1. 「社会関係資本」
コミュニティと同じレベルの主要概念
20世紀末以降「社会関係資本」(social capital)の概念は、社会学や政治学を超えた多方面の学術的文献のなかで飛躍的な進歩を遂げた注1)。
それはちょうど日本の1960年代からの「コミュニティ」の浸透力に勝るとも劣らない。しかも社会学だけではなく、隣接する政治学や経済学に及んだことも両概念はよく似ている。コミュニティ論でのマッキーバーの位置には、「社会関係資本」ではパットナムがいる。特に『孤独なボーリング』の業績によって、その刊行前と後では間違いなく学術的認識面でも政策面でも変化が大きい。
「社会関係資本」
「社会関係資本」は個々の行為主体が独自に形成し、社会を形成する人間関係を軸としている。社会学の伝統では長らく社会関係(social relation)と表現されてきたが、社会の中に存在する行為主体の間にみられるネットワークや、それに基づく規範・信頼などを指す(パットナム、2000=2006)。しかも現代においては、傍観者となった個人を再度社会の中に位置付ける役割を果たすと積極的に位置づけられている注2)。
そこで21世紀の今日、そのような意味が込められた「社会関係資本」をどう活用すればいいか。誰もが合意する内容がそこにあるのか。共通の理解が不可能なほどに、概念の広がりを持ち、むしろ様々なバリエーションに分裂したのではないか。
キャピタルにソーシャルを加えた意味
学説史的にいえば、ここでのソーシャルは「非経済的」な意味としてだけ使用されるのではなく、「社会関係資本」の存在により個人はさまざまな場面で助けられ、サービス支援を受けるという文脈が特に重視されている。
連載第1回で触れたように、元金(キャピタル)は元来利息(インタレスト)を内包して、それを個人に戻すから、ソーシャル・キャピタルとしての「社会関係資本」でも、信頼のおける関係者としてたとえば隣人や友人・知人からの支援(ヘルプ)が含まれている。それは、まさしく経済から社会、社会から経済への動線が、このコンセプトの柱であることを示すものである。どの分野のいかなる内容で使われても、「社会関係資本」はこの基本原則をわきまえておけば十分理解できる。
社会認識についての近代経済学的理解では、成員の合理的な行為を前提としており、市場もまたその種の人間であるホモ・エコノミクスがもつ論理で動くとされる。損することは避けるし、説明可能な一元的論理が覆い尽くす。そうでなければ数理方程式では表現できない注3)。
ホモ・ソシオロジクスではどうなるか
一方社会学は、さまざまなテーマとして家族、地域社会、政治、逸脱行動など、言い換えれば経済社会のフィールドから除外された市場外の対象まで追究してきた。
理論社会学が明らかにしたように、社会システムを束ねるものは価値と規範である。そして特定の地位を占めた人間はそれにふさわしいと期待される役割行動を行うから、かりに個人的地位が変化して、あるいは時代が変わって規範そのものが変質すると、それまでの合理的な行為すらも否定されたりする注4)。
いくつもの意味で使われる
近代経済学は最良の選択肢の存在を語るが、社会学ではいくつもの選択肢が見えるために、簡単にはそれを決定できない。
「社会関係資本」のように、いったん幅広いコンセプトの使用方法が容認されると、恵まれない地域での学校教育の失敗から経営者のパフォーマンスまで、周囲の人々や家族・親族の間の助け合いから開発計画の成功まで、あるいはロシアでの死亡率からアフリカ諸国の村々での収入の差までもが「社会関係資本」の研究に含まれるようになった。
さらに、民主主義のバイタリティから経済発展や統治まで、そして公衆衛生から青少年犯罪まで、同じく政治腐敗から競争力まで、ほんの少しであってもそこで「社会関係資本」を応用することに抵抗が見られなくなった。
その延長で、「歩きやすい街ほど『社会関係資本』が豊かになるという仮説は、日本のデータで検討した結果からは支持されなかった」(埴淵・中谷・近藤、2018:86)という報告さえもある。これはウォーカビリティの研究なのであるが、地理的地形的な条件が指標化に馴染まないために、この概念での一般化は難しいであろう。
パットナムの成功
学史的にみるとパットナムの成功は、必然的に重要な位置を占める。なぜなら、彼のスタイルが現代の「社会関係資本」研究の大きな源流でもあるからで、同時にその議論の方法や慎重な論の運びが、この概念の応用範囲を拡大させたからである。
