龍馬の幕末日記:総集編(2)このシリーズのハイライトです

坂本龍馬という人物は、もちろん、それなりの人物だったが、親交のあった田中光顕によって土佐の維新における役割を強調するためと、自分の値打ちを高めるために派手に喧伝された。さらに、司馬遼太郎が素晴らしいヒーローに仕立て上げた。

しかし、真実に基づかない英雄像はまじめな歴史認識を阻害する。そこで、等身大の龍馬を描いたのが『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)であり、それに手を加えてネット向きの読み物にしたのが今回のシリーズだ。

下記に一覧があるので、あらためてご一読頂きたい。

坂本龍馬 Wikipwdiaより

さらに、ポイントになる回を少し列挙しておこう。

①やはり最初は第一回から

龍馬の幕末日記① 『私の履歴書』スタイルで書く

②土佐で郷士は虐げられていたというがそれは都市伝説だ

龍馬の幕末日記② 郷士は虐げられていなかった

③坂本家は大金持ちだった

龍馬の幕末日記⑤ 坂本家の給料は副知事並み

④龍馬の江戸遊学とは

龍馬の幕末日記⑭ 龍馬の剣術修行は現代でいえば体育推薦枠での進学

⑤龍馬は高知で南海トラフ地震に遭遇していた

龍馬の幕末日記㉑ 南海トラフ地震に龍馬が遭遇

⑥切り捨て御免は都市伝説とか言う馬鹿がいるが普通のことだった

龍馬の幕末日記㉖ 土佐では郷士が切り捨て御免にされて大騒動に

⑦龍馬と長州の関係

龍馬の幕末日記㉘ 久坂玄瑞から『藩』という言葉を教えられる

⑧脱藩などという言葉は投じなかった

龍馬の幕末日記㉙ 土佐から「脱藩」(当時はそういう言葉はなかったが)

⑨勝海舟を斬りに行ったなどと言う冗談

龍馬の幕末日記㉜ 勝海舟先生との出会いの真相

⑩ロマンスの話も

龍馬の幕末日記㊲ 加尾と佐那とどちらを好いていたか?

⑪行革でなく攘夷支持のせりふだった

龍馬の幕末日記㊳ 「日本を一度洗濯申したく候」の本当の意味は?

⑫新撰組の正体

龍馬の幕末日記㊵ 新撰組は警察でなく警察が雇ったヤクザだ

⑬龍馬の仕事はフィクサー

龍馬の幕末日記㊷ 龍馬の仕事は政商である(亀山社中の創立)

