ネット生保立ち上げ秘話(16)ラッキーカラーはグリーン - 岩瀬大輔

2010年07月27日 23:02

土壇場の心変わり

「この9カ月、よく考えたのですが、やはり今の職場を離れることはできません。出口さん、岩瀬さんには、本当にご迷惑をおかけしますが、お許しください」

2007年11月中旬のこと。部下を3人従えて、CIO(最高情報責任者)として当社に入社することが決まっていたT氏が、急きょ入社を辞退したのである。

開業に向けたシステム構築は、瀬戸際にさしかかっていた。社内にいた2名のスタッフは、Tチームがいつ来るのか、毎月待ちながらも、何とか踏ん張って新しい生保会社のインフラをどんどんと構築してくれていた。僕らも、2月に入社確約書にサインをしてくれたTの言葉を信じて、追加の人員を雇うことはしていなかった。

ネット生保の会社なのに、ITの最高責任者が不在。目標としていた2008年4月の開業を約半年後に控えて、僕たちは再びピンチを迎えた。


悪い予感は、その数週間後に的中した。

「基幹システムとウェブシステムの結合作業を始めたのですが、致命的な不備があることが判明して・・・このままでは、4月開業は厳しいです」

システム担当者からの報告だった。

「え・・・2つのシステムの結合作業が、今回の一番大切なポイントだって、指摘されてたじゃないですか」

「そうなんですが、パートナー2社の間で、それぞれが当り前だと考えていたレベルに認識違いがあって、データ連携のプロトコルの仕様書がまったく準備できてなくて・・」

「大幅な遅れはやむなしですか」

「そもそものスケジュール、つまり8月に開発をスタートして1月にはテストを開始するという線表自体に、かなりの無理があったと考えています」

「・・・とにかく、これからやり直すとして、改めて線表を引きなおして頂けますか。それから、皆で作戦を練り直しましょう」

会社作りの中核をなすシステム開発作業は、正念場を迎えていた。

予備免許申請

「これで事前審査は一通り終了しました。所定の書類をすべて揃えて頂いた上で、予備審査の申請書を提出してください」

2007年12月初旬のこと。担当官から、ずっと待ち望んでいたこの言葉を伝えられた。このような会社作りの作業が思い通りに進まない中、金融庁との認可折衝は、順調に進み、あと一歩のところまで来ていた。

もちろん、提出した申請書類をベースにして、これから庁内で正式な審査が行われることになる。今回許されたのは、庁内で十分審議できるレベルの書類が揃ったことを知らされただけだ。

しかし、ここまで来れば、追加の指摘事項や修正事項はあり得るにせよ、認可をもらえる確率はかなり高くなった。

予備免許申請書類を提出した日も、60億円の出資金の払い込みを受けた日も、社内はてんやわんやだった。書類はほぼ全社員が総出で読み返しを行ったが、何度やっても細かい誤植が見つかってしまう。最終的に全書類が完成し、金融庁に届けることができたのは、夜22時過ぎのことだった。

60億円の第3者割当増資も、公認会計士の資格を持つ成相(なりあい)と、弁護士の先生方と僕が一緒になって手続きを進めたが、前日になって手続きに瑕疵があるとの懸念が表明され、一度、1週間遅らせることになって混乱を招いた。

何とか手続きを終えて、年が明けた。

念願の株主

この「予備免許申請書類の提出」を条件に、中核を占める株主から追加で60億円の出資をもらうことになっていた。あすかDBJ、マネックス、三井物産、セブン&アイ、新生銀行の5社に加えて、今回はリクルートが資本参加することが決まっていた。

リクルートの参加は、実は我々にとって念願だった。

そもそも、人はどういうタイミングで生命保険に加入するのだろうか?

それは会社に入社したタイミングだったり、結婚だったり、出産だったり、住宅購入だったり、転職だったりする。

そして、それらのライフイベントにおいて、メディアとして圧倒的なシェアを誇るのが、リクルートだった。新卒学生向けのリクナビ、新婚向けのゼクシィ、出産を控えたママ向けの通販事業である「赤すぐ」、週刊住宅情報など、我々が人生の転機を迎えるライフイベントにさしかかるタイミングにおいて、いつもリクルートの情報誌と向かい合っているのである。

だからこそ、それらのタイミングで上手に生命保険の提案をすることで、これまでの生産性の低いプッシュ型の営業とは異なる、いつか新しい生命保険の流通の姿を築くことができるのではないか、そう考えていたのである。