「社会関係資本」の識別は、個人的つながりや個人財産、それらの性質や使い道を優先することで可能になるし、結果次第で有効な意味と意義も見出せる。
キャピタルの前にソーシャルを付加する伝統に立脚し、経験的に支持される証拠を揃え、その実践的な潜在力を際立たせたパットナムは確かに成功した。具体的な指標には、社会参加や団体的参加などの関係性レベルのデータと、相互性の規範や信頼といった心理的要素が凝縮され組み合わされる。この前提で獲得された有益な情報が各方面でも威力を発揮するので、世界銀行やOECDでさえもこの概念の積極的な活用を行ってきた。
社会科学の概念が国際機関の興味を引くのは、社会指標や人間開発指標などわずかしかなかった歴史をみると、「社会関係資本」概念への期待の大きさが分かる(三隅、2013)。
新しい方向はどこにあるか
今後これまで以上に各方面で積極的な「社会関係資本」概念を展開するには、何をどうすればよいのか。もとより実証的な研究レベルでこれらを行うことが、概念の有効性を評価する基準を入手する最短距離となる。
なぜなら、「社会関係資本」と被説明変数との因果関係を証明しようと努める実証的研究では、ますます多様な結果が生み出されているからである。例えばOECDが指摘しているように、「社会関係資本」と不平等の間の因果関係の意味を見つけるのが困難であったり、「社会関係資本」のマクロ経済的な効果への研究が、その研究が実施された国や機関によって非常に不規則な結果を生んでいたりする。それとは逆に、健康づくりにとって、その存在が有効であるという報告もある注5)。
もちろん異なった報告もある。一例としてあげると、東京23区とその周辺地域での女性を対象とした研究では、「社会関係資本」と主観的健康評価は認められず、「地理的=社会的文脈性が存在する」(中谷、2018:51)ことが指摘されている。換言すれば、これにはむしろ階層のもつ規定力が大きいことになる。
政策形成に直結しない
しかし、いくら各分野における仮説が魅力的であっても、「社会関係資本」がもつ公共政策に関する独自の結果を引き出すのは困難なようである。なぜなら、たとえば少子化支援策が「社会関係資本」に直結するのではないからである。むしろ、ベクトルは逆向きであり、「社会関係資本」の存在が子育て支援策を有効に導きやすい。だから、まちづくり、コミュニティ依存、選択的ネットワークなどに依存しながら、少子化対策として子育て支援策が実施されてきた。
この子育て支援策には児童館を始めとするハードな建物づくり、行政による児童手当の支給、人的サービス面での支援などが混在するが、前回の社会的共通資本(social common capital)と整合することが多い(宇沢、2000)。だから両者をつないでみる試みが今後とも可能性に富むであろう。
団体参加率の高さと経済効果
しかし、団体参加率の高さがどのような経済効果をもつのかは依然として見出されていない。市民間の団体参加量が多いと、経済効果はどうなるのか。周知の二分類団体カテゴリーを使うと、一つのカテゴリーには、緊張を緩和する文化的な性質をもつ団体が該当する。
この種の団体への参加は、経済効果にとって有効であるとするのがパットナム仮説に含まれている。したがって、この範疇には、もう一つの団体として認識されてきた組合、政党、職業、経済などの団体は削除される。
「社会関係資本」の癒し効果
文化的な団体は、パーソンズの古典的なAGIL図式でいえば、Lとしての緊張処理を果たす機能を受け持っている。この視点からいえば、日々の経済性の追求から疲れ果てた個人を癒す働きがあるので、「明日のために今日も頑張った」企業従業者を再度仕事の場に送り出す効果がある。その意味で、団体参加が経済性とプラスの相関をすることはあるであろう。
疲れた従事者は、その癒しのためには別の意味で気を使わざるをえない政治などの団体への参加などよりも、粉末化された個人向けの娯楽を選好したがるからである注6)。
橋渡し(bridging)と結合(bonding)効果は健在
ただしパットナムが、「社会関係資本」のもつ機能を分類した結果としての「橋渡し」と「結合」は、二種類の団体のいずれにも応用可能であろう注7)。
