インフレ目標をめぐる議論も、不発に終わったようですね。飯田泰之氏は、まだ「インフレが起こると皆を確信させるための方法を考えている」状態だそうだから、政策提言するのは、ちゃんと結論が出て効果が実証されてからにしてください。インフレを起こす方法も知らないのに「日本経済の問題がかんたんに解決できる」などと宣伝するのは、自己啓発と同じ詐欺商法の一種ですよ。
そこで、こういう論争が延々と続く背景を少しおさらいしておきます。実は、この問題は90年代前半の「翁・岩田論争」からずっと続いている話で、後者の系列が今なおリフレ派として残っているのです。さらにさかのぼると、これは1960年代の貨幣数量説をめぐる論争に始まります。日本では、いまだに「ケインジアン対マネタリスト」などという人がいるが、それは70年代に終わった話。この論争は簡単にいうと、
MV=PT
という貨幣数量方程式によって物価水準が説明できるかという話です。ここでMは貨幣量、Vは流通速度、Pは価格、Tは取引量。フリードマンなどのシカゴ学派は、物価はMによって決まるので、中央銀行はマネーストック(M)を実質成長率(Tの増加率)と同じk%だけ増やせば物価は安定すると主張しました。このためにはVが一定でなければならないが、実証的にはVは好況では上がり、不況では下がるので、MとPの間に安定した関係はない。
つまり磯崎さんも指摘するように、中央銀行がマネーストックをコントロールする能力はきわめて限定的なのです。この点はフリードマンも認め、今ではk%ルールを採用している中央銀行はない。そんなわけで中央銀行が物価水準を自由自在にコントロールできるという貨幣数量説は30年ぐらい前に消滅したのです。
それに代わって出てきたのがインフレ目標です。これは広く認められており、1~2%程度の目標が(実現できれば)望ましいということを否定する経済学者はほとんどいない。リフレ派とそれ以外の(大多数の)経済学者の意見がわかれるのは、ここから先です。リフレ派は、目標は必ず実現できるので、中央銀行にそれを実現するよう強制せよと主張する。しかし今回の経済危機でも明らかになったように、中央銀行がデフレをインフレにすることは不可能なので、FRBなども拘束力のないinflation objectiveという言い方をしています。
そんなわけでフリードマンはマネタリストとしては敗北しましたが、マクロ政策全般については勝利を収めました。それはケインズ的な財政政策は、短期的には失業を減らすが、長期的には人々の予想が修正されると自然失業率に戻ってしまうという理論で、これが現在のマクロ経済学の基礎になっています。
いいかえれば、長期的には貨幣は中立で、インフレやデフレによって実体経済の水準を変えることはできないのです。デフレは確かに好ましいことではないが、多くの国民がそれを織り込んで行動すれば大した問題ではない。それより問題は、実体経済の成長率を上げることです。磯崎さんもいうように、
死にかけならともかく、体がだるい程度で財政支出といった「クスリ」に頼って運動しないでいたら、いつまで経っても隅々まで血液が通う健康な体にはなれない。というわけで、一発逆転ホームランの妙案というよりは、継続的に体を鍛えましょうという地味で時間がかかる方法ではありますが、そういう方向性が正攻法ではないかと思う次第です。
コメント
リフレ派は、経済学をよく知らないのでは無いでしょうか。
勝間氏や上念氏や宮崎氏のように体型的に学んでない人が、自分の売名のために、論理を展開しているように思います。
以前は、生産性論者だった勝間氏がなぜ急にリフレを言い出したのか気になります。
デフレは問題ではないというのは間違っていると思います。また数%のインフレと異なりデフレを望む人は誰もいないでしょう。望まれないものは除去するというのが政策の根本です。では手段はなにか。貨幣量を増やしたところで金利は0以下には下がらないので効果はありません。まさに将来のインフレ期待に働きかけるしかない。ところが時間不整合という厄介な問題に中銀は取り付かれています。デフレを脱した将来の時点において過去に約束した0金利を脱した後もインフレを許容するという約束をそのまま守る動機がないからです。それよりも皆はその時点では今後はインフレを心配しているでしょう。その中で中銀が過去の約束を履行するといったところでバカに一言でしょう。だから中銀の今時点でのコミットは信用されない。この窮地を脱するための一案として政府も一緒になってこのコミットを裏付けするのはどうでしょう。たとえば3%までインフレは許容する。かかる「インフレ目標」でデフレから抜け出さないと今後もデフレは続き日本は歴史上有名な事例になるでしょう。
