東京大学の次期総長選びが、思わぬところで国立大学改革の歴史を掘り起こしている。教職員による意向投票では染谷副学長が第2回投票で過半数を獲得したが、総長選考・監察会議は、この結果をくつがえして藤垣教授を次期総長予定者に選んだ。
これについて甘利明元経済再生担当相はXで「ダブルスコアで勝った候補を外すなら何のための投票なんだろう?」という趣旨の疑問を呈した。
東大総長選は教員等による投票で1107票で過半を制した染谷隆夫副学長を2位で553票の藤垣裕子副学長が学長選考・観察会議の判断で覆して総長に選出しました。…
— 甘利 明 (@Akira_Amari) September 29, 2026
この投稿は批判を呼び、コミュニティノートまでついた。教職員の投票結果をそのまま学長選考に反映してはいけないという仕組みをつくったのは甘利氏だったからだ。
「投票で学長を決めるな」が政府の大学改革だった
国立大学の学長選考制度は2004年の国立大学法人化で大きく変わった。法人化以前は、教授会や評議会を中心とする学内自治の色彩が強く、教職員による選挙で学長が決まる大学が多かった。
法人化で「学長選考会議」が設けられた。これは経営協議会から選ばれる学外委員と、教育研究評議会から選ばれる学内委員を同数にし、その会議が学長を選考する制度で、教職員投票はその「意向を知る資料」とされた。
第2次安倍政権では、2014年の学校教育法・国立大学法人法改正で、学長選考会議が学長の選考基準を定め、選考結果や理由を公表する制度が導入された。経営協議会でも学外委員を過半数とし、大学経営への外部の関与を強めた。
文科省は「意向投票は禁止しないが、その結果をそのまま学長選考会議の結論にするのは適切ではない」と説明した。つまり東大で起きたことは、制度上の事故ではなく、2014年改革が想定していたことなのだ。
大学は改革に抵抗する「保守的左翼」の拠点
皮肉なのは、甘利氏自身がこの大学改革についてかなりくわしく語っていることだ。2019年のインタビューで甘利氏は、国立大学では学長に十分な人事権や予算権がなく、教授会や学部長の抵抗で改革できないと問題視していた。
そして学長選考について「労働組合員の投票で社長を決めるようなものだった」という認識を示し、学長選考会議に外部の人間を参加させ、学長のリーダーシップを強化する改革を進めたと説明している。
この背景には大学教師に「リベラル」が多く、教職員選挙が大学改革に反対する保守的左翼の拠点になっているという問題意識があった。政府や財界は「教授会自治では大学改革が進まない」と考え、トップダウン経営を求めた。
会社でいえば社員投票で社長を選ぶのではなく、取締役会が経営能力を判断して社長を選ぶ株式会社型ガバナンスが当時の改革思想だった。
「株式会社型ガバナンス」が学内政治を悪化させた
しかし甘利氏の「社員が社長を選ぶ会社はない」という比喩には問題がある。株式会社には株主がいる。取締役が間違った経営判断をすれば株主総会で交代させられ、業績が悪化すれば株価や買収という形でも経営陣に圧力がかかる。
ところが国立大学には株主がいない。教職員による選挙という内部民主主義を弱め、少人数の選考会議へ権限を集中すると、その会議が間違えたとき誰がチェックするのかという問題が残るのだ。
政府は教授会という既得権集団を弱めれば、改革派の学長が選ばれると思ったが、それは権限を教授会から選考委員会へ移しただけで、次に起こるのは選考委員会をめぐる学内政治である。今回は、その原因は工学部をめぐる横領事件だったと思われる。
自民党の改革が超リベラルの女性総長を生んだ
これは壮大な歴史の皮肉である。かつて自民党政権は、大学の「リベラルな教授会自治」を弱めるため、教職員選挙の力を落とし、学外有識者を入れ、学長選考会議の権限を強化した。
それから12年。東大では教職員の過半数を得た(自民党政権と近い)染谷氏が敗れ、超リベラルの藤垣氏が総長に選ばれた。今度は改革を進めた自民党側から「何のための投票なのか」という声が上がっている。これ以上わかりやすい制度改革のブーメランも珍しい。
大学がリベラルに支配され、改革に抵抗するのは世界的な傾向である。今週の金曜から始まるアゴラセミナー「リベラルはなぜ敗北したのか」では、このように大学を支配してきたリベラルの問題点についてもみなさんと考えてみたい。








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