たとえばロータリーやライオンズなどの財界クラブのもつ「橋渡し」と「結合」は、経済的取引にも有効に機能する場合がある。小説の世界でも実際にも、銀座のクラブでの知り合い関係が、銀行融資への道を開くというようなことはあるかもしれない。もちろんゴルフ仲間、カラオケ仲間など非経済的な関連でも同じ機能をもちうる。
その意味での団体参加は、パットナムによる橋渡し機能と結合機能を有すると一般化できる。橋渡し(bridging)タイプのグループ内においての関係も、結合(bonding)グループでも、ともにキャピタルとしての効果はある。
これが「新しい資本主義」としての「社会資本主義」でどのように活かせるか。それには、3つ目の「文化資本」にも言及する必要がある。
2. 文化資本
ハビトゥス
デュルケムによるanomieの社会学への応用と同じく、habitus(仏:アビトゥス、英:ハビトゥス)もまたブルデューにより学術用語として社会学に持ち込まれた。元来それは、健康または疾患を提示する外面形態を指す医療用語ないしは習慣を意味していた。
しかし、ブルデューは「客観的に分類可能な生成原理であると同時に、これらの慣習行動の分類システム(分割原理)」(傍点原文、ブルデュー、1979=2020:279)として使用した注8)。それ以降の社会学では、その用語が徐々に思考、行動、嗜好に関して社会化の過程で獲得されたパターンとして用いられるようになり、社会構造を維持・再生産する概念としても多用されるに至った。
とりわけこれを「文化資本」に見立てると、①蓄積が可能、②自身の評価や所有価値などの利益をもたらす、③親から子供へ相続できる、という性質を持つとされ、広義には「文化に関わる所有物」すなわち「資本」の範疇に含まれるようになった。
3つの「文化資本」形態
要約的に言えば「文化資本」は
- 身体化された文化資本(家庭や学校教育を通して個人に蓄積された知識・教養・技能・趣味・感性)
- 客体化された文化資本(書物・絵画・道具・機械などの物質として所有可能な文化財)
- 制度化された文化資本(学校制度などで与えられた学歴・資格)
に分けられる(ブルデュー、前掲書:7 訳者まえがき)。
1.は身体に埋め込まれた状態(embodied state)であり、思考様式、話し方、身体の動きなどを表わし、2.の芸術作品、書籍、衣服の物理的所有なども該当するために、客観的な状態(objectified state)としても認識される。
身近な「文化資本」は、芸術(例:絵画、クラシック音楽、歌謡曲、作曲)やスポーツ(例:乗馬、ゴルフ、野球、スキー)などに関する知識や技能、理解できる感性、言語能力や学習に対する態度や意欲、学歴や資格などがある。
たとえば親の都合で、外国暮らしが長かった子どもは英語その他の外国語をマスターしやすい半面、日本語表現では不十分なことがあるが、前者を活かして外資系企業で活躍する人も多い。この場合では、外国経験という個人の「文化資本」と有力経済資本を持つ外資企業との「資本交換」の形態とみなされる事例となる。たとえば、遺伝も含めて語学力、運動能力、絵画、歌唱力、作曲などの高度な「文化資本」を持つ人は、それと民間企業の「経済資本」と交換できる。
古今東西、人間は生れ落ちた「定位家族」での親や兄弟からの影響で、この種の「文化資本」を社会化過程において徐々に身につける。そのため、「定位家族」が置かれた階層に合わせて、各人各様の「文化資本」を担うことになる。
態度決定の地域社会
ただし個人が生育したコミュニティ環境も、また「文化資本」形成に大きな力を持っている。団塊世代のように、近隣の小学生だけでさえも野球チームが作れて試合ができる経験を持っていると、チームプレイを通した共同・協力・調和の「文化」は自然と身に付くからである注9)。
階層による相違が大きい
だから、3.に関して言えば、親からの相続内容次第で子どもの経験が異なるから、たとえ同じ近隣に生育しても、子どもが身につけた「文化資本」は相違する。これには別の影響源である家族が所属する階層による規定力が強い。もちろん言語能力や学習態度や関心の範囲も、親の関心に沿った形で違ってくる。
たとえば、親自らが各種の辞典やネットで調べる姿を見聞した子どもは、自らの学習態度にもそれを取り入れ、自主的な姿勢を強めやすい。同時に、親が自宅によく客を招く環境で育てば、子どもにはそれが当然のこととして理解されて、来客を喜んだり、広い意味での社交性を身につけやすいであろう。
