奈良県知事選敗退は憲法改正への岸田総理の布石

統一地方選前半戦の結果が出た。後講釈になるが、筆者の道府県議会選の予想は、自民は旧統一問題での岸田総理の対応ミス(教団及び関連団体との関係断絶は憲法違反の疑義がある)や防衛増税などにより大幅減、立憲は小西文書で惨敗、共産も除名問題で“民主集中制”という名の独裁露見で大敗し、斯くて行き場をなくした保守票や浮動票が流れる維新が大勝、というもの。

果たして結果は、全国で2,260議席を争う道府県議会選では、予想通り維新(日本維新の会と大阪維新の会)が65増の124議席を獲得、ほぼ一人勝ちの格好となった。報道では、大阪維新の会が府議会・市議会とも過半数を制したとして、大阪での躍進が強調されるが、大阪府議会の55議席は9増に過ぎず、日本維新の会の69議席は56の激増だ。全国的な躍進といえよう。

減らした方では、自民が98減の1,153議席、共産が24減の75議席とほぼ予想通りだったが、立民が7増の185議席と予想外に健闘したほか、公明も8増の169議席を得た。このほか国民31(変わらず)、社民が半減の3、参政が倍増の4となった。これら以外に、諸派と無所属が516議席あり、読売新聞はその内訳を諸派23、自民系154、野党系168、その他171と報じるが、増減の記述はない。

全くの私見だが、立民の7増は自治労や日教組などの地方組織が、小西文書問題などの国会対応に危機感を持って動いた結果と思われる。公明の8増も、前評判の高い維新への警戒心から引き締めを図ったのだろう。公明と共に支持層の高齢化が進む共産は、党員減と共に除名問題や中国の脅威で共産主義の本質に気付いた浮動票が離れたことが影響したのではなかろうか。

以上、維新の躍進振りを確認した上で本題に入りたい。それは大阪府知事選と奈良県知事選に臨む自民党本部の如何にも不可解な動きをどう考えるかという問題だ。結果として、両方とも維新の軍門に降ったのだが、筆者の目には「負けるべくして負けた」あるいは「わざと維新に勝ちを譲った」と映る。

自民党大阪府連は、大阪維新の会の成り立ちを考えれば疾うに瓦解していたと見るべきだろう。すなわち、09年に橋下徹府知事の施策に賛同した松井一郎府議ら6名が新会派「自由民主党・維新の会」を立ち上げて自民党を離脱、これに志を同じくし自民党を見限った大阪府議・市議や堺市議らと橋本府知事が参集して、10年4月に結成されたのが大阪維新の会だ(国政政党日本維新の会の結成は12年9月)。

以来、自民党大阪府連は維新に到底太刀打ちできない酷い状況にあるのだが、安倍元総理はこれについて「維新は改憲勢力だからそれで構わない」(産経阿比留記者)と述べていたそうだ。だからといって「サンモ二」常連の谷口真由美氏を「自主支援」するなど、いくら維新憎しとは言え以ての外の沙汰だが、推薦状を出さなかったのがせめてもの慰め。

が、更に問題なのは5選を目指す現職の荒井正吾(78)、元総務省課長の平木省(48)、元生駒市長の山下真(54)の三つ巴になった奈良県知事選だ。結果は維新推薦の山下氏が266千余票で勝ち、次点の平木氏が197千票弱、荒井氏が97千票だった。自民が県連(高市早苗会長)の推した平木氏に一本化していれば勝てた選挙戦で、「多選・高齢」の荒井氏をなぜ下ろせなかったか、何とも不可思議だ。

この結果を、自民党の選挙責任者である茂木幹事長は、全国の道府県議選で過半数を占めたことなどに触れ「堅調な結果」と評価する一方、大阪ダブル選や奈良知事選で維新候補の当選を許したことについては「大阪をはじめ関西圏での態勢立て直しという課題が改めて明らかとなった」と述べて、まるで他人事のよう。

森山選対委員長も9日、奈良県知事選の結果について聞かれ「最初の候補者調整というところで少し反省しなければならない」、「なんとか良い調整ができないか微力を尽くしてきたが、結果としてなされなかった」とし、維新の躍進が国政に与える影響については、「他の地域でどう勢力を伸ばしているのか結果も見極めながら考えていかなければいけない」とこれも弁解がましい。

