SNS上で「地方の中年男性ファッションの統計的中央値」とでもいうべき一枚の画像を発端に、中年男性のカジュアルファッションをめぐる論争が起きた。
地方の田舎のイオンモールでよく見かけるこういう格好の人本当に嫌い pic.twitter.com/SepxKNsxoD
— ✹✹☆ (@a_rin_ur) June 7, 2026
これを複数のネットメディアが取り上げ、アゴラでも中年男性を擁護する論調の記事群が広く読まれるに至ったことは、記憶に新しい。


まず、発端となったコーデ画像(以降「イオンモールおじさん」と呼称する)は、AI生成ないし演出による人工的サンプルである可能性が高い。
被写体の肌質や服の皺に、AI生成画像特有の不自然さが見受けられることに加え、画像内コーデに「やってはいけないこと」が揃いすぎていて、実在の中年男性が自然にこうなったとは考えにくいからだ。
おそらく実在しないイオンモールおじさんを巡って大勢が乗っかり、投稿した側だけでなく読んで反応した側までが「おじさん擁護論」になだれ込んだのだろう——その構図に、いささかシュールなものを感じたというのが本音である。
だが私が論じたいのはそこではない。
「服好きのおじさん」を自認する私が、一連の記事を読んで拭えなかったのは、「むしろおじさんを甘やかしすぎではないか」という感想である。
その一点を論じるべく、当記事を認めるに至った。
おじさんも服装からは降りられない
まず、私の立場を明確にしておきたい。
- 実在のおじさんを企画で晒し者にするABEMAのような演出には不快感を覚える。
- 他人に何かを着ろと命じる権利は誰にもない(制服などの特殊事例は除く)。
- 「批判する自由」もまた自由であり、低い評価を述べることは相手の自由を奪わない。
これらを踏まえて、一連のイオンモールおじさん擁護には疑問が残る。
それは
というものだ。
一連の記事では様々な観点からの擁護が挙げられたが、それらには
という共通した錯覚がある。
アリストテレスが人間を『ポリス的動物』と呼んだように、人間は他人と関わり合って生きるのが本質である。
そして誰かの視界に入っている限り「自分は何もメッセージを発信していない」ではいられず、黙っていることも一つの発信になってしまう。
服装でいえば、学校や会社にいつも同じくたびれた格好で来る人がいれば、本人が気にせず何も言わなかったとしても、周りが「服に関心がない人」と受け取ることは免れない。
服を気にしない自由は誰にでもあり、守られるべき選好だが、それは「相手が評価しないこと」を意味しないのだ。
イオンモールおじさん擁護は「気にしない自由」を語るつもりで、「評価の禁止令」としての側面が強くなっている。
おじさんも「外さない」のはGUやファミマで簡単
では周りの評価に対し、おじさんはどう応じればいいのか。
ここで、冒頭で挙げた黒坂岳央氏の記事をみてみると、「子連れでイオンモールを歩く日の服装に求められる条件」に下記を挙げている。
汚れてもいい、動きやすい、洗濯しやすい、安いの4点だ。
これらは概ね妥当だろう。
しかし「だから見栄えは諦めるしかない」という結論との間には飛躍がある。
実用性と最低限・教科書的な見栄えは両立するからだ。
服好きのおじさんである私に言わせれば、それはまったく難しくない。
私はよくユニクロやGUなどに足を運ぶのだが、6月に入ってGU店舗に設置されたマネキンを見て驚いた。
※店舗マネキンの撮影・掲載は原則控えるべきなので、テキストで表現する。
- トップスはオフホワイトのゆったりしたカットソーに、インナーのブラウンを首元や袖口から覗かせたレイヤード
- ボトムスはオリーブのワイドパンツで、裾に向けて自然なドレープが落ちる
- 足元はブラックのスニーカー、体の中央にはブラウンのコクーン型ショルダーバッグがゆるく斜めに掛かる
アースカラーを基調に、明るいトップスと暗い足元・バッグで上下に明度差をつくり、中央のバッグが視線の重心になる——この一式が、2026年トレンドの最大公約数として完成されていたのだ。
イオンモールおじさんの
- 多ポケット・かっちり成形のボディバッグを、胸の高い位置でタイトに斜め掛け
- トップス、ボトムスのジャストサイズ信仰
- 全身が同じトーンに沈むコントラスト不在
とは、ことごとく対極である。
GUは「ユニクロの廉価版」と見られがちだが、これは本質ではない。
同じファーストリテイリング傘下でも、品質重視の「ライフウェア」ユニクロに対し、GUは低価格で旬のトレンドを気軽に試す、別の土俵のブランドなのだ。
黒坂氏の4条件「制約」に対し、このマネキンは「設計図」である。
GUのアイテム一式を使って、教科書的トレンドを「外さない」コーデは安価で実現できるのだ。
GUの他に推奨したいのが、ファミリーマートが展開するブランド『Convenience Wear』だ。
こちらも黒坂氏がアゴラ記事にて紹介していた。

黒坂氏の着眼点は「利便性」「安価」の文脈に留まっていたのだが、その真価はコンビニ商品とは思えないデザインと品質にある。
アイテムごとの細部の作りも巧みで、おじさんの日常着として十分以上なのだ。
それらを支えるのは、クリエイティブ・ディレクターの落合宏理氏である。
同氏はLVMHプライズ日本人初のファイナリストとなり、「安倍マリオ」で知られるリオ五輪閉会式の衣装も手がけたデザイナーである。
そして最大の強みは入手性だ。
ユニクロ・無印・しまむら・ワークマン国内合計店舗数の4倍超、全国に約16,000店のファミマで売られているため、居住地を問わず買い物のついでに手に入る。
色数や展開は絞られているが、おじさんにはむしろ「迷わない」メリットになるだろう。
審美眼に自信はなくていい。
まず「外さない」床を踏むことが先で、個性やブランドは二の次でいいのだ。
在庫の潤沢な春・秋を狙って、これらを先取りで揃える習慣ができれば、月数万円なんていらない。
おじさんに言うべきことは「ダサさ」ではない
ここまで示してきた「イオンモールおじさんにならない」理由と方法は、どれも難しくない。
それでもなお「実用第一だから仕方ない」と改善を拒む声は少なくないだろう。
だが私が言いたいのは、問題は「ダサい」という結果ではなく、現在進行形で改善を拒む「姿勢」の方ということだ。
前節で述べた「外さない」床とは、「ファッションに興味を持て」という要求ではなく、「自分が読まれていることを認める」ごく低コストな1ミリである。
その1ミリを踏まない理由を並べたところで、どれも「踏めない理由」ではなく「踏まないという選択の言語化」にすぎない。

ChatGPTにて生成
誰かに強制はしないが、それらを取り違えた言い訳には「それは違う」と言いたい。
その上で「踏まない」と貫くなら、それは自由である。
ZOZOのWEARなど年代別でコーデを探せるサイトを覗けば、「外さない」一式は通勤の合間にでも見つかり、類似アイテムはGUやConvenience Wearで手に入る。
槍玉に挙がったハーフパンツでさえ、今っぽく履けるのだ。

ハーフパンツコーデ例 ZIGGYS SHOPより抜粋
「おじさんの服、ダッサいね!」——イオンモールでもSNSでもそんな声は飛んでくるし、それ自体は止められない。
だが、姿勢ひとつで変えられるものを変えずにいるのは、何とも勿体ないことではあるまいか。







コメント