階層と「文化資本」
その意味で、「文化資本」は従来からの社会学の階層概念に近いと思われる。元来の‘stratification’はある時期まで「成層」と訳されたが、過去40年ほどは「階層」として用いられてきたので、ここでも階層として使用する。
この概念の測定には、①自己帰属の判断にもとづく階層、②自分の職業にもとづく階層、③従業上の地位による階層、④専門家の格付けによる階層、⑤調査員の判定による成層、⑥相互評価法による成層、⑦帰属階級と職業との組合せによる階層などに分けられる。
現在の市民は階層的には一様ではなく、様々な指標を使って層化すると、幾重にも階層があり、それらの間では大きな違いが見えてくる。古典的に階層は、権力、財産、威信、地位などを使って論じられてきた(チューミン、1964=1969)。とりわけ階層要因の一つである威信は本人および周囲の評価に左右されることがある。
生活機会と生活様式
また、階層は生活機会と生活様式に影響を及ぼす(同上:24)。生活機会は幼児死亡率、寿命、肉体的・精神的疾患、子どもの育て方、子どもがいない比率、結婚に関連する争い、別居、および離婚などを指す(同上:24)。また、生活様式は住んでいる住居および近隣の種類、人々が求めるレクレーション、享受できる文化的製品、親子関係、読む本の種類、雑誌、テレビ番組などで判断される(同上:24)。これらもまた広義の「文化資本」に該当する。
さらに、現代階層論では新たに社会資源論と社会的移動論が加わる。合わせて理論化すれば、「社会階層とは、社会的諸資源―物的資源(富)・関係的資源(勢力および威信)・文化的資源(知識や教養)の三つ……(中略)が不平等に分配されている状態である」(富永、1986:242)という表現になる。
分配のアウトプットは、富、権力、威信、知識、教養などであるが、個人にも集合体にもすべてに分配面での過不足がある。たとえば、富があっても威信に乏しく、知識があっても影響力には程遠い。これもまた、「文化資本」に顕著な「非一貫性」(inconsistency)という特徴である。
所得の不平等と社会的移動の関連
特に社会的移動にこだわるのは、配分された資源の「非一貫性」が顕著な中でも、図1のように「所得の不平等の大きさ」と「社会的移動性の低さ」とが相関しているからである注10)。アメリカがその象徴であり、社会的移動性の低さと親世代と子世代の所得の相関が高ければ、子世代はそこから脱出できず、不平等が大きいままになる。
逆にフィンランドなど北欧の高い税率の国では、「所得の不平等」が小さいと、「社会的移動性」が高くなる。日本はグローバル資本主義下の競争、階層的不平等、社会的移動性の確保というバランスの点でも、その中庸にある。
仮にアメリカ型、北欧型、日本型とすれば、この選択はその国がもつ歴史、国民性、地政学的位置、利用可能な社会資源などによってなされることになる。日本での「社会資本主義」では、この中庸を活かすことが望ましいと考えられる。
イノベーションとの関連でいえば、「イノベーションに目配りした競争政策であれば、成長を促すだけでなく、社会的移動性を高める」(アギヨンほか、2020=2022:165)を確認しておきたい。
いずれにしても「資本主義の終焉」の後でも「資本主義のエンジン」(シュムペーター、1950=1995)も諸制度も変わらないが、拙著『社会資本主義』ではこの三つの「資本」の充実こそが柱になるとまとめている。
3. Social Capitalismの誕生
Claridgeの定義
さて、ネットで日本語文献検索をすると、「社会資本主義」は皆無であったが、Social Capitalismと入力すると、Tristan Claridgeによる2篇の論文が出てきた。一つは、2017年に発表された論文であり、Social Capitalism, Capitalism, and Social Capitalが題名であり、論評(Comments)の体裁をとっている。
クラリッジは、社会資本主義を「資本主義の人間化、民主的資本主義、社会民主主義からなる第三の道」(クラリッジ、2017:1)と定義した。ただし、この3点についての詳細な記述はなく、古典的な意味での資本主義とは異なり、「社会改善」(social improvements)を目標として、「社会的目的をもつ資本主義の功利的形態」(ibid.:1)とされた。
