政府主催の「昭和100年記念式典」での式次第と高市首相の「不敬」といわれても仕方ないような「はしゃぎぶり」が、支持層のはずの保守派から強く批判されている。

昭和100年記念式典 自民党HPより
このようなイベントの場合、陛下が出席されたら「お言葉」があるのが普通である。例外は、やや重要性が低いイベントで、挨拶までお願いするのは恐れ多いケースであり、今回はそれに当てはまらない。
両陛下を背にした「ノリノリ」演出
式典は国歌斉唱に始まり、黙祷、内閣総理大臣式辞、衆参両院議長、最高裁長官などの挨拶に続き、昭和を振り返る映像に合わせて、海上自衛隊東京音楽隊と三宅由佳莉さんが昭和のメロディーを披露した。しかし、「Get Wildの小室メロディーでは、高市総理が両陛下を背にしていながら、委細構わずノリノリだった」(谷口智彦・日本会議会長)ため、両陛下はややしらけ気味だったという人もいる。
それを受けてか、後刻、宮内庁から「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切との思いで式典に臨まれた」という発表があった。
普通はそういう言葉を陛下が会場でお話になるべきなのに、それをさせなかったので、思いあまって宮内庁がこのようなかたちで陛下の気持ちを発表したわけである。まったく奇っ怪な式典であった。
戦前と戦争を抜いた「昭和」
昭和の音楽の紹介でも、もっとも古い曲が昭和36年のもので、戦前の日本や戦争はきれいに無視され、まさに昭和天皇不在の昭和の式典であった。
そもそも、この式典の主役は両陛下であるべきであったはずが、高市首相が目立つように演出され、しかも、身体を動かして踊り出さんばかりであったから、それに釣られて拍手も首相のほうへの拍手が多かったようである。
昭和天皇と戦争責任をどう考えるか
ところで、今回の式典に際して、左派からは戦争への責任を問うという立場から疑問を呈する動きもあった。そこで、昭和天皇と戦争責任について、歴史家として少し論じておきたいと思う。
私は国内はもちろん、世界でも昭和天皇への評価は高いし、それは間違っていないと思うが、世界で手放しで称賛されているわけではないことも間違いない。また、どうして退位、処罰を免れたかは複雑である。マッカーサーなどの「感動」したとかいう証言は政治的なもので、あまり信用できない。1971年の訪欧は根回しが大変であった。
国内でも吉田茂などは戦後は良かったというような言い方をして、戦前についてはやや辛口である。そういうなかで、日本人は外国人からガチンコで昭和天皇批判をされたときに、説得的に反論する理論武装をする必要もあり、そのためには、どういう批判があるかも知り、きちんと受け止める必要がある。
皇太子明仁親王に宛てた手紙
ちなみに、昭和20年9月9日、昭和天皇が疎開中の皇太子明仁親王、現在の上皇陛下に手紙を書かれた。明仁親王は11歳であった。昭和61年に公表された。米国などに見られる性質のものではないから、昭和天皇の正直なお気持ちだと思う。
昭和天皇は「なぜ日本は負けたのか」について、次のようなことを書かれた。その内容は以下の通りであり、悪いのは米国だとか、軍部には批判されるべき所はないといわんばかりの保守派の歴史観からは遠く離れたものである。
昭和天皇が見た敗戦の理由
第一に、日本人が「皇国」を信じすぎ、英米をあなどったこと。
つまり、日本は精神的・道義的に優れているから最後は勝つ、という思い込みが強すぎ、英米の国力・科学力・工業力を軽視した、という反省である。
第二に、軍人が「精神」に重きを置きすぎ、「科学」を忘れたこと。
これは、精神主義・根性論への批判である。B29、レーダー、暗号、航空機、兵站、工業生産力など、近代戦を左右する科学技術・合理的計画を軽んじたという意味に読める。
第三に、明治期のような大局を見る軍人がいなかったこと。
手紙では、明治天皇の時代には山県有朋、大山巌、山本権兵衛らのような陸海軍の名将がいたが、今度の戦争では軍人が跋扈し、大局を考えず、「進むを知って退くことを知らなかった」と述べている。これは、軍部の独走と、戦略的撤退・終戦判断の欠如への批判である。
第四に、戦争継続は国体や国民そのものを失わせる危険があったこと。
昭和天皇は、戦争を続ければ三種神器を守ることもできず、国民もさらに殺さなければならなくなるため、「涙をのんで」国民の種を残すよう努めた、という趣旨を書いている。つまり、降伏は屈辱ではあるが、国家と国民を絶滅的破局から救うための決断だった、という説明である。
昭和天皇が評価した合理主義の軍人たち
私もここでの昭和天皇の分析はだいたい正しいと思うが、ここで興味深いのは、山県有朋、大山巌、山本権兵衛という選択である。いずれも徹底した合理主義者で国際派であり、精神主義から縁遠い人である。余談だが、大山巌は捨松夫人とフランス語で夫婦間の会話をしていた。捨松夫人が日本語が苦手だったからである。
昭和天皇の慎重さと歴史的評価
客観的な評価としてはどうかといえば、積極的に開戦を止め、終戦を早めるために、もう一歩、前のめりで良かったのではないかという気はする。昭和天皇は極端に慎重で、筋道を踏むことに徹された。それが、たとえば、宇垣首班を嫌われたとか、三国同盟を離脱することについて、たとえ間違った条約でも調印した以上は遵守しなくてはならないとこだわられた、ということはあった。
ただ、岡田啓介がいうように、昭和天皇が拙速に平和を望んで思い切った介入をしたら、軍部の跳ね上がりが昭和天皇を排除したかもしれないから仕方なかった。結果として、日本は統一を維持できたのだというのも一面の真実であろう。
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