【年末特集】ネット記事で振り返る「追悼2019」前編

アゴラ編集部

ゆく年を振り返る時、思い浮かぶのはあの人の在りし日の姿——。

元号が平成から令和へと代替わりした今年は、一時代を築かれた方々の訃報が流れるたびに、昭和が一段と遠くなるのを実感する日々でした。年末恒例の特集、今年もアゴラ記事や各種ネットニュースの記事をもとに編集部が注目した訃報をご紹介しながら、読者の皆様と一緒に亡くなられた皆様を偲びたいと思います。

梅原猛さん 哲学者
享年93 1月12日、肺炎で死去

日文研サイトより

生前の梅原さんを取材していた田原総一朗さん

哲学が追求するものが「真理」であるとしたら、仏教が追い求めるのは「悟り」である。そして、そこから仏教が渡来した古代日本に興味が移り、梅原さんは数々の名著を残すのである。

すごい学者だ。だが、僕を相手にこんなふうな話をしてくれる、偉ぶらない人だった。学問への迷いにも真摯に向き合い、柔軟であった。だからこそ、あれほどすばらしい本を残せたのだろう。

(出典:アゴラ『僕が知っている梅原猛さんのこと』1月26日)

市原悦子さん 女優
享年82 1月12日、心不全で死去

平和の語り部として朗読活動をしていた市原さんの思い出を偲んだ共産党の小池晃参議院議員。

岡留安則さん 元『噂の眞相』編集長
享年71 1月31日、肺がんで死去

岡留さんと長年親交があった「創」編集長の篠田博之さん

『噂の眞相』との付き合いは1980年に同誌が創刊されてからだから、かなり長きにわたった。いろいろな関連記事を読み返して改めて思うのは、この雑誌は、80年代90年代の雑誌界が今よりも活況を呈した時代の産物で、今はもう考えられないなということだった。前述した香山さんのコラムでも書かれているが、例えば下記の江川紹子さんの言及もそう。多少事実と違うことがあっても、権力批判という基本スタンスのもとにある程度は許容されるという『噂の眞相』のスタンスは、今はなかなか成立しがたいように思う。

ただその『噂の眞相』のスタンスをどう見るかというのは、単純ではない。『噂の眞相』と岡留さんを悼む声も多いのは、この雑誌が持っていた良きものも今のジャーナリズムにおいて失われつつあるという思いがあるからだろう。

(出典:ヤフーニュース個人『元編集スタッフが語った岡留安則『噂の眞相』元編集長の「真相」』3月20日)

堺屋太一さん 作家、元通産官僚、元経済企画庁長官
享年83 2月8日、多臓器不全で死去

官邸サイトより

通産省の後輩で、生前の堺屋さんとも親交があった八幡和郎さん

先生については、彼が成し遂げたことでなく、成し遂げられなかったことが大事だと思う。彼は気宇壮大で本当に国のためを想う人だから、決して自分の人生に満足していなかったと思う。

この日本という国と関西のいまの状況は志を持つ人間なら絶望的なものだからだ。官僚、政治家、作家、イベントプロデューサーとして功成り名を遂げたわけだが、そんなことで満足するスケールの人ではなかった。

(出典:アゴラ『堺屋氏は自分の人生に不満足だったと思う』2月10日)

北尾光司さん 元大相撲横綱 双羽黒、元プロレスラー
享年55 2月10日、慢性腎不全で死去

格闘技ファンの常見陽平さん

あまり相撲に熱くない私だが、北尾→双葉黒の快進撃には率直に強さを感じ。ただ、あまりの光と同様に、闇のようなものを感じていた。(略)プロレスファンとしては最高のヒールとして見ざるを得ない北尾だったが、何かこう、不器用で、居場所のないような、規格外のような、そんな雰囲気を醸し出していた。早すぎる死が残念でならない。

(出典:アゴラ『追悼サンダーストーム北尾光司』3月30日)

内田裕也さん ロック歌手
享年75 3月17日、肺炎で死去

内田裕也オフィシャルサイトより引用:編集部

萩原健一さん 俳優
享年68 3月26日、消化管間質腫瘍で死去

萩原健一オフィシャルサイトより

2人の逝去を社会視点から論評した秋月涼佑さん

内田裕也さんが亡くなったかと思ったら、萩原健一さんも亡くなってしまった。ロックンロール、何とも破天荒にして抜群にカッコよかったお二人の死が、どうしても重なってしまう。

(略)きっとこの二人、とてつもなく不器用だ。“カッコ”をつけるとか、なんとか“ぶる“というような意図なく、オリジナルで我儘にそういう風にしか生きられないのだ。それゆえ、必然トラブルも多く、お二人とも一度ではない逮捕歴とのこと。大変困った二人なのだが、何故か世の中からギリギリ許容されてきたように思う。

(出典:アゴラ『ショーケン、内田裕也 破天荒が去った日本の寂しい風景』3月31日)

モンキー・パンチさん 漫画家。「ルパン三世」原作者
享年81 4月11日、肺炎で死去

葬儀で弔辞を読んだルパン三世役の栗田貫一さん

ルパン三世という大役を山田康雄さんから引き継いだときは、さまざまな方面からご批判もありました。そんなとき、先生は『なんも心配しなくていいよ』『そのままでいいんですよ』とおっしゃってくださったことを思い出します。先生に守られてきたから、今日まで続けられてきたんだと思います。

(略)『先生の初恋の女性が、峰不二子のモデルだったんだよ。おっぱいが大きくてね、きれいな人なんだよ』って。(僕が)『先生、その人に会ってみたい』と言ったら、先生は『会わないほうがいいよ』とおっしゃっていましたね。これからもルパン三世を見守っていてください。

(出典:ナタリー『モンキー・パンチを偲ぶ会、次元役・小林清志も心境述べる「俺より先に逝きやがって」』6月14日)

後編はこちらです。