「脱炭素と気候変動」の理論と限界⑦:WEIRDを超えた5つの人間像

金子 勇

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一枚岩ではない世界システム

2022年2月24日からのロシアによるウクライナへの侵略を糾弾する国連の諸会議で示されたように、世界システムは一枚岩ではない。国家として依拠するイデオロギーや貿易の実情それに経済支援の現状を考慮して、明瞭な軍事的侵略にさえ反対を表明しない判断(棄権)をする国もある。

学術的にも世界システムを「分断」する独自の基準がある。たとえば先進国と途上国ないしはグローバルノース(GN)とグローバルサウス(GS)に二分する論者もいれば、「中核」ー「半周辺」—「周辺」に三分する研究者もいる注35)

このうち「中核」は製造業や第三次産業に特化して、世界の経済余剰を握る国々であり、GNのなかの若干の先進国が該当する。逆に「周辺」とは、鉱山業や農業などの第一次産業が主流の国々であり、換金作物のための「非自由労働(強制労働)」までも依然として存在する状態が指摘されることもある。そして「半周辺」は、両者の中間に位置する国々である(ウォーラーステイン、1983=1985)。今日でも国連(United Nations)加盟の200を超える国と地域では、「周辺」と「半周辺」が大半を占める。

しかしハンチントンが指摘したように、GNに属する先進国内部でも同質的ではない。たとえば移民の国として、その内部的異質性が際立つアメリカの現状がある。「人種間における社会経済的地位と政治力の主要な格差は、アメリカではつねに存在したし、今後もそれは変わるまい。そこには財産、所得、教育、権力、住居、雇用、健康、犯罪(加害者および被害者として)をはじめ、階級と地位を示すものの差異が含まれる」(ハンチントン、2004=2004:421)。その結果、アメリカでは「二言語・二文化」の社会になりかかっている(同上:438)。

GNに含まれる先進国とりわけG7のいくつかの国では、全人口のうち10%程度の移民を抱えて、アイデンティティだけではなく教育や雇用や住宅などの日常生活問題に苦慮している注36)

WEIRDの人間像

ラワースは21世紀の人間像を描き直すにあたり、その基になるデータ収集が、「西洋の(Western)、教育が普及し(Educated)、工業化が進み(Industrialised)、豊かで(Rich)、民主的(Democratic)な社会」(ラワース、前掲書:150)だったことをサンプリングの偏りだと批判する注37)

この頭文字がWEIRDになる国々では、「人間像」を構築するための行動心理学の実験は、ほとんどの場合研究者が所属する大学の学生を被験者としていた。それは費用がかからず時間の節約にもなることが一番の理由であり、私が長らく務めた北海道大学でも社会心理学の教授が私の社会学講義の時間を借りて、前期も後期も1回20分程度を使い、そこで100人を超える受講生に調査票を配布回収していた。同時にその母集団から、社会心理学実験の被験者を募集していたという経験がある注38)

このようなWEIRDにおける「集めやすい大学生」を被験者として得られた偏りのある「人間像」が、世界的にみて人種も民族も経済発展段階もまるで違う国々の人間像とは異なることは疑いえない。そこでラワースは多様な人間のイメージを描き出すために、WEIRD で構築された人間像に5つの変更点を加える。

5つの多様な人間像

<① 利己心から社会的報恩へ>
経済学上のホモ・エコノミックスは完全な利己主義者として描かれてきたが、実際には強弱の差はあれ、人間は互酬性を持つ生き物であるとする。国ごとに見るともちろん互酬性文化の差もあり、家計、市場、コモンズ、国家の重要性の違いにより、報恩の感覚(:154)も変化する。コントの造語である「利他(愛他)主義」(altruisme)もまたここでは活用される可能性がある(コント、1830-1842=1911=1928:94)。

<② 固定した好みから流動的な価値観へ>
ここでは、社会心理学のシュワルツがまとめた基本的な10の価値観が利用された。図1に示すように、10の価値観それぞれはいろいろな研究でも使用されてきた。とりわけ普遍主義、安全、調和・伝統、努力、勢力などは人間の行為でも国や組織などの行動でも頻繁に使われてきた価値観である。

