初めてわかると思う。
長らく指摘しているとおり、「私は呉座氏の縁者ではございません!」というアリバイ作りの駆込寺として、競ってオープンレターに殺到し署名した歴史学者は多かった。彼らはそのとき、

「事実がなにかなんてどうでもいい。伝説があれば歴史なんていらない。そのとき大人気のインフルエンサーが語る武勇伝にみんなでイイネして、なんなら署名して、炎上で人気がひっくり返ったら逃げ出して知らんふりすればいい。史実の実証なんてクッソどうでもいい」
という、自らを全否定する学問的な自殺行為への扉を、開けたのである。
ちょうど、来月21日に刊行予定の『なぜ「まちがえた」と言えないのか』を校了したのだが、コロナ禍やウクライナ戦争での “専門家” の誤りを検証する内容に加えて、同書ではこの問題の掘り下げにも、1章を割いている。
名づけて、「自壊した人文学 平成・令和の “歴史学ブーム” の末路」。
思えば2021年、問題の発端にあたる3月に初めて行った寄稿でも、ぼくはこの結末を予感して、こう書いた。ぜひその滋味を味わいながら、(歴史)学者たちの挽歌を奏でる新著について、楽しみに待ってくれるなら嬉しい。

呉座氏というシンボルを損なった「実証史学ブーム」なるものは、今回の騒動を最後に雲散霧消し、歴史学それ自体の意義を顧みる人も、やがて誰もいなくなるだろう。私個人としては、それはそれでもうかまわないとも思う。
しかしそのことが、一時的な激情ではなく「過去に発された言葉の積み重ね」によって営まれる公正さの終焉を意味するとき、私たちの社会は多くのものを失うだろう。そして夕空に舞う雲雀に流す涙は、より好ましい秩序の到来を、もはや予告しないのである。
論座、2021.3.28
今夏にアーカイブ閉鎖
参考記事:


(ヘッダーはピクシブ百科事典より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年9月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください







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