次に「社会関係資本」(social capital)との関連は容易に想像できるが、クラリッジは「社会関係資本」を生産要素として認識している。ただし、「社会資本主義者は社会関係資本に投資する人である」(ibid.:2)というのは、時代名称としての「社会資本主義」からすると、狭すぎる理解だと思われる。なぜなら、生活インフラでもある「社会的共通資本」もまた、「社会資本主義」には欠かせないからである。
社会資本主義の内容
同時に、社会資本主義は「社会主義でも古典的な資本主義でもない」(ibid.:3)とした注11)。また、その理念としては、自由(liberty)、平等(equality)、正義(justice)があげられている注12)。
そのうえで、社会資本主義を説明する9つの論点が示される。これらは重複する印象が強いのでまとめると、企業に関しては非営利企業、利益を社会還元する営利企業、公共の利益に配慮する企業で働く、企業の倫理性を重視する、労働者に幸せとその可能性を発揮させるような文化を企業がもつ、長期的に投資、成長、持続可能な繁栄を支援する企業、などに集約される(ibid.:3)。
unfettered capitalism とsocial capitalismの対比
もう一つのClaridgeの論文はcapital、capitalism、economics、social capitalismへの論評(Comments)の体裁をとって、2020年3月30日に発表された。
ここでも「社会資本主義」(social capitalism)は、「自由、平等、正義というイデオロギーで構築されるすべての資本主義システム」(Claridge,2020:1)と定義されている。その前提には「手枷足枷のない資本主義(unfettered capitalism)は、本質的に自由、平等、連帯という価値観とは両立しない」という前提があった(ibid.:2)。すなわち、unfettered capitalism とsocial capitalismが対比的に論じられた。
しかし2017年でも使われた「自由、平等、正義」という理念は、これまでの資本主義ではもちろん社会主義でさえも否定されたことがないので、この理念を「社会資本主義」の冒頭の定義にすることには違和感を覚える。
ただ、「社会資本主義は経済資本の蓄積だけを目的とするのではなく、「社会関係資本」、人間資本、自然資本を含むすべて資本形態を明示的に評価する」(Claridge,2020:1)という定義は、私の場合と同じ認識にある。なぜなら、「自然資本」は「社会的共通資本」とみなせるからである。
資本主義を崩壊させる8つの矛盾点
そしてこれまでの資本主義がもつ重要な特徴が否定され、それらが8点として整理された。「無限の成長」(infinite growth)、「合理的な行為者」(the rational actor)、「完全な情報」(perfect information)、「見えざる手」(the “invisible hand”)、「客観的存在性」(externalities)、「道徳的責任」(moral responsibility)、「商品としての労働」(labor as a commodity)、「過剰な市場統制への懸念」(concern over excessive market control)がそれである(ibid.:2-5)。
これらは資本主義にとっては部分的にしか当てはまらず、資本主義システム全体の基礎としては使えないというのがクラリッジの主張である注13)。
それならば、この8点を細かく検証する作業がクラリッジには待っている。なぜなら、8点のいずれにも膨大な賛否両論が形成されてきた長い歴史があるからである。
経済と社会の再編成への途
他にも細かな記述があるが、最後の結論としては「社会資本主義は、今日多くの国で現存する資本主義形態と根本的に異なるのではない。主な相違は、資本主義システムを支える諸価値にある。社会資本主義には、非経済的要因を高く評価して経済と社会を再編成することが含まれる」(ibid.:5)とまとめた。これには私も賛同する。しかし、「非経済的要因を高く評価して経済と社会を再編成する」とは、具体的にはどのような内容なのかが、この文章からは予想できない。
