「脱炭素と気候変動」の理論と限界(最終回):成長と無縁の繁栄はありえない

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資本主義永続としての「脱成長」のロジック

『資本論』のドイツ語版からの翻訳とフランス語版からの翻訳のどちらでも、第1巻の末尾で「資本主義的所有の最後の鐘が鳴る。今度は収奪者が収奪される」(マルクス、1872-1875=1979下:457)と結論づけられている。すなわち、その刊行時から資本主義は永続しないとされてきたことに気が付く。

にもかかわらず資本主義永続論は150年間生き続け、1991年のソ連の崩壊以降では、近未来論の主流として資本主義改革論を含めてむしろ流行しているといっても過言ではない注40)

最近では、資本主義改革論の応用の一つとして「脱成長」論が盛んである。まずクセジュシリーズ(1040)で、タイトルにLa décroissanceを使ったラトゥーシュ(2019=2020)があげられる。

ところがフランス語の元来の意味が減少、衰退、縮小なのだから、いくら日本語で『脱成長』と訳しても内容の一貫性に欠けるため、多様性、多元主義、ロ-カル志向、閉鎖主義、簡素化、脱経済至上主義などを連発せざるを得なくなった。もちろんこれらの弁明をしても、なかなかその真意は読者には伝わらない注41)

マイエの「経済成長」論

1966年に同じクセジュシリーズ(416)でマイエが、La croissance économique(1966=1967)を出していた。文字通りこれは『経済成長』であるが、ラワース本にも繰り返し引用されたロストウ(1960=1961)と同じ時期の出版である。

マイエは、「いまから二世紀前は、なお貧困が人類の過半数の運命を制していた。……大部分の人々にとっては、飢えがなお不断の脅威であった」(マイエ、前掲書:10)が、そこから若干の国々だけが抜け出した「成長の現象」を記述し、その要因を説明した。

基本的な指標は「人口一人あたり生産高」(同上:9)および「一人あたり国民所得」(同上:34)である。しかしその「成長の現象」解明のために用いられた時系列的指標としては、国民総生産、国民一人あたり総生産、国民所得、一人あたり国民所得、産業部門別生産高、部門別労働力、人口増加、都市化の程度、所得分配などであった。

何しろこれらはパソコンが皆無の古い時代の指標ではあるが、今日でもこれらの大半が「経済成長」論では用いられている。なぜなら、生産諸要素(労働、資本、土地)を含む量的な経済指標を超える新しい指標が作られてこなかったからである。

フランス産業史を中心としながら西ヨーロッパ諸国の事例も取り込んで、産業革命以降150年間の「成長」を分析した結果、マイエは① 労働力の投下領域の変化、② 各種生産の不均等な成長率、③ 成長の地域的な不均等、④ 都市対農村の分布の逆転、⑤ 所得分配の変化、⑥ 各種生産物の相対的な価格の大幅なゆがみ、が拡大したとまとめた(同上:41)。これらもまた、現在でも依然として有益な分析結果である。

多様性に見る「不均等」と「ゆがみ」

それぞれの結果は現代グローバル資本主義論にも引き継がれているが、マイエが概括した「不均等」や「ゆがみ」は、ラトゥーシュの「多様性」の一環でもあることに気が付く。加えて、その「脱成長」論からは、経済成長が一定水準を超えるのか、減少するのか、停滞するのかが分からない。同じく「成長にこだわらない」(ラワース、前掲書:351)といっても、その内容が鮮明ではない。

カリスほか(2020=2021)もまた、ラトゥーシュ本と同系である。何よりも成長(growth)に否定・縮小の接頭辞であるdeをつけたDegrowthをタイトルにしているからである。そこではグローバル資本主義の特徴である成長追求型経済がもたらす必然的現象を、① 工業型農業の普及、② 自然環境の浸食、③ 野生動植物の商品化、④ 動物から人間への疫病感染としてまとめ、経済成長全体が否定される(カリスほか、同上:8)。