龍馬の幕末日記㊸ 龍馬を薩摩が雇ったのはもともと薩長同盟が狙い

⑭お龍について

龍馬の幕末日記㊺ お龍についてのほんとうの話

⑮海援隊をいよいよ設立

龍馬の幕末日記54:土佐藩のために働くことを承知する

⑯船中八策にはいろいろ誤解あり

龍馬の幕末日記61:船中八策は龍馬が書いたものではない

⑰西鋭夫とかいう人が龍馬の背後にイギリスがいたとかいってるが

龍馬の幕末日記62:龍馬がイギリス公使から虐められる

⑱龍馬が死んだときの住所は下関

龍馬の幕末日記64:慶喜公の説得と下関でのお龍との別れ

⑲龍馬の天敵だった会津藩の真実

龍馬の幕末日記77:江戸幕府でなく孝明天皇に忠誠を尽くした迷走

⑳慶喜に政権など担えるはず亡し

龍馬の幕末日記85:「新政府綱領」の○○○は慶喜なのか

㉑龍馬が暗殺されなかったら

龍馬の幕末日記98:明治まで生きたら龍馬はなにをしていただろうか

㉒龍馬暗殺の謎についてはまずこれを読んでください

龍馬の幕末日記:総集編(1)龍馬暗殺は松平容保の命令

「龍馬の幕末日記① 『私の履歴書』スタイルで書く」はこちら
「龍馬の幕末日記② 郷士は虐げられていなかった 」はこちら
「龍馬の幕末日記③ 坂本家は明智一族だから桔梗の紋」はこちら
「龍馬の幕末日記④ 我が故郷高知の町を紹介」はこちら
「龍馬の幕末日記⑤ 坂本家の給料は副知事並み」はこちら
「龍馬の幕末日記⑥ 細川氏と土佐一条氏の栄華」はこちら
「龍馬の幕末日記⑦ 長宗我部氏は本能寺の変の黒幕か」はこちら
「龍馬の幕末日記⑧ 長宗我部氏の滅亡までの事情」はこちら
「龍馬の幕末日記⑨ 山内一豊と千代の「功名が辻」」はこちら
「龍馬の幕末日記⑩ 郷士の生みの親は家老・野中兼山」はこちら
「龍馬の幕末日記⑪ 郷士は下級武士よりは威張っていたこちら
「龍馬の幕末日記⑫ 土佐山内家の一族と重臣たち」はこちら
「龍馬の幕末日記⑬ 少年時代の龍馬と兄弟姉妹たち」はこちら
「龍馬の幕末日記⑭ 龍馬の剣術修行は現代でいえば体育推薦枠での進学」はこちら
「龍馬の幕末日記⑮ 土佐でも自費江戸遊学がブームに」はこちら
「龍馬の幕末日記⑯ 司馬遼太郎の嘘・龍馬は徳島県に入ったことなし」はこちら
「龍馬の幕末日記⑰ 千葉道場に弟子入り」はこちら
「龍馬の幕末日記⑱ 佐久間象山と龍馬の出会い」はこちら
「龍馬の幕末日記⑲ ペリー艦隊と戦っても勝てていたは」はこちら
「龍馬の幕末日記⑳ ジョン万次郎の話を河田小龍先生に聞く」はこちら
「龍馬の幕末日記㉑ 南海トラフ地震に龍馬が遭遇」はこちら
「龍馬の幕末日記㉒ 二度目の江戸で武市半平太と同宿になる」はこちら
「龍馬の幕末日記㉓ 老中の名も知らずに水戸浪士に恥をかく」はこちら
「龍馬の幕末日記㉔ 山内容堂公とはどんな人?」はこちら
「龍馬の幕末日記㉕ 平井加尾と坂本龍馬の本当の関係は?」はこちら
「龍馬の幕末日記㉖ 土佐では郷士が切り捨て御免にされて大騒動に 」はこちら
「龍馬の幕末日記㉗ 半平太に頼まれて土佐勤王党に加入する」はこちら
「龍馬の幕末日記㉘ 久坂玄瑞から『藩』という言葉を教えられる」はこちら
「龍馬の幕末日記㉙ 土佐から「脱藩」(当時はそういう言葉はなかったが)」はこちら
「龍馬の幕末日記㉚ 吉田東洋暗殺と京都での天誅に岡田以蔵が関与」はこちら
「龍馬の幕末日記㉛ 島津斉彬でなく久光だからこそできた革命」はこちら
「龍馬の幕末日記㉜ 勝海舟先生との出会いの真相」はこちら
「龍馬の幕末日記㉝ 脱藩の罪を一週間の謹慎だけで許される」はこちら
「龍馬の幕末日記㉞ 日本一の人物・勝海舟の弟子になったと乙女に報告」はこちら
「龍馬の幕末日記㉟ 容堂公と勤王党のもちつもたれつ」はこちら
「龍馬の幕末日記㊱ 越前に行って横井小楠や由利公正に会う」はこちら
「龍馬の幕末日記㊲ 加尾と佐那とどちらを好いていたか?」はこちら
「龍馬の幕末日記㊳ 「日本を一度洗濯申したく候」の本当の意味は?」はこちら
「龍馬の幕末日記㊲ 8月18日の政変で尊皇攘夷派が後退」はこちら
「龍馬の幕末日記㊳ 勝海舟の塾頭なのに帰国を命じられて2度目の脱藩」はこちら
「龍馬の幕末日記㊴ 勝海舟と欧米各国との会談に同席して外交デビュー」はこちら
「龍馬の幕末日記㊵ 新撰組は警察でなく警察が雇ったヤクザだ」はこちら
「龍馬の幕末日記㊶ 勝海舟と西郷隆盛が始めて会ったときのこと」はこちら
「龍馬の幕末日記㊷ 龍馬の仕事は政商である(亀山社中の創立)」はこちら
「龍馬の幕末日記㊸ 龍馬を薩摩が雇ったのはもともと薩長同盟が狙い」はこちら
「龍馬の幕末日記㊹ 武器商人としての龍馬の仕事」はこちら
「龍馬の幕末日記㊺ お龍についてのほんとうの話」はこちら
「龍馬の幕末日記㊻ 木戸孝允がついに長州から京都に向う」はこちら
「龍馬の幕末日記㊼ 龍馬の遅刻で薩長同盟が流れかけて大変」はこちら
「龍馬の幕末日記㊽ 薩長盟約が結ばれたのは龍馬のお陰か?」はこちら
「龍馬の幕末日記㊾ 寺田屋で危機一髪をお龍に救われる」はこちら
「龍馬の幕末日記㊿ 長州戦争で実際の海戦に参加してご機嫌」はこちら
「龍馬の幕末日記51 長州戦争で実際の海戦に参加してご機嫌」はこちら
「龍馬の幕末日記52: 会社の金で豪遊することこそサラリーマン武士道の鑑」はこちら
「龍馬の幕末日記53:土佐への望郷の気持ちを綴った手紙を書かされるはこちら
「龍馬の幕末日記54:土佐藩のために働くことを承知する」はこちら
「龍馬の幕末日記55:島津久光という人の素顔」はこちら
「龍馬の幕末日記56:慶喜・久光・容堂という三人のにわか殿様の相性」はこちら
「龍馬の幕末日記57:薩摩の亀山社中から土佐の海援隊にオーナー交代」はこちら
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「龍馬の幕末日記59:姉の乙女に変節を叱られる」はこちら
「龍馬の幕末日記60:「船中八策」を書いた経緯」はこちら
「龍馬の幕末日記61:船中八策は龍馬が書いたものではない」はこちら
「龍馬の幕末日記62:龍馬がイギリス公使から虐められる」はこちら
「龍馬の幕末日記63:イカルス号事件と岩崎弥太郎」はこちら
「龍馬の幕末日記64:慶喜公の説得と下関でのお龍との別れ」はこちら
「龍馬の幕末日記65:山内容堂に龍馬が会ったというのはフェイクニュース」はこちら
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「龍馬の幕末日記98:明治まで生きたら龍馬はなにをしていただろうか」はこちら
「龍馬の幕末日記99:戊辰戦争で会津の民衆は官軍に協力した明治まで生きたら龍馬はなにをしていただろうか」はこちら
「龍馬の幕末日記100:坂本龍馬を有名にした司馬遼太郎ともう一人の立役者」はこちら

「龍馬の幕末日記:番外篇(1)松平容保とその子孫」はこちら
「龍馬の幕末日記:番外篇(2)会津武士のその後」はこちら
「龍馬の幕末日記:番外篇(3)日韓併合の立役者や福島事件での三島通庸の協力者も」はこちら
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