中道改革連合の笠浩史本部長は、安定的な皇位継承に関する検討本部の会合を国会内で開き、皇族数の確保に向けた党見解のたたき台を示し、1. 女性皇族の身分を結婚後も保持、2. 旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎える、の2案について賛成の立場を表明した。
結婚後の女性皇族が皇族として残留するかは本人の意向を尊重するとし、女性皇族の夫や子に皇族の身分を付与するか否かについては「しかるべき時に個別の事情を勘案しながら、その時点の立法府の総意に基づいて適切に対応する」とした。

佳子様と愛子様 NHKより
男系論と女系論の対立を先送りする現実案
これは、男系論・女系論の不毛な対立を先鋭化させず、かつ、将来にわたって皇位継承候補者を多すぎず少なすぎずの適切な数に保つために賢い案だと思う。
また、これを論じるについては、男系男子の候補者を維持するために、宮家復活でなく、旧宮家の男子を皇族の養子にするという仕組みを有識者会議が提案した趣旨とも連動する。
「しかるべき時に個別の事情を勘案しながら、その時点の立法府の総意に基づいて適切に対応する」というのは、極端にいえば、1. そんなものは必要でないから原則認めることはないと男系論者は考えるだろうし、2. 女系論者は佳子さまや愛子さまが結婚されるときに適切な相手だったら皇族にすればいいと受け取るだろう。
それは、「その時点の立法府の総意に基づいて」判断するのだから、どちらの極論も可能であるし、言いたければ言えばいいが、常識的には私がかねがね言っている2045年問題の一環として処理するのが適切である。悠仁さま、愛子さま、佳子さまなどの子どもの構成がどうなるかを見て考えればいいということである。
宮家の数をどう調整してきたか
江戸時代には時代によって違うが、原則として、伏見宮、有栖川宮、桂宮、閑院宮の4つの宮家があり、そのどれかを継げない皇族男子は門跡などになっていた。場合によっては還俗ということはありえた。
しかし、明治になると、これでは公務遂行のためにも皇位継承者確保のためにも不足だというので、僧になるのはやめて宮家を増やし、増えすぎると臣籍降下させるようにして、数を調整し、結果、終戦時には11宮家が存在した。多すぎる宮家を抱えることは財政的にも負担になるということがあった。
そのあたりを考えると、だいたい数家の宮家があり、それが断絶したら養子を提供する予備軍が存在するというのが適切なのである。
こうした観点からすれば、悠仁さまに男子がなくても男系男子の維持という選択も可能なように旧宮家から3~4人を養子にとり、たとえば、常陸宮、三笠宮、高円宮家を維持し、その一方で、愛子さまや佳子さまに皇族に残っていただいて、場合によっては、その子孫を皇位継承候補とする選択肢も残すというのは、バランスの取れた考え方と言うことになる。
旧宮家を全部復活するとなると、相互に差別するわけにいかないから、少なくとも7宮家の復活になるし、そのなかには断絶が確定的なものもある。また、年齢などが不適切な場合もあるし、品行などから問題がある人もないわけではない。そこをとりあえず、条件が合う何人かを養子にしつつ、ほかの旧宮家の人々の子孫に将来の可能性を残してこそ、円満に事は運ぶ。
将来世代に選択を残す皇位継承論
いずれにしても、悠仁さまに男子が生まれたら、少なくとも今世紀中は男系至上主義と女系容認主義のあいだの難しい選択は不要だし、それ以降になると生命科学がどのように進展するかでも話は変わるので、将来の世代に選択をまかせればいいことである。
また、私は女性皇族の子や孫を全員、皇族として残すと、1人の皇族の子孫が10人以上も皇族になってしまいかねないという問題もあると思う。
それを考えれば、将来、もし悠仁さまの女子、愛子さま、佳子さまの子孫を皇族とするとしても、男子1人だけを他の皇族の養子の形で、といったこともあってしかるべきなのではないか。
男子がいないので外孫をというのは、割に自然で、徳川宗家や近衛家はそうして家を維持している。内親王の女子の女子とかまで皇族にするのは、少し日本人の感覚と違うように思う。
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