そのうえでカリスらは、「脱成長論とは、経済成長の追求をストップして、生活と社会の視点をウェルビーイングに置き直すこと」(同上:20)とするが、ケアの財源や資源、コミュニティの生産・流通・販売・消費機能、健康維持のための医療資源の確保、ウェルビーイング(well-being)を支える経済的基盤などへの配慮が十分ではなかった。経済成長をストップさせ、GDPを落ち込ませ続けたら、これらのウェルビーイング項目の実現は不可能になってしまう。

『脱成長』関連では同系統の目標概念として、スペイン語の「ブエン・ビビール」(buen vivir)を使うこと(斎藤、前掲書:322)もあれば、ティロールの「共通善」(bien commun)も同じように使用される。それは構わないが、仮にこれら3概念のどれを使うにしても、①それらの実現手段を分析し峻別することで、さらなる具体的目的を追求する、②その実現に寄与するツールを開発する、というその先までを含めて議論しておきたい(ティロール、2016=2018:21)。

結論的にいえば、La décroissanceDegrowthもいくら本のタイトルとはいえ、その原義とはあまりにもかけ離れた使い方であり、翻訳もまた見直したい。

「成長」しなくても「繁栄」できるのか?

そしてラワースにもその種の傾向が読み取れる。「成長を活用するけれど期待せず、成長に対処するけれど依存せず、成長を受け入れるけれど求めない」(ラワース、前掲書:385)などは言葉の遊びとしか思えない。そして「GDPが成長してもしなくても繁栄できる」(同上:386)という文章を繰り返す注42)

しかも英語圏の言葉遣いとしても疑問が残る。なぜなら繁栄(prosperity)は富、資金、財力抜きには考えられないからである。それは手元の英語辞典を引けばよく分かる。

たとえばIdiomatic and Syntactic English Dictionary(1973)では、prosperityは“succeed;good fortune;wealth;flourishing conditions”だし、Oxford Advanced Learner’s Dictionary(2005)でも、“ the state of being successful, especially in making money”とマネーを稼ぐことと説明している。

さらにCollins CobuildのEnglish Dictionary for Advanced Learners(2001)でも、“Prosperity is a condition in which a person or community is doing well financially.”とされている。

このような英語固有の意味を活かさないような使い方では、英語圏以外の読者にも正しいメッセージは伝わらない。

「ロストウモデル」の改変

さて、ラワースは「高度大衆消費時代」で止まっている1960年発表のロストウの「成長の5段階」を紹介した後、それを否定して「強制着陸」させようとした。すなわち、

図1のような、1. 伝統的社会 2. 離陸準備 3. 離陸 4. 成熟 5. 高度大衆消費時代というロストウモデルの後半の「高度大衆消費時代」を削除して、代わりに5. 着陸準備 6. 到着と改変したのである(ラワース、前掲書:382)。

図1 ロストウの「経済成長段階図」
出典:ロストウ(1960=1961:15)

現在でも「強制着陸」が可能なのはGNのわずかな国々であり、WEIRDの一部であろう。60年前の14か国でも、経済成長段階は実に多様性に富んでいた。ラワースが削除した「高度大衆消費時代」は、当時のアメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアなどが先行的に経験していた。その時代は成熟期にあったフランス、ドイツ、スウェーデン、日本などがその後に経験した高度経済成長時代も目覚ましいものであった。

そしてこのモデルを下敷きにして現在までの経済成長の歴史に合せてみると、まだようやく離陸期にあった中国の急速な台頭が浮かんでくる。

「経済学の専門的見地からいえば、成熟に近づき、さらにそれを越えて進んでいくにつれて、社会の関心のバランスは供給から需要へ、生産の問題から消費の問題へ、そしてもっとも広い意味での福祉の問題へと移っていった」(ロストウ、1960=1961:99)。このロストウの経済成長段階論は、現在のGN(G7などに象徴)のその後の推移を見ると、おおむね納得できる。

