最高裁の欺瞞 - 岡田克敏

岡田 克敏

 裁判員にアンケート調査した結果が発表されました。興味深いものなのでご紹介します。

『裁判員制度の課題を検証するため、全国の裁判所は裁判員を経験した人にアンケート調査を行っていて、去年8月から11月に行われた77件の裁判に参加した442人から回答を得ました。
 アンケートで審理の内容について聞いたところ、全体の72.2%の人が「理解しやすかった」と答えました。しかし、このうち、被告が起訴の内容を否認した裁判では、「理解しやすかった」と答えた人は56.9%にとどまり、争点が複雑になると理解が難しいと感じる人が少なくない現状がうかがえます。


 一方、検察官と弁護士の説明のわかりやすさについて聞いたところ、検察官については、81.9%の人が「わかりやすかった」と評価したのに対し、弁護士の説明を「わかりやすかった」と答えた人は52.3%にとどまり、「わかりにくかった」と答えた人も10%いました。被告が無罪を主張して全面的に争うなど複雑な裁判が今後、本格的に始まる中で、一般の市民にわかりやすい審理をどう進めるかが課題になっています』(2月14日朝のNHKラジオより)

 グーグルの検索で調べた限り、これを取り上げたのはNHKと読売だけでした。読売の記事ではこれを発表したのは最高裁判所であるとしています。

 説明のわかりやすさでは、検察官と弁護士には81.9%対52.3%もの大差があるということですが、これが裁判員の判断に影響が与えないとは考えられません。検察側の説明は理解できたけれど弁護側の説明はよくわからないというとき、検察側に寄った判断が下される可能性が高いと思われます。

 また否認事件においては「理解しやすかった」が56.9%ということですが、これは43.1%はそうではなかったという意味であり、これは重大な問題の存在を示唆しています。裁判員全員が事件を十分理解した上で結論を出しているのか、という懸念です。

 我々が是非とも知りたいことは裁判員全員が事件の全容を十分理解しているかという点です。裁判員がよく理解しないまま、評議に参加して結論を出すようでは被告はたまりません。理解できないものにまともな判断など、できるわけがないですから。

 このアンケートでは、説明がわかりにくくても最終的に理解できたのか、あるいはできなかったのかというもっとも重要なことがわかりません。なぜ「検察や弁護士の説明が理解できましたか」「評決までに事件の全体が理解できましたか」という質問をしなかったのでしょうか。

 裁判員全員が事件を十分理解した上で評決したかどうかはこの制度の根幹にかかわる重要なことです。裁判員制度を実施した者は裁判員の理解度について確認する義務があると私は考えます。

 検察官と弁護士の説明をわかりやすくするのは、裁判員の理解を十分なものとするのが最終の目的です。アンケートで調べるのならば途中の段階である「わかりやすさ」ではなく、最終目的である「理解度」を訊ねる方が理に適っています。

 なぜ最終的な「理解度」を調査しないのでしょうか。それは「理解できなかった」という答が何割か出てくることを恐れているためではないかと想像します。もし「理解できなかった」という答があれば、理解しないままに評決を行ったという事実を認めざるを得ないことになり、裁判員制度の土台を揺るがすことになりかねないと考えたのでしょう。

 都合が悪いからあえて調査せず隠しておこうというのは、評決が裁判員の十分な理解の上で行われているかを国民に知らせないことであり、アンフェアであるだけでなく、制度の今後の改善にとっても障害となります。何よりも現状の正しい認識が重要です。

 裁判員制度を進めてきた側にとっての最悪の事態は理解できない裁判員が評決を下すことではなく、そのような裁判員の存在が表面化することなのでしょうか。もし複雑な事件で、理解が不十分な裁判員が6人のうち2人も3人もいたという事例が明らかになれば裁判員制度は存立の基盤を失います。これは実に重要なことであり、その確認のために理解度を計れるようなアンケート調査をすべきではないでしょうか。

 「理解度」が許容できる範囲なら裁判員制度を継続する、許容範囲を超えているなら裁判員制度の見直しをする、というのが当然の方向です。「説明のわかりやすさ」だけの調査では有効なデータを得ることはできません。

 報道したメディアは知る限り2つに過ぎず、メディアの関心は薄いようです。まして最高裁のアンケートに異議を挟む議論はまだお目にかかりません。裁判員の理解度はどうでもよいと考えるのでなければ、メディア自ら「理解度」に焦点を当てた調査をすべきではないでしょうか。そして司法の信頼に値するだけの「理解度」があるかを白日の下に晒していただきたいと思います。

 今年は死刑の求刑が予想される事件が10件程度あるそうです。「よくわかってない」裁判員が被告の生死を決定するという「いい加減なこと」が起こらないという保証はありません。

関連拙記事 最高裁の姑息なアンケート調査
        算数のできない人が作った裁判員制度

コメント

  1. おっしゃらんとすることは分かりますが、では裁判官はちゃんと理解が出来ているのか?と言う気がします。被疑者否認裁判をわずか数日で終わらせようと言うのは、確かに問題だと思いますが。

  2. haha8ha より:

    岡田さんのご意見もっともです。
    マスコミの報道を見る限り、まだまだ未熟な状態で運営されていると思います。
     『十二人の怒れる男』という映画があります。
    個人的な意見ですが、トンでもストーリーだと思っています。(一般には良作らしいですが)
    ネタバレしてもいけないのですが、要するに、評決までは黙りこんでおいて、検察の理論の穴をわざと残すよう誘導し、評決になったら疑わしきは罰せずで、無罪にしよう、そんなことも起こりうると言うことです。
     ただし、私にも解決策の提案はありませんので、えらそうなことはいえません。

  3. courante1 より:

    マイネル所長 さん
    裁判官でもちゃんと理解しているとは限らないと思いますけど、平均として素人よりはずっとマシでしょう。

    haha8ha さん
    何かの本で、日垣隆氏が『十二人の怒れる男』をボロクソにこき下ろしていました。具体的には思い出せませんが、多分、おっしゃるようなことではないかと思います。

    国民が司法に参加するという理念を優先させ、現実を軽視する姿勢が気に食わないのです。マスコミの関心も薄いのですが、自分は被告になんかならないとおもっているためではないでしょうか。
    「人権派」が出てきてもよいのですが。
       岡田克敏