2026年8月20日、2つの報道が並んだ。
1つは、累積赤字540億円を抱えたクールジャパン機構について、政府が廃止方針を固めたこと。
2013年の設立から12年での撤退である。

もう1つは、経済産業省が「エンタメ・クリエイティブ産業戦略2026」を公表したことだ。
副題は「ものがたり大国5か年計画」。
日本発コンテンツの海外売上を2024年の6兆1000億円から2033年に20兆円へ引き上げるという。
12年分の失敗を畳んだその日に、より大きな旗が立ったのである。
SNS上では、アゴラ執筆陣を含めて批判が殺到した。
かつて日本軍がガダルカナルで2万人を超える日本兵が尊い命を落とすという歴史的大敗を喫した際、幹部は責任をろくに取らず、大本営は「撤退」と言わず「転進」と発表したわけだが、今も昔も責任回避の方法はたいして変わっていないように思える。 https://t.co/GEPPCC6zSr
— 下矢一良|経営に効くPR参謀 (@KazShimoya) August 24, 2026
何度やっても、どれだけ税金を使っても、誰も責任をとらないどころか、失敗の検証もせず、たださらなる財政拡大だけを唱え続ける。守りたいのは、偉い人が偉い人、の原則。さあ、気を取り直して、今日もまた、お金をたくさん使うと豊かになるよ、と唱える偉い人たちの夢物語を信じて、税金を払っていこ… https://t.co/VL1FVbSCrP
— 篠田英朗 Hideaki SHINODA (@ShinodaHideaki) August 23, 2026
こういった産業政策がなぜ批判の的になるかは、アゴラではここ数日の記事だけでも論じ尽くされており、私が屋上屋を架す必要はないだろう。



私が引っ掛かったのは、批判の中身ではなく分布である。
アゴラ陣営の言説から強調したいのが、池田信夫所長による、
という指摘だ。
中国は1人あたりGDPは日本の1/3で、まだ発展途上国。過少資本なので、日本の高度成長期のように政府投資が有効。
日本は資本過剰で企業が貯蓄している状態なので、まったく違う。会田卓司はこれを勘違いしている。https://t.co/GVtA0aqXvL pic.twitter.com/aqyiM9ivuv— 池田信夫 (@ikedanob) August 20, 2026
高市政権の産業政策にもいえることだが、中国の国家資本主義をまねるべきではない。中国はまだ過少資本であり、10年ぐらいダンピングを続ける体力がある。しかし資本過剰の日本では、ラピダスの3兆円でも危ない。 https://t.co/OI0OKO55q7
— 池田信夫 (@ikedanob) August 24, 2026
これら「日本版・中国モデル」という繰り返された批判について、いわゆる「ネトウヨ」に代表される、普段から中国の統制経済を厳しく批判してきた層が、この件については静かなのだ。
※もっともこれは管見の限りの観察に過ぎず、私の見落としもあり得る。
これを少数例として片付けてよいものかと資料を辿るうち、もっと奇妙なものに行き当たった。
中国の「五か年計画」とされる産業政策を検証していたのが、他ならぬ経済産業省だったのである。
ネットの誰かだけでなく、役所自身が自ら書いた分析に黙っているのだ。
先に、私の立場を明示しておく。
- 私はリバタリアンであり、中国共産党の統治体制は思想的に好まない
- 「資本の過小な途上国という条件では国家主導が機能した」という池田信夫所長の論考には賛成する
ただし、問いたいのは上記の是非ではない。
中国の国家資本主義を批判してきた我が国が、なぜ和製のそれには同じ物差しを当てないのか、そしてこの非対称はどこから来るのか。
その考えから、本記事を認めるに至った。
経産省は中国をどう分析していたか
昨年公表された通商白書2025で、経産省は中国の産業発展メカニズムを分析している。
白書は丸川知雄氏の『中国の産業政策』(2025)を引きつつ、次のように記している。
丸川は、五か年計画の重点分野に指定された産業の営業収入・労働生産性の伸びが平均を上回ったかを検証すると、直近の第13次五か年計画の成功率は半分程度まで下落しているとしている。
重点分野に指定しても、半分は外れる。
役所自身がそう書いたのだ。
そして今年8月、同じ役所が「ものがたり大国5か年計画」を掲げた。
ここには誰の沈黙も必要ない。
公文書が2つあれば足りる。
※なお「5か年計画」という語の出自について、私から言うことは特にない。