「強制着陸」の弊害

しかし、かりにようやく成熟期に差し掛かった国で、「高度大衆消費時代」を省略したままに「強制着陸」させると、どうなるか。そこでは「高度大衆消費」が無くなるのだから需要は伸びず、消費は停滞するか縮小して、最終的な福祉国家には程遠くなるであろう。

そうなると、今日の成熟期前のGSのすべてが困るはずである。なぜなら、これから化石燃料に依存しての離陸を模索している段階にあるからである。これらの矛盾は2021年11月のCOP26で証明された通りである注43)

そしてまた、GSと同じく無理やり「強制着陸」させられたWEIRDでも「成長」しなくなるのだから、剰余価値としてのGS向けのODAや各種の借款や支援事業などは減少させざるを得なくなる。

その最大の理由は、GNとりわけWEIRDでは「少子化する高齢社会」が深刻になってくるからである(金子、2006;2014)。どのWEIRDでも、年金、高齢者医療、介護・福祉に予算を優先せざるを得なくなり、政権与党も野党も次第に内向きになってくる。グローバルな観点からすると、それで困るのはむしろGSなのではないか。

「到着ロビー」に待っていた学問

さらに「強制着陸」させられた「到着ロビー」に待っていた学問は、経済学ではなかったというおまけがついた。

「人生にとって何がほんとうにたいせつか一概にはいえない」が、「幸せを増進する」ことだとして、ラワースは① 周囲の人々とつながる、② 体をよく動かす、③ 世界に関心をもつ、④ 新しい技能を身につける、⑤ 他者に与えるを引用した(ラワース、前掲書:403-404)。ただし、この5点をきちんと論じられる単一の学問はなく、医学はもちろん少なくとも社会学や心理学の成果と「法則」を借りなければ、経済学だけではいかんともしがたい領域である。

しかし、これが全篇で強調された「成長してもしなくても、繫栄できる経済の創造」(同上:404)の結論になるのだとすれば、「鉛筆を手に取って、描けばいい」(同上:417)程度ではどうにもならない。

なぜなら、「未来像は信じがたいほどぶつかり合い、相反する社会的利害であふれかえっている」(アーリ、2016=2019:14)からである。「思想は結果をもたらすし、誤った思想は破壊的な結果をもたらしうる」(ハーヴェイ、2011=2012:294)。それは、全体主義や独裁政治などの歴史が教える通りである。

ハーヴェイの「資本主義変革」論

そこで今後の全体像を見通すために、たとえばハーヴェイの「資本主義変革」(ハーヴェイ、2011=2012:309)で提唱された総括的な方向性だけでも取り上げておこう。ともかくも「鉛筆を手に取る前」に、私たちが考えておきたいのは「何をなすべきか?誰がなすべきか?どうすべきか?」であり、以下もそのヒントにはなるであろう。ハーヴェイは次の6点を示しているので、それぞれに私の簡単な解説を付加しておく。

1.われわれの観念(思想)を変えること

私益や利益拡大の現状を見直す、合理化機械化一辺倒の生産に伝統の継承も未来志向も取り込む

2.われわれが心に抱いている信念や偏見を捨て去ること

人間像はホモ・エコノミックスではなく、「合理的選択性」にも限度がある、利己主義だけでは行動面での協調や共同・協働がうまくいかない

3.様々な日常の快適さや権利を断念して、新しい日常体制に自己を従わせること

利益とともに共益も指向する、生産には最新機器も伝統工法も使い、商品やサービスの使用価値を高め、交換価値増加につなぐ

4.われわれの社会的・政治的役割を変えること

人間像はホモ・ソシオロジクスに代えて、状況に合わせた「選択的合理性」を軸とする。さらに利己主義と併用しながら、利他(愛他)主義も少しずつ増やしていく

5.われわれの権利、義務、責任を割り当てなおすこと

生産・流通・販売・消費で動きを速めるために、経済社会システムの入口である生産への資源投入に責任をもち、一方では大量消費を維持できるような日常生活物資の供給とともに、他方では誇示的消費に耐えるような商品開発を求めて、ローカルからのイノベーションをめざす