noutoriさん
年金生活者にとってインフレほど怖いものはありません。彼らにとってデフレは大歓迎です。年寄りだらけになる日本では、デフレを望む人が多数派になる日も、遠くないでしょう。
デフレを脱却する方法は藤巻健史が主張するように、円安にするのが最も簡単、ドル買い円売り介入は非難をあびるが、年金資金の海外運用、銀行が国債を買うのをやめ、成長機会がはるかに大きい海外に投融資すれば、大幅円安になる。輸入物価は高騰しデフレ解消、製造業は競争力を取り戻し、好景気になる。国債の買手が無くなれば、国の財政規律も正常化される。いま日本が直面している全ての問題を解消できます。
デフレに問題が無いと言っている人はいません。
それを副作用が無い形で、脱却する方法があるかが論点です。
世界の標準では、それでは出来ないという結論です。
日本のリフレ派という人々はそれが可能であると言っています。
論点は、デフレの功罪でありません。
2~3%くらいのインフレが望ましいという結論に反対する人はいないでしょう。
同様に、円安が望ましいのはだいたいの人が賛成すると思いますが、副作用の無い形で実現できるかどうかは別問題。
インフレだろうがデフレだろうが(極端なのは別として)、市場のメカニズムで価格が決定し、価格が各経済主体の行動基準にできる世の中であれば、問題はないのではないのでしょうか。デフレなのは、供給側が売れないものに資源を消費している結果であって、原因ではないと思うんですよね。市場にはありとあらゆる財とサービスがあって、それの加重平均としての「物価」が上がるか下がるかは景況判断の指標にはなるでしょうが、デフレだからと言って全てのものが同時に下がっているわけでもないはずです。すべての財やサービスが同時に上がったり下がったりするのであれば、政府や中央銀行が何とかできるでしょうけど、そんなわけないし、だいいちそんな気持ち悪い社会に住みたくないです。エコポイントや雇用調整助成金で供給の流動化を阻止しておきながら「デフレが悪い」などという人は、人々の嗜好が永遠に変わらない(例えばテレビで巨人戦を見るライフスタイルが永遠につづく)のがいいと思っているのでしょうか?
仮に今インフレになったとしても、しばらくは生活が苦しくなる一方のような気がしますね。生産性の向上で将来にわたって所得が増えそうだというようなところから自然にインフレになるのなら話はわかるのですが、まだまだそういう状況ではないと思いますので。しかしリフレ派の方々がいっているインフレというのは、そういった前提が捨象されているように感じるのは私だけでしょうか?なにか、どうしてもインフレになるのだから、仕方なくも皆が投資に走るよりない状況を作り出す、というような論調に聞こえるのです。実際のところは、詳しくは存じてないのですが。そういうのは、ちょっと不穏なことだと思えますね。
jogmec63さん
同感です。デフレの問題もあるでしょうが、マーケティングとかイノベーションとか、今日的に言えば、ドラッカーの経営学のほうに思考が惹かれる。現場を知らない机上の近経理論が優先し、日本の政治家や知識人と言われる人たちのミスリードが目立つ。エネルギー転換期、IT化のさらなる進展など、ほかの要因が経済に及ぼす影響が過小評価されていて、同じ現象であっても現実は異なるのだという認識のほうが経済対策としては正しいと思われる。
リフレ派にしろアンチリフレ派にしろ実務の金融政策への理解が低過ぎると思います
マクロ経済学の入門書に描写されているマネーは、信用乗数とマネタリーベースの掛け算で生み出される無機的な概念です。このようなマネーの理解の仕方では、その果たしている重要な役割を見落としてしまいます。
白川氏の発言ですがベースマネーを増やすにしても幾多のオペがあり幾多の資産、償還期限の物があるのにそれを同一視して無意味だ、いや意味があるとか馬鹿らしいにもほどがあると思います