「立つ鳥跡を濁さず」という諺がある。任務を終えて立ち去る者は見苦しくないように後始末をして去っていくべきだという内容だ。同じような意味合いを込めてローマ・カトリック教会の最高指導者フランシスコ教皇の語ったことがイタリアのメディアでちょっとした話題となっている。
フランシスコ教皇は15日のアンジェラスで、「奉仕の精神で任務を遂行する人は誰でも、『さようなら』と言うことを学ばなければなりません。任務を終えた者はその地位、権限を脇に置いて退く方法を知る必要があります」、「自分の任務を達成した後は、役割や地位に固執するのを避け、他の人のために残しておく必要があります」と述べている。
フランシス教皇は聖書に登場する人物から洗礼ヨハネを例に挙げている。曰く、「洗礼ヨハネは、多くの人がイエスに会う喜びを持つことができるように、信者を獲得して名声と成功を得ることに関心をもたず、イエスを証した後、後退した」と説明し、「真の教育者の特徴は人を自分に縛り付けないことです」と述べている。
バチカンウォッチャーによると、教皇は教皇庁を含む教会内の様々な職務に従事する聖職者に対して、「地位と立場に拘らず、時が来たらさようならといって立ち去るべきだ」と呼び掛けているわけだ。教皇を含む教会の地位は終身オフィスと受け取られてきたが、フランシスコ教皇はその慣習、伝統を禁止した新しい使徒憲章「プレディケートゴスペル」を提示、「5年間の任務を最高2期に制限し、それを全うした後、出身地の教区や自治体に戻るようにする」というわけだ。画期的な内容だ。
フランシスコ教皇のこの発言は自身の生前退位問題とも重なる。第266代のローマ教皇に就任して今年3月で10年目を迎える。前教皇ベネディクト16世の生前退位に倣って、南米出身のフランシスコ教皇も時がくれば生前退位するのではないかと推測されてきた。フランシスコ教皇としては自身が生前退位する前に、教皇庁を含む教会の人事で「さようならを言える」組織体制を確立したいのではないか。
ローマ・カトリック教会は超高齢者集団だ。一般社会で定年を迎える65歳は教会では若いほうで、教皇以外では最高位の枢機卿に任命される聖職者は65歳以上から70歳にかけての高齢者が多数だ。新しい教皇を選出するコンクラーベには80歳未満の枢機卿が有資格者だ。ちなみに、世界で枢機卿は225人だが、その有資格者の80未満の枢機卿は125人だ。2023年末までに11人の枢機卿が80歳に達するから、コンクラーベ参加の資格を失う。すなわち、今年末には有資格者の枢機卿は114人となるわけだ。
高位聖職者の平均年齢が75歳から80歳ともいわれるカトリック教会総本山バチカンが世界各国の信者に適時に牧会することはほぼ不可能だ。バチカン主導の現行の中央集権体制は限界にきている。代案としては、世界各国の司教会議の権限強化だ。ある意味で正教会のような体制だ。各国の教会が独立教会として自立し、ローマ教皇は象徴的な立場に留まるのだ(「ローマ教皇の終身制は廃止すべきだ」2021年7月6日参考)。
フランシスコ教皇は2021年7月4日、結腸の憩室狭窄の手術を受けた後、インタビューの中で、「霧の深いアルゼンチンの秋にアストル・ピアソラ(アルゼンチンの作曲家、バンドネオン奏者)の音楽を聴くことができた日々を思い出す」と語っている。高齢教皇は、バチカンでの難事処理に追われ、疲れを覚える時には望郷の念が募るだろう。当方は「手術後初のローマ教皇インタビュー」(2021年9月3日参考)のコラムの中で「教皇の終身制は非情なシステムだ」と書いた。
政治の世界では、地位と権力はひっついているから、政治家はいったん地位を得るとそれを失わないように腐心する。ドイツではメルケル首相が16年間政権を掌握した。トルコのエルドアン大統領やロシアのプーチン大統領はそれ以上の長期政権を誇っている。自身の地位を死ぬまで維持したい、というのが本音だろう。そこにフランシスコ教皇が「さようならと言うことを学ぼう」と主張し、地位や権限に拘らず生きていくべきだと助言したわけだ。教会だけの話ではない。任務を終え、役割が済んだら「さようなら」が言える風通しのいい組織を作るべきだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年1月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。