これまでの連載で紹介したように、一方では到来した「少子化する高齢社会」としての「人口変容社会」を論じつつ、「新しい資本主義」のエンジンに当たるエネルギー問題の焦点として「脱炭素」や「再エネ」を過度に強調することに疑問を呈した。そのうえで、「社会的共通資本」「社会関係資本」「文化資本」の充足を最優先する社会システムとした。
これが「生活の質」を重視しながら「開放型社会」を目指して、「終焉論」の先を論じるための最適なテーマとは言わないが、取りあえずの途になるという思いが『社会資本主義』を刊行させる動機にもなった。
コーフのSocial Capitalism in Theory and Practice
その他、クラリッジ論文の脚注(Footnotes)のなかに、Robert Corfeが2021年8月11日に返事(Reply)として、自著について記している。それによれば、彼自身が2008年に3巻本のSocial Capitalism in Theory and Practice(Arena Books)を出版したとある。
いずれも未見ではあるが、 3巻のサブテーマは、
- Emergence of the New Majority(『新しい多数派の出現』
- The People’s Capitalism(『民衆資本主義』)
- Prosperity in a Stable World(『安定した世界の繁栄』)
である。
Social Capitalism関連図書
さらにSocial Capitalismに関連して、Egalitarianism of the Free Society(2008)、The Future of Politics(2010)、The Democratic Imperative(2013)、The Crisis of Democracy(2018)、Advancing Technological Civilization(2021)などが、Arena Booksから出版されているとCorfeは書いている注14)。
とりわけthe New Majorityとは、過去数十年にわたる政治的に重要な新しい多数派の出現を指していて、そこでは既存の左翼・右翼という概念を旧式にしてしまった。だから、政治的思想と組織への新しいアプローチが必要だとCorfeは論じている。
3年がかりで『社会資本主義』を刊行した団塊世代の一人としては、もはやそれらを論じるには気力・体力・知力不足なので、次世代・次々世代の方々に期待するしかない。
「資本主義終焉論」の果てにたどり着いたこの新しい概念と内容を、取りあえず日本の中で徐々に改善していただければと願う次第である。
(次回につづく)
■
注1)ただしフランス語のcapital socialは「会社の資本金」を意味するので、注意しておきたい。
注2)もちろん社会関係(social relation)概念が不要になったわけではない。
注3)取引や販売での関係では合理性が基本であるが、模合(もあい)や結(ゆい)というような関係では、金銭が絡んでも非合理性が前面に出る場合もある。
注4)社会を束ねるという意味での集団での組織率は、厚生労働省ホームページでの歴年のまとめによると、たとえば「推定組織率」(組合加入率)の最高は1949年の8%(労働組合員数665.5万人)であり、1994年の24.1%(労働組合員数1261.9万人)を経て、2022年が16.5%(労働組合員数992.7万人)になっている。また、札幌市の町内会加入率は1990年では81.7%だったが、2023年では69.4%であった(札幌市ホームページ)。すなわち、社会システム全体のうち組織面での統合力は衰退過程にあり、反面で個人の私化現象やme-ismが普遍化してきた。
注5)公衆衛生学や社会疫学の分野からも、積極的に「社会関係資本」概念の活用がなされている。
注6)高度成長期ならば、「企業戦士」という表現になる。
注7)デュルケムは「分業の真の機能は二人あるいは数人のあいだに連帯感を創出することである」(デュルケム、1893=1960=1971:58)とみていた。