ChatGPTにて出力(文字は筆者加工)。 登場する人物はフィクションであり、実在の人物とは関係ありません。
「産学官」という免責装置
この5か年計画と並行して進む、「累計370兆円を超える官民投資」の旗を振る高市総理は、7月21日に日本成長戦略の取りまとめにあたってこう述べた。

過去の産業政策、官主導と言われました、政府に目利きができるのかと言われましたけれども、今回は、産学官で練り上げた政策でございます
批判を正面から引き取りはしたものの、まるで答えになっていない。
問われているのは「誰が作ったか」でなく、「外れた時に誰が責任を取るのか」であるからだ。
参加者を増やしても、目利きの精度が上がる道理がない。
むしろ「産学官」なる枠組みそのものが温床でもある。
学識者・業界・官庁が同じ卓を囲めば、失敗の検証者と当事者が同一人物になり得る。
アゴラ記事で指摘されている人脈の連続性も、その構造がもたらした帰結に他ならない。

成績も既に出ている。
会計検査院によれば、クールジャパン機構が2023年度末までに回収を終えた17案件のうち、投資額を上回ったのはわずか3件。
打率にして1割7分6厘である。
さらに問題は、官民合計の370兆円という総額だけが先に発表され、そのうち幾らが税金なのかが示されていない点だ。
高市総理は同じ発言の中で、
・累計370兆円を超える「官民投資」が期待されることをお示ししましたが、
・官の投資については、「予算編成過程」において、戦略分野の民間投資を実現するために真に必要かつ効果のある支援策を見極めて、具体化してまいります。
とも述べている。
加えて、要求上限を設けない投資枠まで新設するという。

内訳のない総額に、上限のない要求の組み合わせ。
民間企業ならこんな提案から決算が通ることは考えられないが、我が国の首相がそれをできてしまう構造こそ悲劇である。
撃つべきは体制ではなく手法である
- ガソリンの価格統制
- 特定分野への大規模な財政支援
- 産業ごとに数値目標を掲げた「◯か年計画」
この3つを他国がやっていたら、我が国の論者は何と呼んだだろうか。
- 価格を官が決める
- 投資先を官が選ぶ
- 目標を官が数字で握る
これら3つが揃った時点で、資源配分の決定権は市場から官へ移る。
そして選ばれる側は、市場に訴えるビジネスよりも、官に訴えるロビー活動に努めるようになってしまうのだ。
このような非生産的活動を、レント・シーキングという。
価格・投資先・目標のどれか1つでも市場から外れれば、必ず歪みが生まれる。
これは経済学の普遍的現象だ。
たとえばゲーム機の値付けを検証した拙稿では、価格を市場水準から大きく下振れさせた結果、長期に渡る品薄と行列が生まれた例を示した。

歪めるのが業界であれ国家であれ、経済学的な帰結は変わらない。
では、どうすべきか。
「政府の役割は公共財に限定すべき」という処方箋も、失敗の検証が先だという指摘も、既に前掲の記事群が示している。
あえて付け加えるとすれば、「それでも支援するというなら、事業者の選定を官が行う方式から降りる」の1点だろう。
税額控除のように、誰がいくら使うかを市場側が決める形にすれば、中抜きされる余地はまだ小さい。
ここで、想定される反論にも答えておこう。
「民主的手続きを経た一時的な産業政策と、権威主義体制の恒久的な統制を同一視するな」という指摘は当然あり得るし、それは正しい。
だから私は「体制」が同じだとは言っていない。
資源配分を官が握るという「手法」が同じだと言っている。
手法が同じなら、結果も必然的に似たものとなる。
それは540億円の大赤字と、1割7分6厘の低打率で実証されているはずだ。
ここまでの流れを踏まえて、冒頭の問いに戻ろう。
中国の社会主義や国家資本主義を批判する、ネトウヨや経産省といった「嫌中」が、和製の産業政策にはその結果に目を瞑り沈黙する。
これは自由主義とも資本主義とも呼べない、御都合主義ではないか。
自由と市場を掲げて他国を批判するのは容易い。
しかし同じ物差しを自分たちにも当てて、初めてそれは主義と呼べる。
ここまで読んでこられた方には、もう見えているはずだ。
物語を作るのは民間の仕事であり、国家の仕事はその邪魔をしないことではあるまいか。
もっとも、20兆円の「ものがたり」に取り憑かれているのは、それを書いた作者かもしれないが。







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