実家で父が老衰で亡くなりました
父が亡くなりました。穏やかで眠っているようです。よく頑張った!母が一晩抱きしめていた模様。なぜか昨晩は腰が痛くて全く寝られなかった。朝方やっと寝られたがその時に逝ったらしい。腰は治ってる!
穏やかに逝ったので家族はみんな穏やか— Isseki Nagae/永江一石@「虎の穴」 (@Isseki3) May 20, 2021
TwitterとFacebookに投稿し、たくさんコメントをいただきましたが返事を仕切れませんが全部見ています。ありがとうございます。
90を過ぎていたが車椅子ではあるものの頭がしっかりしていてまったく認知症のかけらもなかった父が、昨年末から食欲が亡くなり3月に救急車で運ばれた。このときは細菌が尿管からはいってだったが、病院で「肝臓がんが進行していてるし、検査結果見ると高齢なので体が衰弱していてあと数ヶ月」と言われました。父にも告知されました。
もともと肝硬変が進んでいて薬は飲んでいたが、この年齢になるとがんの治療はもうしない。寿命のほうががんで死ぬより早くくるからだ。
実家は私の家から徒歩5分なのだが離婚した妹が別世帯で同居していて銀行に勤務している。実は子供の頃から母親と折り合いが悪くかなり疎遠にしていたのだがそれからはほぼ毎日通うことになった。あれほどキツかった母親が認知症でちょうどいい感じにボケていて柔らかくなったのが幸いです。
父親の希望として
1 家で死にたい
2 延命はしてくれるな
という強い意志があり、妹にも「看取ってくれ」と手を合わせた。妹もそのつもりだったので病院の紹介で終末医療の医師団チームと、看護師さんチーム、そしてヘルパーさんの会社にお願いした。3月までは自力でトイレにも行っていたのでヘルパーも頼んでいなかった。ちなみに病院は1日入院したら自分で点滴抜いて帰るというので怒られて帰宅してきました。ただ帰り際にはちゃんと挨拶して回ったというから昔の人です。
このお医者さんと看護師さんのチーム(もちろんヘルパーさんたちも)が素晴らしかった。感謝に堪えません。24時間電話してくださいということで亡くなる前の晩も往診してくれました。
親父の看取りには、訪問医療専門のお医者さんのチームと看護師さん、ヘルパーさんたちの献身的な協力があってのことで感謝に堪えません。
お医者さんも看護師さんも24時間いつでも駆けつけてくれた。車はみんな軽。本人の希望を最優先し、苦しみの緩和に集中してくれた。おかげで誤嚥性肺炎は逃れた。
— Isseki Nagae/永江一石@「虎の穴」 (@Isseki3) May 22, 2021
7人のチームで、夜中2人の交代制。若い先生が多いがみなさん使命感の塊のようで「医は仁術」とはこういうものかと思った。最初に代表のお医者さんに看て頂いたがなんと父親の大学(大阪大学)の後輩であったので親近感が増したそうだ。
3月に言われたことは
1 4月中旬がめど。入院して点滴をしても連休前
※だから1ヶ月以上余計に頑張りました
2 点滴も希望ならするが逆に痰が出て苦しくなることが多い
ということで、本人も自宅で逝きたいという強い意志があるので尊重しましょうと。いまはコロナで入院してしまうとひとりっきりになって付き添いもできない。出てくるのは死んだときと聞いて、これはもう本人の意志を叶えようと思った次第です。
プロテインドリンクはおすすめでした
すでに固形物は昨年から全く受け付けなくなっており、液体しか飲めない(飲まない)。で、どんどん痩せていくので、私の作戦は「プロテイン」・・・1日50ccくらいしか水分を摂らなくなっていたのであるが・・・
妹ははじめ「こんなの飲ませて大丈夫なの?」とか言っていたが、特にザバスのココアとバニラとミルクは美味しいらしく1日400ccくらい飲む時もあった。1ヶ月延命できたのは明治さんのおかげです。ありがとうございます。
素人の私ですが、内蔵もタンパク質でできている。タンパク質の摂取量が少ないと内蔵の衰えが早くなるのではないか的な・・・・。ザバスを飲み始めてからずっと出ていなかったお通じが定期的に出るようになりました。
お医者さんに聞いた終末
多くの方が最後は誤嚥性肺炎で亡くなるらしい。老衰の場合は眠るように亡くなるわけで一番幸せなのだから誤嚥性だけは避けようと腔内ケア方法を看護師さんに教えていだたいた。これがいいらしいです。
なくなる数日前から急に飲みたがるようになり、そのときにかなり誤嚥させてしまった。咳が出るようになって看護師さんに痰の吸引をかなりしていただいたが、肺炎になっている感じではなく、サラサラでした。つまり吸い込むときに気管を閉じられないようになってしまって入るらしい。
少し前からコロナの時の時のために家にあったパルスオキシメーターを持っていって計ることにした。こういうやつ
健常な我々だと98-99なのであるが、普段でも95程度、夜になると88くらいまで下がる。看護師さんの持っている医療用と比較してもわりと正確であった。しかし亡くなる先日には計測できなくなってしまった。酸素吸入しても85くらいまでしかあがらないので、お医者さんの見立てでは「かなり内臓機能が低下している」とのことでした。
幸せな最後
亡くなる前の晩にかなり咳き込み看護師さんとお医者さんに来ていただき、大量に痰を吸引して酸素をいれて持ち直し、脈拍は早いものの安定した感じになったので全員ほっとし、帰宅したのであるが朝の5時半に妹からLINEで「眠ったまま亡くなった」という知らせが来た。
一緒にベッドの横で寝ているのはばあちゃんであるが、夜中に「こっちにおいで」と手招きされて添い寝をしたらしい。朝になって妹が起きて様子を見に行ったときは息をしておらず、まだ暖かかった。ばあちゃんは亡くなったと気づいていなかった。
それからお医者さんに来て頂いて死亡診断書を書いて貰い、葬儀の会館に連絡して手配をしたりしていたが、我々家族は悲しみより達成感で一杯です。本人の希望を最高の形で叶えられたという満足感のほうが大きい。自分もこういう死に方がいいと思いました。死亡診断書の死因は「老衰」ではなく「肝臓がん」になりましたが。
葬式もまだだが、仏壇がないので小さな仏壇をAmazonで買って送ったらばあちゃんがめちゃくゃ喜んで驚いた。
そんなわけでわたしは落ち込んでもいないし、普通に仕事をします。
たくさんのコメントありがとうございます。わたしは大丈夫です。
正直、愛犬が逝ったときのほうがキツかったです。あれは子供が亡くなるのと同じだからですね。仕事もサーフィンも普通にできます。
編集部より:この記事は永江一石氏のブログ「More Access,More Fun!」2021年5月23日の記事より転載させていただきました。