文化に共通する10の価値観

ラワースはこれらに依拠して、

  1. 「変化への柔軟さ」……自決、刺激、快楽(半分)
  2. 「保持」……安全、調和・伝統
  3. 「自己超越」……普遍主義、善行
  4. 「自己高揚」……勢力、達成、快楽(半分)

という整理をしたうえで、これらは「1日のあいだにも頻繁に変わる」(:157)とした。

シュワルツは個別的価値をまとめ上げるために2つの軸も用意していて、一つは「変化への柔軟さ」(openness to change)と「保持」(conservation)という軸であり、もう一つは「自己高揚」(self-enforcement)と「自己超越」(self-transcendence)という軸であり、これらを組み合わせて4分野にまとめていた(:155)。これらもラワースはすべて借用している。

図1 シュワルツの価値観の図
出典:ラワース(2017=2021:155)

しかしそうすると、価値観の多数の組合せが可能となり、「人間像」は限りなく流動化して、学術的にも特定の「人間像」は描けなくなる注39)

<③ 孤立から相互依存へ>
日常経験でも学説においても、人間は孤立しては存在し得ない。程度の差はあれ、ジェンダーやジェネレーションの差を包み込みながら、人間は相互依存的な暮らしをしている。社会学の用語で言えば、人間の交際、生産、消費などの行動においては「社会的ネットワーク」が強く影響する。ヴェブレンの「誇示的消費」(conspicuous consumption)もまた、相互依存するネットワーク内でその高額消費を見せびらかすためのものであった。その理由は、「わたしたちが社会規範に従い、周囲の人がどう行動するかを気にする」(ラワース、前掲書:160)からである。

ホモ・ソシオロジクス

<④ 計算高さから大まかさへ>
ホモ・エコノミックスは「合理的経済人」とも表現されるように、合理性を基調とする。すなわち、損得勘定の計算高さを第一義とする。他方社会学では、助け合い、協力、結(ゆい)、手伝いなどの関係もまた損得勘定とともに含まれているから、似たような表現としてホモ・ソシオロジクスが提起されたことがある(ダーレンドルフ、1959=1973)。

これは社会的役割をきちんと果たすというイメージが強いが、一人の人間でも私的役割(夫や父親)と公的役割(会社の営業課長)とでは内部的に衝突して、葛藤状態に陥ることがあるから、必ずしも合理的な行動だけでもないという意味も込められている。ラワースもまた、「非合理性」(:162)や「直感的な人間」(:164)を使って、「大まかさ」を主張している。

<⑤ 支配から依存へ>
自然との関係で言えば、「昔から西洋では、人間は自然を足もとにひれ伏させ、好きなように利用する」(:165)としてきたが、実際には「自然の網のなかに深く織り込まれている」(:166)。要するに自然を支配しているのではなく、「地球との創造的な協力関係のなかで、互いにつながり合った生きた自己」(:168)としての存在が繰り返し強調される。

人類と地球のつながり

これには同意するが、人類と地球とのつながりは、火山の爆発、小惑星の地球衝突、隕石落下、地震、高気圧や低気圧の発生、台風、旱魃、暴風雪などを見る限り、人間が一方的に「ひれ伏している」状況もまた顕著に認められる。おそらく「互いにつながり合った」関係は人間の努力による治山治水事業に象徴されるであろう。しかしそれでも自然の猛威は人類を直撃して、「ひれ伏す」以外に方法がないことは災害史が証明する通りである。

そのような事情を理解しつつも、二酸化炭素地球温暖化論に典型的なように、人為的努力により二酸化炭素の排出を削減すれば、温暖化防止が可能になるという論調は、どのような「人間像」を前提にしているのか。

そこには、自然環境に「ひれ伏さない」人類が一致団結すれば、地球の大気温度でさえも左右できるという思想が垣間見える。これは、ラワースが否定した「人間による自然支配」である。100%とはいわないが、ほとんどの自然現象には「ひれ伏す」人類が、大気温度だけは左右できるとする根拠はどこにあるのだろうか(金子、2021-2022)。

(次回:「脱炭素と気候変動」の理論と限界⑧に続く)

