歴史小説を私は読まない ~創作はどこまで許されるか

八幡 和郎

『龍馬の幕末日記』というシリーズを、今年の1月から4月までアゴラで100回にわたって連載させて頂いた。日本経済新聞の『私の履歴書』のスタイルで、坂本龍馬の回想という形で、書いた伝記である。

最後の二回は、「龍馬の幕末日記:総集編(1)龍馬暗殺は松平容保の命令」「龍馬の幕末日記:総集編(2)このシリーズのハイライトです」として、最終回の末尾に全部の回のリンクを張ってある。時系列で書いているので、お読みいただいたら、龍馬を知るだけでなく手頃な幕末史になっていると思う。

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私は基本的に歴史小説は読まない。なぜなら、史実と違う知識が頭に残ってしまって、自分で本や記事を書くときに、間違いを書いてしまう可能性があるからだ。

司馬遼太郎の「竜馬が行く」を初めて読んだのも、龍馬の伝記を書くにあたって、司馬遼太郎の間違いを全て指摘することにしたときだ。

もちろん、小説を書くときに、不明な点を補うとか、女性を登場させて彩りにするとかいった程度は許されるだろう。

しかし、明らかに史実と違うことを書くなら、登場人物は実名でなく仮名にして欲しい。

たとえば、上杉鷹山をテーマにした小説に、藤沢周平の「漆の実のみのる国」というのがあるが、こちらは、分からない部分だけ想像で書かれている。

藤沢氏は、故郷の庄内藩のことを書くときも、架空なら「海坂藩」という架空の名前を使ったりしている。

それに対して、童門夢二氏の名作「上杉鷹山」は、デタラメ満載で、実在の上杉鷹山とは似ても似つかぬ人物になっている。

同様なのは、司馬遼太郎で、すべてが嘘の塊といっても過言でないほどひどい。「街道を行く」のような、エッセイですら内容は小説に近い。「坂の上の雲」は例外的に綿密に調べているので違うという人もいるが、そうでもないようだ。

甚だしくは、自分の小説の上での創作を、講演などで史実として語っていたこともあった。健忘症のなせることなら仕方ないが、そうでもなさそうだった。文学としては面白いのに、その価値を台無しにされていたような気がする。

また、近現代の人の場合には、まったく名誉毀損ものだった。

しかし、やはり、文学様式のほうが、いいと思って、考えたのが、この私の履歴書スタイルである。

そして、今度は、豊臣秀吉に挑戦しようと思う。ただし、あまりにも分からないことが多いので、妻の北政所寧々の口を借りて『令和太閤記「寧々の戦国日記」』という形にする。 とりあえず、『信長でも家康でもなく「秀吉」こそ令和日本が求めるリーダーだ!』という予告編を出した。

北政所寧々の口を通して、秀吉と寧々の生涯を大坂夏の陣のあとの寧々の死まで通して描く。秀吉は信長や家康より独創性に乏しいと見られたり、朝鮮出兵が影を落として、肯定的に描くことが許されない空気がある。

しかし、冷静に世界史的な視点から評価したら、秀吉こそナポレオンと同じく近代国家の礎をつくった功労者だ。

秀吉の成し遂げた仕事は驚くほどナポレオンに似ている。「中世には地に墜ちていた朝廷の権威の回復」「東京や大阪を日本の中心的な都市として選び、京都や博多を大改造し各地の城下町を建設」「兵農分離と軍備の近代化」などを実現した。

経済でも「度量衡の統一」「大判小判など通貨制度の確立」「太閤検地による税制改革」「商工業の振興」「鉱山開発」「貿易の拡大」など、めざましい成果をおさめた。さらには、絢爛豪華な桃山文化の大輪の花も咲かせたのである。

「鎖国をしていなかったら、18世紀に日本とイギリスはベンガル湾で雌雄を決していた」とおっしゃったのは、壮大な文明論を描いた民族学者の梅棹忠夫さんだ。

秀吉が長生きするか、関ケ原で西軍が勝って豊臣の天下が続いたら、日本は明治を待たずに世界の大国となっただろうし、西洋人による植民地支配も、かなり様子が違うものになっただろう。

ただ、物語形式で書いていくと、なかなか、歴史論争や異説には踏み込めない。そこで、アゴラでも時々、様々な説を紹介し、それを私がどう考えているかを平行して論じていくということもしてみたいと思っている。