他方、高市早苗自民党奈良県連会長は11日の記者会見で、「維新の躍進に至った責任は痛感している」としつつも、「党本部が県連推薦以外の人を応援したのではないかという疑問の声が上がっている。きちんと検証することが大切だ」、「県連が分裂したように報じられているが、平木氏を全力で応援してくださった県連からは『耐え難い』というお声をいただいている」と、彼女らしく“けじめ”に言及した。

高市自民党奈良県連会長と茂木幹事長 NHKより

高市氏は更に、荒井氏が3月23日の出陣式の際に森山氏から激励の電話を受けたと披露したとの報道を引用し、「地元からは報道が事実かどうかを確認してほしいとの声がある」と指摘、事実であれば「自民の県連と党本部が別々の候補者を応援したのではないか」と疑問視しつつ、「事実関係の確認はできていない。あくまでも報道だ。ただ、しっかりと確認し、検証したいというのが地元からの非常に強い要請だ」と説明した。

ネットでもジャーナリストの山口敬之氏などが、立候補を諦めていた荒井氏に党本部が出馬を促したらしい、との趣旨を述べている。森山氏など党本部(それには茂木幹事長や岸田総理を含む)が奈良県連の意向に反して荒井氏を推していたとすれば、当然ながら自民党票は分裂、維新の山下氏が漁夫の利を得ることは、投票日直前の世論調査などからも自明だった。

しかも山下氏はぽっと出の新人候補などではなく、15年2月に奈良県知事選に出るべく辞職するまでの3期9年間、大阪のベットタウンである生駒市の市長を務めた。15年の知事選と17年の奈良市長選には敗れたが、東大法学部出の弁護士でもあり、学歴・職歴とも荒井氏や平木氏に劣らず立派な強敵だった。

こうした経過から、仮に奈良知事選で負けたとしても、小西文書問題で終始一貫して毅然とした態度を貫き、むしろ人気が再燃した高市氏の評判を貶める効果があるとして、岸田総理や茂木幹事長がライバル潰し目的で傍観したのではないか、という見方がネットや巷間で広がっている。

そうした側面もあるだろう。が、筆者の見方は少し異なる。その理由は、前述した安倍元総理の「維新は改憲勢力だからそれで構わない」との発言がどうしても引っ掛かるからだ。

1月に訪米した岸田総理のバイデンへの土産は、これに間に合わせるべく12月に閣議決定した「防衛3文書」。そして米国が、懸念する台湾有事に際し、日本に一定の役割分担を求めるのは日米同盟の上からも当然のこと。日米安保条約の極東条項は、当時の岸総理の考えもあってその範囲をことさら規定していないが、台湾や朝鮮半島が含まれないことはあり得まい。

日本が極東で役割を果たすための最大の制約となるのは憲法9条だ。これも全くの憶測だが、バイデンは岸田に9条改正を迫ったのではなかろうか。自衛隊法というポジティブリスト片手の自衛隊は有事に力を発揮できないからだ。そこで憲法改正の制約となるのが公明党という獅子身中の虫。公明と連立する限り9条改正への道は遠い。そこで高市潰しとの一石二鳥を狙い、岸田が敢えて荒井氏の立候補を傍観し、維新をアシストしたということ。つまり、高市潰しだけの茂木とは傍観の質が異なる。

岸田にとって公明党の存在は、旧統一教会の一件で宗教問題に踏み込んだこととの自家撞着でもあるように思う。公明党は、今回の地方選では奮闘したものの、昨年の参院選比例の得票は約618万票で、前年の衆院選比例から約93万票減らした。他方、日本維新の会は約785万票と約294万票増やし、立民の約677万票をも上回った。

これらを見れば「存外小狡い」岸田総理が、安倍元総理も成し得なかった憲法改正を行って歴史に名を遺すべく、高市潰しを隠れ蓑に茂木や森山を走らせて、維新取り込みへの布石を打ったか。とすれば岸田を見直さざるを得ない。ならば、反撃能力に加えて非核三原則の見直し、更には抑止力としての核保有について、その議論入りと米国の説得にまで踏み込んで欲しいものだ。