台湾の福島処理水事情

日本政府が福島処理水の海洋放出を発表して3日経った16日、台湾の蔡英文総統が自身のFacebookに「昨夜米国からの訪問を受けた後の深夜、簡体字中国語のアカウントに偽の公式文書がTwitterに掲載された」と投稿した。台湾でいま起こっていることを以下に追ってみたい。

GoranQ/iStock

蔡総統は投稿で、総統府名の偽文書には「(台湾)政府が日本の汚染水(放出)を容認」と書いてあるが、「文章の一部に簡体字が使われ、台湾政府のシステムや公用語への不慣れなど、明らかな欠陥」のある「典型的な認知戦(諜報戦)」だとし、「注意して、転送しない」ように求めた。

16日の聯合報が蔡総統の指摘する欠陥を解説している。例えば、受取人の「中華民国国防部」は通常は単に「国防部」だし、「公布后解密」の簡体字の「后」も「中華民国台湾高雄市」との表記も総統府で使わない上、「內閣会議」も総統府には存在しないといった具合で、かなり杜撰らしい。

アジア専門米系メディアのラジオフリーアジア(RFA)も26日、この偽文書について総統府の女性報道官コラス・ヨタカの以下のインタビューを報じている。彼女は東海岸沿いに居住した原住民アミ族、名前は漢字で「谷辣斯・尤達卡」と書く。自身もパイワン族の血を引く蔡総統らしい人事だ。

これは偽文書です。私たちは市民にその偽情報を信じないように、そして偽の文書を共有するのをやめるように促します。これは総統府が発行した文書ではありません。

RFAによれば、総統府は4月16日、この広く流布している偽文書が典型的な「認知戦」だとして、蔡総統だけでなく、与党民主進歩党や警察もそれぞれのFacebookに投稿したという。如何にもコロナ禍さえITを駆使して跳ね返している台湾の面目を施す広報ぶりではないか。

RFAはこの偽公文書を流布したTwitterアカウントが、RFAとラジオフランスインターナショナルを装った偽文書を載せた偽のメディア報道をいくつも掲載しているのを見付けた、プーマ・シェン台北大学大学院犯罪学研究科助教授の談話も報じている。以下にそれを紹介する。

シェン教授はRFAの取材に対し、中国共産党の台湾に対する「認知戦」の典型的な例として、本土のフェイクニュース提供者は常套的に信頼性の高いメディアを装うとし、特にRFAは中国にとって不利なニュースを報じることが多いので、敵と見做すRFAを彼らは当然選ぶだろうと述べる。

さらに「彼らはRFAの偽アカウントを作って偽スクリーンショットを他のプラットホームと共有することで、読者にRFAの偽ニュースを信じさせる」とし、1年前から「@us_ned_chinese」というハンドルネームを持つ「Sun」というアカウントを使い、RFAをターゲットにしているとも述べている。

「Sun」のアカウントのツイートは「洗練されておらず、間違いが多い」ものの、「無秩序と混乱を引き起こすことで、北京の目的を達成している」と指摘し、シェン助教授は彼らを「インターネット上の若い中国人愛国者」に因んで「low-level Little Pinks at work」と呼ぶ。

また、ウイグルの窮状に同情する人々を騙すため、偽アカウントが同じ見解を共有していると信じさせるよう新疆ウイグルでの弾圧についても投稿していると述べ、これらのアカウントからは台湾に関する偽の情報や動画を含む少なくとも毎日12件のツイートが投稿されているという。

一方、正しい説明や情報を含む投稿は偽情報ほど迅速に共有されないか、偽情報の多いプラットホームに到達しない可能性があるとも同助教授は付け加えた。

総統府は「簡体字」で中国を示唆するにとどめるが、シェン助教授は中国の仕業との証拠を例示する。何れにせよ実に念の入った「認知戦」だ。台湾人はとりわけ噂を信じ易い傾向がある(パイン一個一個に甘みを注射していると信じる知人すらいた)ので効果があるのだろう。

台湾での福島処理水に関する報道はどうかといえば、与党系メディア「中央社」も14日から連日、関連記事を載せている。

与党民進党は基本的には反原発だが、福島など5県の食品禁輸に関してはこれを解禁したい意向を持っている。が、民進党が大敗した18年11月の統一地方選では、野党国民党が組織の動員票で「禁輸継続」を国民投票の議題に上げ、選挙結果と同様に民進党の解禁案が敗北した経緯がある。

与党系の中央社の論調も放出に肯定的で、行政院原子能(力)委員会の謝暁星主任委員が22日、日本が設定するトリチウム濃度は「科学的根拠からすればIAEAの基準を満たしており、半減期に基づけば、トリチウムは1カ月でヒトの体内で代謝される」と述べたことを報じた。

同記事はまた、謝暁星委員が、日本は処理水を海水で薄めて1リットル当たり1500ベクレル以下にして海洋放出する方針だと説明しつつ、「全てのことに例外が起こり得るからこそ、リスクを評価する必要がある」として公表した次の3つの対応策を報じている。

  • 早期警報システムの導入と継続的モニタリング
  • 海水モニタリング地点の増加
  • AEA調査団への参加実現

謝暁星委員は、早期警報システムは約4億9100円)を投じ1年半をかけて設置すること、その後15億~19億円を掛けて4年間にわたり95カ所でのモニタリングや環境への影響を分析すること、IAEA調査団参加は中国がメンバーになっているので難しいが実現に尽力すること、などを明らかにした。

「タンカーで日本中の内水に放出せよ」が持論の筆者だが、処理水放出に係る台湾の真摯で公正な姿勢に接すると、かつて高雄市政府のある高官から「ああいう事故が起きたら台湾がなくなる」と原発廃止を決めた経緯を聞いたことがあるだけに、心から申し訳ない気がして胸が熱くなる。

27日の産経「台湾有情」も矢板明夫台北特派員が「『処理』めぐる攻防」と題して、台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表が、野党国民党や一部環境保護団体が猛反発する中、自らのFace bookに「台湾の原発も放射性廃水を排出している」などと書き込んだ顛末を報じている。

謝長廷氏の投稿は反対派の逆鱗に触れたようで、国民党は立法院での謝氏の証人喚問を求めると共に「偽情報」を流したとして、謝氏の刑事告発に及んでいるそうだ。

台湾電力が3カ月毎に発表する「放射性物質排出報告書」の放射性廃水の排出記録を読むと、謝氏の投稿内容は事実だが、国民党関係者は「台湾が排出しているのは正常の廃水で、事故による汚染水を処理した水とは性質が違う」などと主張し、謝氏を「媚日派」と批判すると矢板氏はいう。

日本にも同じ理屈で反対論を述べる一部識者がいるが、ここはIAEAとWHOの基準に沿って粛々と進めることだ。矢板氏は「謝氏のような知日派を困らせないためにも、日本政府は処理水の安全性をもっと丁寧に説明すべき」と書く。同感だし、日本はこの大事な隣国のより近くに立つべきと思う。