6.われわれの行動様式を変更して、集団的ニーズと共同の意志に適合させること

選挙を通して政治世界における権力の多元化を進める。社会生活の「共益」部分で、それを支える都市的生活様式の根幹にある社会的共通資本の点検整備を怠らない。政治行政の不正を解消して、正常への転換として政治社会システムの自律性を取り戻す

現段階の資本主義と新時代の経済社会システムの比較

これらの解説を一覧表にすれば、表1が得られる。

表1 現段階の資本主義と新時代の経済社会システムの比較
(注)濱田・金子(2021:160)

さらに、シュトレークが整理した「現代資本主義の5つの症状」(シュトレーク、2016=2017:93)を踏まえて、その対処方針をまとめたものが表2である。

表2 現代資本主義の「5つの症状」と新時代の経済社会システム
(注)「5つの症状」はシュトレーク、新時代の経済社会システムは金子が作成

その先の段階を考える場合、「資本主義社会とは、その経済的領域が資本主義的手法によって制度化された社会」(同上:279)であり、ほかに政治、社会統合、文化、社会意識などの領域を想定すると、パーソンズの社会システム論でのAGIL図式と一致する。だから、経済が下部構造であり、政治その他は上部構造という訳ではないという認識が改めて得られる注44)

表1と表2からは、非物質的な経済的需要こそが資本主義成長の新たな原動力という視点が得られる(同上:295)。

社会システムの適応能力増大への処方箋

周知の「パンとサーカス」の問題を一般化すれば、社会システム論的には「適応能力の増大」に尽きる。このうち現代の「サーカス」はオリンピックや各種スポーツの世界大会である。また「パン」の供給力を永続させるには、イノベーションに期待しつつ細菌の合成力を利用した食料生産や、食材と廃棄物をめぐるエコロジー問題や水素の資源活用などが次段階のグローバル資本主義の新たな原動力になる注45)

社会学の側からの不安材料は、グローバル資本主義が一人勝ちして頂点を極めたことから、それを支えてきた社会システムの内部崩壊が始まることである。システム成員の人間像としていわゆる「精神なき専門人」と「心情なき享楽人」(ウェーバー、1904-5=1989:366)が今以上に増加することにより、(A)経済の無限拡大、(G)政治の無為無策、(I)社会統合の劣弱化、(L)文化の停滞、などがひき起こされる。

そうすると、イノベーションは不発に終わり、社会的ジレンマの解消見通しもなくなる。世界システムは弱肉強食時代に突入して、偽善主義がはびこり、宇宙船地球号の行く末に赤信号が点滅すれば、「社会システムの適応能力」は減退こそすれ、増大しない。

何をなすべきか? 誰がなすべきか? どうすべきか?

本連載中に発生したロシアによるウクライナへの侵略もまた、このような観点から多面的に検討したい。とりあえず、国連安保理を含む諸会議での各種非難決議はなされても、実行段階ではほとんどが機能不全に陥っている現状をどのように打開するかが焦点になる。一部の報道にあるように、「常任理事国制度」の見直しが急務であろう。

その際、表3にみる「国連分担金」の3位を占める日本(8.03%)、4位のドイツ(6.11%)、7位のイタリア(3.19%)が「平和の枢軸国」として、この制度の見直し、一定の条件では常任理事国が拒否権を行使できない、あるいは侵略するような状態であれば、その拒否権を無効にする案件を速やかに共同提起したらいかがであろうか。

それが可能になった暁には、United Nations(UN)からGlobal Union(GU)への名称変更も実現したい。

表3 国連分担金の分担率(2022年)※青字表記が常任理事国
出典:外務省ホームページ(2022年2月18日閲覧)

8回の連載で取り上げた斎藤やラワースの著書から読み取れる思想は、ハーヴェイやシュトレークの論点を象徴する個別事例に当てはまると思われる。

それらを乗り越えて総合化するためには、われわれもまたしっかりと社会科学の「法則」を軸に、謙虚にその分野の学説史を学び、丹念に資料を読み解くことを続けるしかない。それでこそ、未来への道は少しずつ切り拓けるとしておこう。

