今回は、読者の方への反論からいく。「ワシが安倍政権批判で金をもらってる」という「疑惑」や。こういうコメントは大歓迎や。イヤミにしても、ワシの記事に、「安倍反対派が金を出すかもしれない」、という価値を認めてもらったのは、素直に(どこが)喜びたい。
せっかくやから、この「疑惑」に三バカ反論をしてみよう。まず、ブチキレ反論から。「金をもらったという根拠を示してもらいたい。状況によっては法的手段も検討する」というやつ。一番ワシらしくないわな。
ヘリクツ反論。「ネット記事やNSNで安倍批判は大量にあり、大部分はワシのより説得力がある。それらにも報酬が出るとしたら、その財源はどうしているのか……」面倒くさぁ~。
で、ボケナス反論にしておく「え、金もらえるんですか。そらエエわ。どこ行ったら、なんぼもらえるのか教えてくれ。今後は安倍批判一色で行くでぇ」と言いつつ、全く関係のない記事を書き始める。
という訳で、今回は責任について考える。まず、わかりやすいところで、ボケナス人。基本的に責任論には無縁の連中や。というより、責任という概念が理解できない。ボケナス人にとって、時間とは瞬間のこと。過去は過去、未来は未来でしかなく、現在とは何の関係もない……ことが多い。
ボケナス人と責任について話をするのは、ツバルでアイスホッケーの話をするようなもんや。だから、ボケナス中国人は過去の謝罪よりも、現在の靖国に興味を持つ。ちなみに日本神道という宗教は、過去を水に流す良い意味でのボケナス宗教やと思うが、中途半端に一神教的ヘリクツ要素を取り込んで、機能不全になっているのが靖国神社やと思う。
責任大好き人間と言ってもええのがヘリクツ人。ドイツ人は、人生の3分の1をナチスの責任追及に使い、3分の1を自分の責任の反省に使い、残りの3分の1は責任とは何かを考えている。一種のお家芸や。あまりに粘着質な謝罪に、謝られる方も同じヘリクツ人で無い限り、逆にイヤになる。
そのくせ、本質は微妙にはずれる。なぜホロコーストに関して、ナチスの責任と一般のドイツ人の責任は区別されるのか、ワシ、どうしてもわからん。君ら国民あってのヒットラーやったんやろ。戦後ナチス思想は徹底的に禁止されている。うっかり解禁して、ナチス思想に大したオリジナリティーがないことがわかったら、えらいことになるからやと思う。
ブチキレ人にとって、責任とは相手を攻撃する武器。アメリカの弁護士はそっち方面のプロや。だれも追求しない責任というものは、もともと存在すらしない。広島・長崎、ベトナム戦争、きれいさっぱり忘れている。こういう手合いに、謝罪は無意味や。「『ごめん』で済むなら警察はいらん」という言葉がピッタリくるのもブチキレ人。責任と具体的な賠償は必ずセットになる。
以上まとめると、責任追及に対する謝罪という美しい構図は、ヘリクツ人どうしでしか成立せんことがわかる。同じヘリクツ民族のドイツとユダヤの間で巧くいく謝罪外交を、ブチキレ国やボケナス国が真似すると、まったく機能しなくなる。
典型は、ブチキレ韓国がボケナス日本の責任追及をするケースや。ブチキレ人は見返りがない謝罪など想像すらできんし、ボケナス人は過去のことは水に流すのが当然やと思っているから、そもそも謝罪という感覚が理解できん。
もし韓国人がヘリクツ人やったら、慰安婦問題は最初から実態解明が優先されたはずや。そもそも「慰安婦20万人、大部分が性奴隷」だったら、膨大な数の朝鮮人が自国女性相手に奴隷狩りをしたはずや。まず、その部分を追求して問題の大枠を固め、その中で日本人の関与を調べていくのが、手順というものやろ。
ここをすっ飛ばして、いきなり「日本軍の責任」などと言い出すから、吉田証言の報道にコロッと引っかかる。その一方で、必ずあったはずの、朝鮮人自身による強制性の証拠が出てこないのは、朝鮮人実行者を無視してきたからと違うか。これでは、居たかも知れない日本側の下手人も出てこんわけや。
つまり、「私は、何人もの少女を拉致や甘言で集めて、慰安所に送りました。これは日本軍の指示でした。たいへん申し訳ありません」という朝鮮人「実行犯」が出てこない限り、旧日本軍の管理責任論は始めようがない。
実際は、「私は、何人もの少女を人身売買や甘言で集めて、慰安所に送りました。これは日本軍の指示のふりをしてやりました。たいへん儲かりました。また、やりたいな。」てな話が大部分やと思う。実際、ベトナムでは「また、やって、儲けた」がな。
結局、ブチキレ韓国人が興味を持っているのは、女性の人権でも、元慰安婦の名誉回復でも歴史的事実の解明でもなく攻撃と賠償だけや。もっとも、ボケナス日本相手にこれをやっても、空しいだけやと思う。村山・小泉両元総理と安倍現総理、人柄も政治思想も全くバラバラやけど、「談話に、どこか説得力がない」という点では、よう似ている。ボケナス人の謝罪なんてこんなもん。10年ごとに何回も謝罪するはめになるが、何回やっても同じや。
ところで、韓国朝鮮相手の謝罪がなんで8月15日なんやろ。植民地支配全体(慰安婦問題も含む)をわびる気なら、例の8月15日より35年も前にはじまったことで、交戦国中国相手の謝罪とは全く別の話や。この事情は、池田信夫はんの記事や、長谷川良はんの記事に詳しいから、ワシが再録することもないやろ。
ところが、ワシはやはり8月15日、韓国にわびるべきことがあると思う。よく見落とされる事やが8月15日は敗戦でも終戦でもなく、ポツダム宣言受諾にともなう停戦のはじまった日や。それやのに、あの日、大日本帝国は突然機能停止し、植民地を放り出した。ポツダム宣言で求められたのは、植民地の最終的な放棄であって、無責任な放置ではなかったはずや。
これは結果論に過ぎないとも思うが、玉音放送のあとも日本軍は踏みとどまって、正規の連合軍部隊(実態は米軍)の到着を、治安を守りながら待つべきやったと思う。「終戦」の時点でも、大陸の日本陸軍は戦線を維持できていたことを考えれば、これは不可能な話ではなかったはずや。
こういう敗戦処理をきちんとやっておけば、ソ連による火事場泥棒をかなり防止でき、大陸からの引き上げ日本人の悲劇も大幅に減らせたし、東アジアの冷戦も西側にとってかなり有利に展開できたはずや。そして何よりも、北朝鮮など存在すらしなかった。
そやから、もし8月15日に日本が韓国に謝罪するなら、「敗戦処理の不備により、あなたの国を分断国家にしてしまいました」ということや。もっとも、こういう高度にひねくれたヘリクツ外交を、ワシらボケナス人やブチキレ韓国人に、こなせるはずがないわな。
今日はこれぐらいにしといたるわ。
やれやれ、涼しくなって一息の山城良雄