「財政の憲法9条」を改正するとき

池田 信夫

今年の国内最大の事件は、安倍元首相の暗殺だった。犯行には背後関係はないようだが、安倍晋三という戦後最大級の政治家を、こんな形で失ったことは残念である。彼の外交・国防政策は満点といってもいいが、彼の経済政策には、いまだに疑問が残る。

安倍氏はなぜ「財政ハト派」になったのか

自民党の主流は伝統的に財政ハト派で、右派は財政タカ派だった。たとえば宮沢首相は「資産倍増」をとなえてケインズ政策をとったが、小泉首相は不良債権処理の最中に「構造改革」の緊縮財政路線をとった。それを継承した第1次安倍内閣も、量的緩和を終了するなどタカ派だったが、第2次内閣は打って変わってハト派になった。

財政出動は、リーマン後の金融危機から脱却する上で必要だった。財政支出でGDPが増えることは自明であり、それ自体を否定する経済学者はいない。問題はその財源を日銀が「輪転機ぐるぐる」でいくらでも出せるという「リフレ」だった。

量的緩和は2000年代初頭に議論されたころは政策として意味があった。そのねらいは財政に中立な金融政策で景気を調節することで、日銀も福井総裁のころやってみたが、ゼロ金利が続く中で通貨供給だけ増やしても意味がないので、2006年に終了した。

他方、ゼロ金利で財政赤字のリスクは小さくなった。財政政策の欠点は、政治家が食い物にし、ゾンビ企業を延命するなど資源配分のゆがみが大きくなることだが、それは政治家にとってはメリットである。これに歯止めをかけるため、財政法では国債を原則禁止し、その日銀引き受けを禁じてきた。

財政法4条の呪縛

しかし安倍氏は、それを逆に見ていたようだ。WiLL6月号の北村滋氏(前国家安全保障局長)との対談で、安倍氏は「赤字国債の発行を禁じる財政法4条は戦後レジームそのものだ」という。大蔵省の1947年の逐条解釈にはこう書かれていた。

第四条は、健全財政を堅持していくと同時に、財政を通じて戦争危険の防止を狙いとしている規定である。戦争と公債がいかに密接不離の関係にあるかは、各国の歴史をひもとくまでもなく、我が国の歴史を見ても、公債なくして戦争の計画遂行の不可能であったことを考察すれば明らかである。公債のないところに戦争はないと断言し得るのである。したがって、本条はまた憲法の戦争放棄の規定を裏書保証せんとするものであるとも言い得る。

ここには戦時国債の大量発行を許して戦争への道を開いた大蔵省の反省があり、戦後の知識人の悔恨共同体に対する「不戦の誓い」ともいうべきものだった。見方を変えると、GHQが再軍備を阻止するためにつくった規定ともいえる。

しかし今では、この制約は意味がない。建設国債も赤字国債(特例公債)も、国会で議決すれば出せるので、自民党が圧倒的多数を占める国会では、財政赤字の歯止めにはならない。財政法4条は、国債発行のハードルを上げて税金の浪費を防ぐ制度だったが、憲法9条と同じく、もはや機能していないのだ。

統合政府の債務管理が必要だ

したがってGHQのつくった「戦後レジーム」を清算しようとした安倍氏が、国債発行に積極的だったことは不思議ではないが、彼はなぜ財政法4条を改正しなかったのだろうか。

安倍氏の「日銀は政府の子会社」という発言が物議をかもしたが、国債は統合政府でみると日銀の資産なので、その残高は相殺でき、日銀が会計上で債務超過になっても問題はない。それより統合政府の債務管理によって物価と金利をコントロールする制度が必要である。

債務管理として日銀引き受けを禁じる財政法5条も、空文化している。国債の借り換えはほとんど日銀引き受けなので、60年償還ルールは実行されていない。財務省はプライマリーバランスの黒字化を目標としているが、これは日銀のインフレ目標と同じく、形骸化している。

安倍氏の提唱した防衛国債は、建設国債の壁を破る試みだったが、来年度予算では護衛艦など一部の予算が建設国債に入っただけだ。安倍氏の真意は、今となっては知るよしもないが、憲法改正が実現するとき財政法も改正するつもりだったのかもしれない。

「財政の戦後レジーム」の清算

財政規律は重要だが、それは国債を禁止する時代錯誤の法律ではなく、実質的な経済安定化を基準とすべきだ。MMTの元祖ラーナーが言ったように、経済政策の目的は財政の安定ではなく経済の安定なので、過剰債務が金融危機などのショックをもたらすリスクが問題である。

「未来の世代への責任」をどうするかという神学論争ではなく、具体的に何%の金利上昇で金融危機が起こるのか、そして政府債務がGDPの何%になったら、将来世代に何%の純負担が発生するのか、数値シミュレーションで考える必要がある。

今はそれを財務省の主計局が判断しているが、先進国ではイギリスの予算責任局のような独立機関でチェックするのが普通である。ゼロ金利状況では金融政策には効果がなく、財政政策のコントロールのほうがはるかに重要である。

本質的な問題はPBのような単年度の財政収支ではなく、時間を通じた国民負担(社会保険料を含む)をどうするのかという政府の予算制約を設定することだ。それを無視して国営ネズミ講を続けると、国債の負担が社会保険料に上乗せされて現役世代が貧困化する。

財政法4条を改正し、国債を「特例公債」として毎年議決するルールを廃止するとともに、5条を改正して日銀引き受けを認め、そのコントロールを日銀政策委員会がやってはどうだろうか。もちろん財務省は強く反対するだろうが、それが「財政の戦後レジーム」を清算しようとした安倍氏の遺志に添うのではないか。