実はネットライフ企画を設立した当初の2006年秋、僕らはリクルート社へ出資をお願いしに訪れていた。現場のご担当者の方々と喧々諤々、議論を重ねたが、この時点では、結論を出すことができなかった。

それから1年が経過した2007年12月。同社が戦略株主として資本出資をしてくれることを、出口も僕も大いに喜んだ。

これで、資本金は80億円にまで増えた。もっとも、平行して第3ラウンドの株主集めをしなければならず、これが大いに苦戦していたことは前回のエントリー「伝説のファンド、参戦」にも書いたとおりである。

モナリザの微笑み

「私、会社、辞めることにしたんです」

目の前のそばかすの女性は、暖かい笑みを浮かべながら、そう話した。2008年の1月、代官山と渋谷の間、並木橋から少し中に入った、小さなビストロ。まだ前菜はおろか、注文した飲みものさえ来ていなかった。

女性の名は、中田華寿子。40代半ばの、ブランドマーケティングの専門家。新卒で外資系広告代理店に入社し、寿退社。フリーで活動したのちに、まだ立ち上げ中のスターバックス・ジャパンに入社。同社を広報担当役員として、上場に導いた。その後は、英会話スクールのGABAにて、マーケティング担当常務執行役員として活躍していた。

同社の社長がHBSの先輩だったことから知り合い、ネットライフの立ち上げ当初から、半年に一度くらいのペースで、開業後のマーケティング活動に関するアドバイスをもらっていた。僕にとっては、マーケティングの「師匠」に当たる人物だ。

初めて会ったときから、その華麗な経歴から想像されるバリバリのキャリアウーマンとは異なる、目の前の相手を包み込む柔らかい雰囲気を持った彼女のファンになった。

何度も会議室では会っていたが、こうやって二人で食事をするのは、初めてのことだった。しかも、こちらからの声がけはいつも体よく断られていたのに、今回は、彼女から誘ってきたのだった。

認可申請もあと一歩のところまで来て、いよいよ開業後の体制について本格的に考え始めていた。マーケティングの準備も自分が中心となって進めていたが、いかんせん、経験したことがない世界。ここはやはり一流のプロに加わってもらわないともたない、そう考え始めていた頃だった。

中田とは、いつか一緒に仕事ができたらいいな、と考えていなかったわけではない。しかし、お世話になっている先輩の右腕であり、しかも上場企業で常務として活躍している人。いつか働ける機会があったとしても、それは少なくも近い将来ではなかった。

そんな彼女が、現在の職場を離れる。そう聞いて、少し胸がときめいた。

「え・・・次は何されるんですか?」

「ううん、決まってないんです。ここ何年間か、随分と無理をしたから、少しゆっくりしようかな、と思ってます。でも、私、次で働く会社について、ひとつだけ決めていることがあるんです」

中田はにこにこしながら、ゆっくりと語った。

「スターバックスも、GABAも、大好きな会社だったから、次の会社も、ロゴが私のラッキーカラーである緑のところにする、って決めてるんです」

そのとき、運命を感じた。僕らの新しい会社のロゴは、まだ誰にも見せていなかった。

「あの、まだ公表していないので、お見せしていないと思うのですが、開業後の新会社名とロゴ、これです」

僕は鞄の中から、白い背景に大きく新芽を想像させるグリーンで描かれた、新生ライフネット生命のシンボルマークを取りだしていた。

「新しい会社の社名、『ライフネット生命』にすることにしました。

そして、ロゴ。僕らも、緑なんです。。。もし、中田さんが次の職場を決めていないのであれば、ぜひ、そのご経験を活かして、僕らの挑戦を助けて欲しいのですが」

中田は、モナリザのようなほほ笑みを浮かべた。

「ふふふ。初めてお会いしたときから、いつか岩瀬さんと一緒にお仕事したいな、いや、きっとするんだろうな、って予感がしてました。

重責なので即答しかねますが、嬉しいお申し出、ありがとうございます。」

注文したシャンパンが届いた。オニオングラタンスープとメイン料理を頼んで、僕らは乾杯をした。何かが大きく動くのを、改めて感じた。

(つづく)


過去エントリー

第1回  プロローグ 
第2回  投資委員会 
第3回  童顔の投資家 
第4回  共鳴   
第5回 看板娘と会社設立 
第6回 金融庁と認可折衝開始
第7回  免許審査基準
第8回 100 億円の資金調達
第9回  同志
第10回  応援団
第11回 金融庁の青島刑事
第12回  システム構築
第13回  増えていくサポーター
第14回  夏の陣
第15回  伝説のファンド、参戦

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岩瀬 大輔
ライフネット生命保険代表取締役社長

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