
トランプ大統領が習主席を厚遇した米中首脳会談が行われ、その前に高市首相とトランプ氏の会談が25分、行われた。外交用語では二つとも「首脳会談」です。後者の実態は日米首脳の「ミーティング」です。
トランプ氏は中国を「第2次世界大戦時の同盟国」と、異例の発言をしました。現在の中華人民共和国でなく、中華民国の時代の話で、歴史認識では間違いです。「そんなことはかまうものか。いつものセールストークだよ」がトランプ氏の本音なのでしょう。
この話は現在の米中関係を象徴しています。ソ連の崩壊(1991年)で東西冷戦が終わり、政治学者のフランシス・フクヤマは有名な著書『歴史の終わり』で「民主主義陣営の勝利、東西の対決の終わり」、つまり米国覇権の確立「G1」と想像しました。歴史はそうならず、民主主義、自由主義経済は逆に内部の亀裂・崩壊を深めています。学者もつらい時代です。
G1→G0→G2と目まぐるしい
国際政治学者のイアン・ブレマー氏は「覇権国なき、リーダーなきG0の時代になった」(2015年)という説を唱え、世界も「そんなものかな」と妙に納得したのです。有力な学説も寿命が短く、今回の「米中はかつては同盟国」のトランプ発言は「G2時代」の深まりを意味する。
「G1」→「G0」→「G2」という流れです。「G2プラス多極化」という見立てもあり、なんとも騒がしいのです。私は「中国の覇権下のG1」や「米国覇権下のG1」より「米中によるG2」を歓迎します。米中が双方をけん制し、どちらか一方の支配を許さないほうが欧州、日本、アジアの中程度の国にとってはまだ安心できると思います。
日経新聞の社説は「米中は自らの混乱収束に責任を持て」、朝日は「責任問われる大国関係」、読売は「演出は派手だが課題は残った」、毎日は「融和演出する米中首脳、世界の課題は置き去りだ」が見出しでした。間違いではないにしても、歴史的な視点を欠く。
「米中G2時代における日本外交の転換期」という視点で社説を書いてほしい。特に高市政権の対米一本足外交を懸念するからです。高市氏は国内の支持者向けの視野にとらわれ、歴史的な転換点をみる意識に欠ける。
首相の立場を忘れた失言が多い
「台湾有事は日本有事」の高市発言は失態でした。実態はそうなっても、一国の首相が国会で平時に発言し、中国を刺激し、騒動を大きくした。外交を仕切らなければならない立場に首相は置かれている。その認識がない。
太平洋戦争についても、「私自身は当事者とは言えない世代(戦後生まれの意味)ですから反省なんかしていません」という意識なのでしょう。そう考える世代、個人がいてもいい。それと歴史を背負っている国家としての責任はまるで違う。国会議員、首相ともなれば、そうはいかず、歴史を踏まえた国家責任を負う。そうした意識が希薄だから、戦没者追悼式での式辞から「戦争への反省」という文言が消える。これではアジアから孤立する。
米国に言われないと円安是正に動かない
今回、トランプ氏から円安への懸念が示されました。国内では拡張財政、利上げの遅れ、円安進行、インフレの持続などが指摘されているのに、動かない。ベッセント財務長官の強い不満(5月)があったにもかかわらず、聞かぬふりを続け、ついにトランプ氏の指摘につながりました。国内では多くの懸念が噴出している。米国からの指摘を待つ姿勢は情けない。

日米首脳会談での高市首相とトランプ大統領
ホワイトハウスXより
苦し紛れに高市首相は「一般論として、円の過小評価は問題だ」と伝えたそうです。一般論ではない。現在、差し迫った問題なのです。よほどばつが悪かったのか、苦し紛れの発言となりました。
さらに城内経済相が高市政権の財政運営について「アベノミクス的なリフレ政策の局面は終わっている。今はリフレ政策ではない」と記者会見で語りました(25日)。嘘でしょう。あれだけ国債を発行してきた拡張財政なのに、高市首相は「これまでの超緊縮財政を転換する」と明言しています。これまで以上の拡張財政(成長政策と説明)をしたいとの意味でしょう。
ベッセント長官の発言(5月)は高市政権の財政金融政策を全否定する対日勧告といってもよく、それをトランプ氏が追認したのです。
編集部より:この記事は中村仁氏のnote(2026年9月26日の記事)を転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は中村仁氏のnoteをご覧ください。







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