注35)もちろん、GNとGS間だけではなくGN内部にもGS内部にも、対立や葛藤は日常的に存在する。同時に「中核」ー「半周辺」—「周辺」でも、該当する国々の間では敵対関係から友好関係まで様々な組み合わせ状態にあることも周知の事実である。

注36)EU全体としてもそこに高度な同質性が認められるわけではない。たとえば、国によって石炭火力、原発、再エネなどのエネルギー資源への姿勢が異なり、ロシアによるウクライナ侵略への態度の相違からも異質性の存在は容易に窺える。

注37)工業化が進み(Industrialized)はアメリカ式表記である。

注38)社会心理学とは違って社会学では、サンプリングには慎重でもあり厳密でもある。多くは全国もしくは対象とする自治体の「住民基本台帳」を母集団として、そこからランダムサンプリングを行う。調査結果の分析に際しては、性、年齢、階層、居住地、家族関係、友人関係などに分けた単純集計をした後で、それぞれの変数間の相関や因子を特定する作業を中心とする。しかし、若い頃に社会心理学の古典を読んだ際に、たとえば「53名の被験者(大学生)」(ニューカム、1950=1956:15)や「小さな女子大学の学生全部を対象」(同上:193)に接するたびに、社会学におけるサンプリング理論との不整合性を感じていた。その後の改訂版でも、「ある学生寮の学生たちの間で種々の暖かい友情関係」(ニューカムほか、1965=1973:10)の調査結果から、役割関係や同調や相互信頼についての一般化が普通に行われている現状に、社会学との異質性を痛感してきた。

注39)最近のドイツと日本の「大学生」についての結果は、真鍋(2020)に詳しい。ただし真鍋の判断では、シュワルツの価値観モデルは「いまだそのアイディアにはいわば到達点というべきものが示されているわけではなく、Schwart自身によって、またその共同研究者によって、さまざまなそのアイディアの『進化』の試みが続けられてきているからである」(同上:90)とされる。なお、ラワース本の翻訳では「善行」とされた原語は‘benevolence’であり、「普遍主義」(universalism)ととともに上位概念の「自己超越」(self-transcendence)に含まれているので、「慈悲」としたほうがいいのではないか。なぜなら、もともとこれは“the wish to do good ; kindness of heart”なのであるから。 また、「自決」の原語が‘self-direction’だったので、誤解を招かぬように「自己決定」としておきたい。

【参照文献】

  • Comte,A,1830-1842,Cours de philosophie  positive,6tomes,=1911 Résumé par Rigolage, É .(=1928-1931, 石川三四郎訳『実証哲学 世界大思想全集25・26』(上・下)春秋社).
  • Dahrendorf,R.,1959,Homo Sociologicus、Westdeutscher Varlag.(=1973 橋本和幸訳『ホモ・ソシオロジクス』ミネルヴァ書房).
  • Huntington,S.P.,2004,Who Are We?-The Challenges to America’s National Identity, Simon & Schuster.(=2004 鈴木主税訳『分断されるアメリカ』集英社).
  • 金子勇,2021-2022,「二酸化炭素地球温暖化論と脱炭素社会の機能分析」(第1回-第7回)国際環境経済研究所WEB連載論文.
  • 真鍋一史,2020,「S. Schwartz の概念枠組みにもとづく価値観の国際 比較:ドイツと日本における『大学生調査』のデー タ分析」『関西学院大学社会学部紀要』133号:87-107
  • Newcomb,T.M.,1950,Social Psychology,The Dryden Press,Inc.(=1956 森東吾・萬成博共訳 『社会心理学』培風館)
  • Newcomb,T.M.,Turner,R.H.,& Converse,P.E.,1965,Social Psychology : The Study of Human Interaction, Holt,Rinehart and Winston,Inc.(=1956 古畑和孝訳『社会心理学-人間の相互作用の研究』岩波書店)
  • Veblen,T.,1899=1973,The Theory of leisure Class, Houghton Mifflin Harcourt Publishing.(=2016  村井章子訳 『有閑階級の理論』(新版)筑摩書房).
  • Wallerstein,I.,1983,Historical Capitalism, Verso Editions.(=1985,川北稔訳『史的システムとしての資本主義』岩波書店).

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