注8)ハビトゥスという訳語を見るたびに、高校の世界史の授業でブルボン王朝初代のアンリ4世(HenriⅣ)をヘンリー4世と同じ人物だと言われて、たいへんまごついた経験を思い出す。確かにハビトゥスの英語表記もフランス語表記もhabitusなので、英語読みも可能であるが、すくなくともブルデューに言及する時くらいは「アビトゥス」としたほうがいいのではないか。たとえば長い間日本語でのキエフはキーウに、チェルノブイリはチョルノービリに統一されたし、例の「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳もある。
注9)なお、リプセットの「態度決定のコミュニティ」(community of orientation)は長い間社会的移動論では放置されてきたが、これもまた「文化資本」の考える上で、階層の規定力に勝るとも劣らない意味を持っている(リプセット,1955=1978)。
注10)「所得の不平等性」と「社会的移動性」の指標と測定方法については、アギヨンほか(前掲書:104-110)に詳しい。
注11)『世界』6月号で「新しい資本主義」の特集がなされ、その一篇である松島論文の結論では、「新しい資本主義と新しい社会主義の共生」が謳われている。この認識と「社会資本主義」という把握のどちらが、今後に想定可能な経済社会システムに近いかの論争が待たれるところである。
注12)このうちliberty(自由)とEquality(平等)はフランス革命の理念でもあり、パットナムもまたそれを「社会関係資本」と結びつけていた(パットナム、2000=2006:433)。なお、これについてはスミスとクリンチの論文で詳しく論じられている(Smith,S.S.and Kulynych,J.,2002:127-146)。
注13)ただしこれらが本格的に論じられたわけではない。
注14)これらもすべて未見である。
【参照文献】
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- Berkman,L.F.,Ichiro,K.,Glymour,M.,(eds.),2014,Social Epidemiology(2nd), Oxford University Press.(=2017 高尾総司ほか訳『社会疫学』(上・下)大修館書店).
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- Durkheim、E.,1983=1960,De la division du travail social,Paris,P.U.F.(=1971 田原音和訳 『社会分業論』青木書店).
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- 松島斉,2023,「新しい資本主義、新しい社会主義」『世界』no.970 岩波書店:176-185.
- 三隅一人,2013,『「社会関係資本」』ミネルヴァ書房.
- 中谷友樹,2018,「社会関係と主観的健康の関連性地図」埴淵知哉編『「社会関係資本」の地域分析』ナカニシヤ出版:45-51.
- Putnam,R,D.,2000,Bowling Alone:The Collapse and Revival of American Community,Simon & Shuster.(=2006 柴内康文訳『孤独なボウリング』柏書房).
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- Smith,S.S.and Kulynych,J.,2002,‘Liberty,Equiaty,and …Social Capital’in S.L.McLean,D.A.Schultz,and M.B.Steger,(eds.),2002,Critical Perspectives on Community and “Bowling Alone”,New York University Press):127-146。
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- 富永健一,1986,『社会学原理』岩波書店.
- 宇沢弘文,2000,『社会的共通資本』岩波書店.
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・「社会資本主義」への途 ②:社会的共通資本