注40)ロシアがウクライナ侵略を開始した2022年2月24日以降では、ロシア政治の変化とその政策決定がもたらす国民への影響を見ていると、コミュニズムのソ連時代に戻ったような印象が強い。

注41)サターは‘décroissance’を「減成長」と名付けている(サター、2012=2012:10)。

注42)ティロール風にいえば、この定義のような「繁栄」の「実現のツール」はどのように開発されるかが具体的に伝わってこない。

注43)たとえば「温室効果ガス排出実質ゼロの目標年」が2050年2060年2070年というのでは、「今は何もしません」と言っているに等しいのではないか。

注44)パーソンズ(1951=1974)参照。若干の解説は濱田・金子(2021:1-3)で行っている。

注45)このような立場からすると、「人体」の14%を構成し、植物の光合成に不可欠の二酸化炭素を「悪者」扱いする風潮には同意できない。合わせていたずらに二酸化炭素地球温暖化の恐怖をあおり、再生エネルギーとしての太陽光発電や陸上・洋上風力発電のみを優先する風潮にも賛成しない。なぜなら、このような科学的に疑問が残る取り組みは、次段階の経済社会システムの「適応能力」を向上させないからである。

【参照文献】

  • Harvey,D.,2011,The Enigma of Capital and The Crises of Capitalism, Profile Books.(=2012 森田成也ほか訳『資本の<謎>』作品社.
  • 濱田康行・金子勇,2021,「新時代の経済社会システム」『福岡大学商学論叢』第66巻第2・3号:139-184.
  • Kallis,G,(et.al.),2020, The Case for Degrowth, Polity Press,Ltd.(=2021 上原由美子・保科京子訳『なぜ脱成長なのか』NHK出版).
  • 金子勇,2006,『少子化する高齢社会』日本放送出版協会.
  • 金子勇,2014,『日本のアクティブエイジング』北海道大学出版会.
  • Latouche,S.,2019, La décroissance (Collection QUE SAIS-JE? No.4134) Humensis.(2020  中野佳裕訳『脱成長』白水社).
  • Maillet,p.,1966, La croissance économique (Collection QUE SAIS-JE? No.1210) Presses Universitaires  de France.(=1967 竹村孝雄・高橋誠訳『経済成長』白水社).
  • Marx,K,(traduction de Roy),1872-1875, Le Capital,Maurice Lachatre et Cie(=1979 江夏美千穂・上杉聰彦訳『フランス語版資本論』(上下)法政大学出版局).
  • Parsons,T.,1951,The Social System, The Free Press.(=1974 佐藤勉訳『社会体系論』青木書店).
  • Rostow,W.W.,1960,The Stages of Economic Growth, Cambridge University Press.(=1961 木村健康・久保まち子・村上泰亮訳『経済成長の諸段階』ダイヤモンド社).
  • Streeck,W.,2016,How Will Capitalism End?Essays on a Falling System, Verso.(=2017 村澤真保呂・信友建志訳『資本主義はどう終わるのか』河出書房新社).
  • Sutter,A.J.,2012,The End of the Myth of Economic Growth.(=2012 中村起子訳『経済成長神話の終わり』講談社).
  • Tirole,J.,2016, Économie du bien commun, Presses Universitaires de France.(=2018 村井章子訳 『良き社会のための経済学』日本経済新聞出版社).
  • Urry,J.,2016,What is the Future? Polity Press Ltd.(=2019 吉原直樹ほか訳『<未来像>の未来』作品社).
  • Veblen,T.,1899=1973,The Theory of leisure Class, Houghton Mifflin Harcourt Publishing.(=2016  村井章子訳 『有閑階級の理論』(新版)筑摩書房).
  • Wallerstein,I.,1983,Historical Capitalism, Verso Editions.(=1985,川北稔訳『史的システムとしての資本主義』岩波書店).
  • Weber,M.,1904-05,Die protestantische  Ethik und der >>Geist<<des Kapitalismus.(=1989 大塚久雄訳『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』岩波書店).

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